軍医学校跡地で発見された
人骨問題の解説
|
人骨問題とは?
1、個体数35体 戸山遺跡調査会が、埋蔵文化財と判断しなかった根拠は何でしょうか。明らかに「警察に通報すべき」と判断する事情があったのでしょうか。現場に居合わせた人からは調査会が当日残したメモがあった筈だといいますが、東京都はその公開を拒んだどころか、存在すら認めていません。 そこに陸軍軍医学校があった 人骨が発見された場所が「旧陸軍軍医学校」跡地であったということは、何を意味するのでしょうか。
軍医学校は、文字どおり軍医の教育・養成をするところです。ところで、日本の軍医が戦地で何をしていたか。元陸軍病院の軍医、湯浅謙さんが貴重な証言をしています。戦地の病院で数回にわたり生体解剖や人体実験を行っていたというのです。重要なことは、このおぞましい体験が、当時決して特別なことではなかったということです。 人骨が発見されたとき、この問題に関心を抱いたのは私たちだけではありません。その当時、遠く中国の地では、少なくとも3000名はいたと言われる「七三一部隊」の犠牲者のうち、59名が確認されていました。
その遺族のうち、夫を失った敬蘭芝さんと、父を失った張可偉さん、張可達さん兄弟は、91年7月、日本の外務省と新宿区に対して、「人骨」の保存と調査、身元が判明した場合の返還と補償を求めて申立書を提出しています。また調査を行わないことは遺族の人権を侵害することだとして、日弁連人権擁護委員会にも申立が行われ、日弁連は、これを受けて調査部会を設置、新宿区長、内閣総理大臣、厚生大臣に調査と保存を求める要望書を提出しました。申立書は、その後も数人から提出されています。この方たちは、1993年7月〜8月、「心に刻む会」主催の証言集会でも来日し、熱い思いを語ってくれました。 佐倉鑑定を読む 1991年8月31日から翌年3月31日の半年間、新宿区の英断により「人骨」の鑑定が実現しました。鑑定人は佐倉朔札幌学院大学教授(形質人類学)、一般に公表されたのは92年4月22日でした。 1、土中経過年数は数十年以上百年以下 この結果を皆さんはどう読むでしょうか。佐倉氏は公表後の記者会見で「戦争に関係のある骨だ」とはっきり言っています。(詳細は佐倉鑑定を参照)
人骨焼却差止住民訴訟事件 鑑定結果公表後、新宿区は今までの住民寄りの態度を一変させて「人骨の焼却・埋葬」を言いだし、92年度予算から、焼却予算を毎年計上しはじめました。逆に厚生省は、92年に入って、人骨の由来調査を開始しました。 人骨が発見されてから11年目の2000年6月14日、厚生省(当時)は、92年以来調査に取り組んでいた調査報告書を公表。そこで厚生省は、将来の由来調査を前提に、弔意を持って人骨を保管することを決定しました。(厚生省報告) 人骨が発見されてから15年目を迎えます。この間私たちは、裁判、厚生省交渉、新宿区交渉と、政府や関係機関の無責任を責め続け、集会やデモなどで訴え続けてきました。一方、中国側の資料の公開や七三一部隊展に触発された多くの市民の努力などで、戦時医学犯罪に関する研究は飛躍的に進んできています。また、七三一部隊の犠牲者、毒ガス戦・細菌戦の被害者たちが続々と日本を告発し、裁判闘争を始めるという状況も生まれてきています。 |
軍医学校跡地で発見された人骨問題を 設 立 1990年1月27日に行われた「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する住民の集い」をきっかけに、当日の講演者常石敬一氏を代表に迎え、同年4月3日、新宿区民や研究者等が集まり、設立しました。 活動内容 1989年に新宿戸山で発見された人骨問題の真相究明のために、今まで以下のようなことに取り組んできました。 ● 新宿区、東京都、厚生労働省、外務省など、関係する官庁との交渉 ● 新宿区議会議員、国会議員(旧厚生委員や真相究明法の立法を目指す議員等)への働きかけ ● 関連すると思われる731部隊犠牲者遺族の調査、面談、日本との交渉の橋渡し ● その他、証言者の発掘や調査に関連する事項など必要な学習・研究活動。定期的な集会の開催。 ● 人骨焼却差止住民訴訟(1999年12月19日最高裁判決) ● 731部隊展の準備と開催(1995年2月12日第1期終了) 事務局の活動 これらの活動に取り組むために、月一回の例会を開き、事務局や有志のメンバーが方針を議論しています。 会の最新の活動を知らせるために、年に10回前後「究明する会ニュース」を発行しています。(今後の発行回数は年6回を目指します) その他、適宜ブックレットの作成と販売に取り組んでいます。今回、人骨の保管が決定したことをきっかけに、今までの活動記録と今後の方針をコンパクトにまとめた、貸し出し用人骨問題解説パネルとパンフレット『「人骨」は訴える』を作成しました。ぜひご活用ください。
毎年定例的に取り組んでいる会の行事は以下の二つです。 1.お花見ウォーク 原則として4月の第1日曜日は、人骨発見現場や防疫研究室跡地(現在は戸山公園箱根山地区)を中心に新宿の戦跡をフィールドワークし、最後に戸山公園でお花見をします。 2.人骨発見集会 人骨が発見された7月22日前後には、毎年やや規模の大きい人骨発見集会を開催し、人骨問題について様々な側面からアプローチしています。 因みに、過去に開かれた集会は、以下の通りです。
年数回、当面の課題を解決する手がかりを得るために、小規模の学習会を必要に応じて開催しています。 これからの課題 究明活動を進める中で、最近明らかになったことは、89年に発見されたよりもさらに大規模に軍医学校や防疫研究室の医学標本類の遺棄があったことです。場所もほぼ特定されており、その発掘調査の具体的な道筋をつけることが、これからの重要な活動の柱です。 サポーター募集! 私たちは、無力な市民の集まりです。会の目的を達成するためには、皆さんのサポートがどうしても必要です。 具体的には次のような仕事を手伝っていただける方を募集しています。
会費・年会費は特に徴収しておりません。ニュースを購読していただくと、自動的に会員になります。ニュース購読料は、年間2000円です。また、カンパは常に求めています。最近ブックレットやパネルを作成したため、財政が逼迫してきました。カンパ大募集です! 《ニュース購読料・カンパ等の振込先》 郵便振替 00160−5−38651 人骨問題を究明する会 《究明する会で扱っているもの》
★究明するニュースの発行 購読料 一部100円 年間2000円(会費カンパ込み)
★フィールドワークの案内 人骨発見現場とその周辺地域の歴史探訪フィールドワークを行います |