厚生労働省への働きかけと対応

1.国(厚生省・厚生労働省)の態度

1989年7月22日

 新宿区戸山、国立予防防衛生研究所(戸山研究庁舎)建設現場から多数の人骨発見

1989年8月〜9月

 新宿区の三度の真相究明要求に対し、土地管理者の栄養研究所・厚生省は拒否回答

新宿区と厚生省のやり取り

8/ 5

新宿区、厚生省に身元確認などの調査を文書で要請

8/ 8

厚生省、次のように回答

「発見されてから現在まで身寄りの人からの申し出もない状況により…引取者の判明しないものとして速やかに手厚く葬っていただくことが適当」

8/21

区、厚生省に再度身元調査依頼

8/22

厚生省、再度拒否回答

9/ 5

新宿区議会、厚生省に身元確認の要請書提出

9/14

3度目の拒否回答

1992年2月27日

 山下徳夫厚生大臣、厚生省として初めて調査に取り組むことを示唆

1992年10月16日

 厚生省交渉。浜田淳保険医療局企画課長補佐、究明する会に調査状況を説明

 ★国立国会図書館で文献調査、軍医学校関係者への聞き取り調査、アンケート調査

1994年2月24日

 厚生省交渉。窓口は大臣官房厚生科学課に。本多一企画官、調査の進捗を説明

★アンケート回収は202通、聞き取り調査は7名。文献調査はこれ以上しない

1998年7/14 厚生省交渉。七三一部隊犠牲者遺族・王亦兵さんの申立書を渡す

1999年9月29日

 郭曼麗さん、厚生省と新宿区に、人骨問題の調査を求める手紙を携えて面会。厚生科学科の岡田誠治課長補佐は、92年に厚生省が行ったアンケートの回答内容について、はじめて口頭で公表

★上記に至るまでの中国からのアプローチ

1991/7/18

外務省アジア局長に731部隊犠牲者遺族、関係者、研究者からの*政府宛文書5通を渡す(後に担当は厚生省へ
*敬蘭芝、張可達、張可偉各氏の申立書。韓暁氏の論文2通(当会発行「夫を、父を、同胞を返せ!!満州第七三一部隊に消されたひとびと」参照)

1993/2/12

厚生省に731部隊犠牲者遺族の申立追加分を手渡す

1998/7/14

731部隊犠牲者遺族王亦兵さんの申立書を厚生省に提

1998/12/4

同張可達さん、張可偉さんの申立書を厚生省に提出

2000年3月14日

 金田誠一衆議院議員、厚生委員会で人骨問題を質問。厚生省は「調査の概要」を正式に発表。金田氏から、土地所有者としてではなく戦後処理の一環として調査すべきとの追及に対し、額賀福志郎内閣官房副長官は、調査の継続を約束                                

2001年6月14日 記者会見

2001年6月14日

 厚生労働省、「戸山研究庁舎建設時に発見された人骨の由来調査について」を公表。人骨が軍医学校の標本類の可能性が高いことを認め、人骨の保存を決定。防研跡地の発掘については現状では取り組む必要がないと述べた。

《報告書が示した今後の対応》

@ 当面厚生労働省で引き取る。
A 今後の調査の可能性もあるので、現状のまま引き取る
B 人体の一部であるので弔意を示しながら保管する

2002年3月27日

 遺骨は、戸山研究庁舎内の人骨発見現場近くに建てられた納骨施設に安置される。


2.国会質問と大臣・政府委員答弁

(1)1991年3月8日12日 衆議院法務委員会・3月13日 衆議院予算委員会第4分科会

質問者

鈴木喜久子衆議院議員(社会)

答弁者

井口説明員(科学捜査研究所)

内 容

人骨は20年以上経過。人種等の鑑定はしていない

(2)1992年2月27日 衆議院厚生委員会

質問者

鈴木喜久子議員

答弁者

山下徳夫厚生大臣

内 容

一体か二体ならともかくも、三十五体となりますと、これはやはり大きな一つの問題であると思います。…私といたしましては、これをただ単に十分調査しないで、無縁仏として弔うということは心残りがあります。今の局長のお話では、もう十分調査をしたと言っておりますが、さらに私の責任において周辺の聞き込み調査であるとかそういうこと等をもう一回やってみまして、また適当な時期にお答えすることといたしたいと思います。

(3)1992年4月24日 衆議院法務委員会

質問者

鈴木喜久子議員

答弁者

田原隆法務大臣

内 容

所管が違うが、うやむやにすることなく処理していきたい

(4)1993年11月11日 参議院厚生委員会

質問者

栗原君子参議院議員(社会)

答弁者

大内啓吾厚生大臣

内 容

札幌学院大学の佐倉教授のこの鑑定というのはなかなか貴重な鑑定ではないかなと、拝聴しておりましてそう感じた次第でございます。特に、具体的に頭部の損傷であるとか四肢ののこぎりによる切断であるとか、通常の場合ではそういう事態は考えられない事実が事実として鑑定で出てきておるわけで…その事実関係を究明するために今ご指摘いただきましたようないろんな報告書あるいはGHQ資料、その他の公文書、あるいは聞き取り調査等々を十分経まして、この事件の明確な解明の上に埋葬という問題を考えるべきであろうと考えておりますので、これをうやむやにして埋葬を急ぐ、こういうことは避けたい、こう思っている次第でございます。


(5)1996年3月25日 衆議院厚生委員会

質問者

岩佐恵美衆議院議員(共産)

答弁者

管直人厚生大臣

内 容

改めて調査を約束。92年に厚生省が行った軍医学校関係者に対するアンケートの内容をはじめて公表。

★アンケート内容

問1

平成元年7月22日旧陸軍軍医学校の敷地の一部(現在は国立健康・栄養研究所)から、工事中に発見された人骨については,新聞等で報道されましたがご存知ですか。

問2

当時陸軍軍医学校には、今回の人骨と思われる骨があったとお考えになりますか。

問3

今回発見された人骨は、どのような由来のものであるか、何かご存知ですか。例えば、どのような経緯の骨か、どのような人か、どのくらいあったか等について、自由にお書きください。

 

(6)2000年3月14日 衆議院厚生委員会 → 田口裕史さんのホームページに議事録が在ります

質問者

金田誠一衆議院議員(民主)

答弁者

額賀福志郎内閣官房副長官

内 容

「調査の概要」を正式に発表。土地所有者としてではなく戦後処理の一環として調査すべきとの追及に対し、調査の継続を約束


(7)2006年6月5日 衆議院衆議院決算行政監視委員会 
   

質問者

郡和子衆議院議員(民主)

答弁者

川崎二郎厚生労働大臣

内 容

石井十世元軍医学校看護婦の証言に基づいて、未だ埋まっている人骨(医学標本類)の調査を約束。6月23日には実際に石井さんから聴き取り調査を行う。

   

川崎厚労大臣の聴き取り調査
   6月23日(金) 厚生労働大臣室
   参加者 厚生労働省 川崎二郎厚生労働大臣
             安達一彦大臣官房厚生科学課長、屋敷次郎課長補佐、藤谷正課長補佐
             外山千也医政局国立病院課長、大島宏一同課監査指導室長 他3名
       証言者   石井十世(元軍医学校看護婦)、高橋美智子(姪)
       立会人   郡和子代議士、岡田明彦秘書
             人骨の会・川村一之、渡辺登、石川久枝




3.厚生省交

★人骨発見(1989年7月22日)

第1回 1991年1月28日
担当官; 植野克己保険医療局指導調査室長
本田清隆援護局庶務課長補佐

安高晴二国立健康・栄養研究所庶務課長

井上信久厚生事務官他
 土地管理者ではある(牛込署に通報し、新宿区に引き渡した時点で終了)が、身元確認の責任も組織もない。速やかな埋葬を期待する。
 厚生省設置法の「旧陸海軍の残務の整理に関すること」とは恩給履歴証明等のことであり、人骨の身元調査はこれに該当しない。

山下厚生大臣答弁(1992年2月27日)

第2回 1992年10月16日
担当官; 浜田淳保険医療局企画課長補佐
 鑑定後初の厚生省交渉。窓口は保険医療局
 調査は厚生省保険医療局、国立栄養研究所、国立予防衛生研究所の三者で行う。予算はない。
 文献調査:国立国会図書館で「人骨」「軍医」「軍医学校」で検索。アンケート調査:100人程度に行う
聞き取り調査:代表者みたいな人から当たっている。他に佐倉朔教授にも聞いた。
 新宿区との協議を5月13日、29日の2回行った。

★担当部署変更

第3回 1993年2月12日
担当官; 浜田淳保険医療局企画課長補佐
  聞き取り調査は10人前後、アンケート調査は約300人で本年度いっぱいに回収の予定。文献調査は続行中。国立公文書館にも当たる。
 731部隊の犠牲者遺族からの申立書は、外務省から廻ってきている。
  究明する会、追加分として、敬錫成氏の申立書を渡す

第4回 1993年5月26日
担当官; 浜田淳保険医療局企画課長補佐
  アンケート調査は3項目、内容は教えられない。296通を発送し、150通返ってきた。

第5回 1993年9月27日
担当官; 本田一大臣官房厚生科学課企画官
 アンケート発送数は249名。回収は200あまり。文献調査はGHQ資料などにあたる

第6回 1994年2月24日
担当官; 本田一大臣官房厚生科学課企画官
 アンケート発送数は293名(最終確認)。回収は222通。聞き取りは終了。10人にあたり7人から回答、公表はしない。まとめに入っている。墓地埋葬法の適用(人骨の焼却)にこだわっていたが、重大な戦時犯罪の証拠であることが判明した場合は、それに応じた対応をする。

第7回 1995年10月18日
担当官; 原勝則大臣官房厚生科学課企画官
 調査は続行する。アンケート調査の発送先は、医校会名簿から。「正直言って荷が重い」
 究明する会から共同調査の申し入れに同意

第8回 1996年10月30日
担当官; 宇野隆夫大臣官房厚生科学課課長補佐他
 究明する会から、アンケート調査の項目が不十分であると迫った事に対し、アンケートの取り直しはしないと回答。聞き取り調査は続ける。

第9回 1997年6月25日    
担当官; 依田昌男大臣官房厚生科学課課長補佐他
 究明する会から、北海道大学古川講堂「旧標本庫」人骨問題調査会の報告を資料として提供

第10回 1998年7月14日
担当官; 星川信貴大臣官房厚生科学課課長補佐他
 究明する会、731部隊犠牲者遺族・王亦兵さんの申立書2通(人骨の身元確認と防研跡地の発掘調査を要望する内容)を提出

第11回 1998年12月4日
担当官; 高原亮治大臣官房厚生科学課課長
星川信貴・須田康幸大臣官房厚生科学課課長補佐

川瀬芳文病院部経営指導課施設整備管理室室長補佐
 防研跡地の発掘調査について、張可偉・張可達両氏の申立書を提出したが、発掘の意思なしと表明

第12回 1999年6月23日
担当官; 星川信貴・須田康幸課長補佐
川瀬芳文室長補佐・宮下 管財係長
 できるだけ早く公表したい。

第13回 1999年9月29日
担当官; 岡田誠治大臣官房厚生科学課課長補佐
 敬蘭芝さんの娘・郭曼麗さん同席。身元確認と発掘調査を求める申立書を提出。
  アンケート調査の一部を公開。293名に送付し、150通の回答があった。「知らなかった」が127通、「医学標本ではないか」が14通、「解剖実習に使用されたもの」が3通、「戦場の遺棄死体から、戦傷例として頭部の傷を選別して持ち帰ったと聞いている」が5通、「病理学教室の研究には戦死体が必要なので、卒業生に戦死体を軍医学校に送ってほしいと言われていた。実際に送ったものもいたかも知れない」が1通。いずれも伝聞。新しい情報がなければ最終報告を出す方針。

厚生労働省「戸山研究庁舎建設時に発見された人骨の由来調査について」を公表。
 遺骨の保管を決定
(2001年6月14日)

第14回 2001年9月21日
担当官; 原口真厚生労働省大臣官房厚生科学課課長補佐
亀谷康治同課長補佐
 年度内に国立感染症研究所内に独立した納骨施設を設置する予定。

第15回 2001年12月26日
担当官; 原口真厚生労働省大臣官房厚生科学課課長補佐
亀谷康治同課長補佐
 納骨施設の設計図等を公表。予算は約九百万円(\8,662,500)。着工は11月7日。

★冷たい雨の中、完成した納骨施設に納骨式(2002年3月27日)

弔辞を読む亀谷課長補佐 遺骨に手を合わせる金田誠一代議士 納骨施設の中はこんな感じ

第16回 2003年3月10日
担当官; 内閣官房副長官補室                 高田真里参事官補佐
厚生労働省大臣官房厚生科学課            赤澤公省課長補佐
厚生科学課                     宮治武美課長補佐
厚生労働省健康局国立病院部経営指導課施設整備管理室 河内和彦管財係長
国立病院部経営指導課施設整備管理室         吉田秀宏管財専門官
 納骨施設に訪れた人 : 一年間で約300名
 まず、納骨施設建設について謝意を述べた後、土地管理者として厚生労働省のみが調査に当たるのではなく、戦争中の未解決問題として国を挙げて取り組むよう要請。(請願書提出) 
宮治課長補佐に請願書を手渡す 高田参事官補佐に請願書を手渡す
究明する会 まだ埋まっている?
資料に見入る政府側参加者
政府側

第17回 2004年3月10日
担当官; 厚生労働省大臣官房厚生科学課            中村博治課長補佐
厚生科学課                     宮治武美課長補佐
厚生労働省健康局国立病院部経営指導課施設整備管理室 河内和彦管財係長
国立病院部経営指導課施設整備管理室         吉田秀宏管財専門官
 納骨施設に訪れた人 : 一年間(2003年3月〜2004年2月)で218名
 89年人骨の個体数確認と遺族確認のため、DNA鑑定、ミトコンドリアDNA鑑定、スーパーインポーズ法による三次元化データの測定などの実施を要請。また、旧防疫研究室跡地の調査を要請。(請願書提出) 
宮治課長補佐に請願書を手渡す 厚生労働省の皆さん 対応を迫る金田議員

第18回 2004年12月15日 
担当官; 大臣官房厚生科学課 鹿沼均課長補佐、坂本浩亨課長補佐 他1名
 金田誠一代議士立会いの下、スーパーインポーズ法による身元確認を求めた王亦兵さんからの申立書を提出 
関連した交渉 対内閣府  大臣官房総務課 伊澤誠資課長補佐、他1名
対外務省  アジア大洋州局中国課 岡田誠司首席事務官、川合淳外務事務官
厚生労働省
 右から鹿沼課長補佐、坂本課長補佐
内閣府 井澤課長補佐 外務省 岡田首席事務官、川合外務次官

第19回 2005年3月14日 
担当官; 大臣官房厚生科学課 鹿沼均課長補佐、坂本浩亨課長補佐、野澤勇一課長補佐
 金田誠一代議士立会いの下、スーパーインポーズ法による身元確認を求めた朱玉芬さんからの要請書を提出
朱玉芬さんの申請書を手渡す ゼロ回答の厚労相・鹿沼氏

第20回 2006年3月22日
担当官 坂本浩亨課長補佐、野澤勇一課長補佐、齋藤基輝指導係長
陸軍軍医学校が所有した標本類や所蔵資料の品目リストの提示を求め、厚労省は調査を約束
厚生労働省社会援護局調査資料室が所有する人事関係資料リスト(防疫給水部の留守名簿、部隊略歴、入院患者名簿等)の一部を公開。ただし、医事関係衛生関係資料についてはないという回答を得る
質問及び要請書を提出 資料を基に提示資料の不足を説明する川村さん

第21回 2007年3月13日 
担当官 厚生科学課 藤谷正課長補佐
医政局国立病院課監査指導室 小川益男室長補佐、岩瀬康裕管財係長
昨年の川崎厚労大臣の聴き取り調査以降の進捗状況を訊く
自衛隊衛生学校(彰古館)が保管する陸軍軍医学校の標本類、所蔵資料の品目リストの提出を求める
人骨遺棄現場の当時の所有者を調べるための不動産登記簿記録の調査(質問・要望書提出))
質問・要望書を提出 郡和子議員の仲介で話し合い 話し合いに参加した人々

第22回 2007年7月4日
担当官 大臣官房厚生科学課 藤谷正課長補佐
医政局国立病院課監査指導室 安野豊室長補佐(07年4月赴任)
岩瀬康裕管財係長
自衛隊衛生学校(彰古館)が保管する陸軍軍医学校の標本類、所蔵資料の品目リストの提出を求めるー第31回日本病理学会総会での平井正民中佐の特別講演(S16)で、軍医学校における標本の存在は明らか。大東亜戦争陸軍衛生史<巻6>、彰古館往来(防衛ホームに連載)シリーズ31などで、それらの標本が国立第一病院を経て自衛隊衛生学校に移管されたのは明らか。

第23回 2008年3月6日
担当官 大臣官房厚生科学課 藤谷正課長補佐
医政局国立病院課監査指導室 安野豊室長補佐
岩瀬康裕管財係長
陸軍軍医学校と国立東京第一病院(→国立国際医療センター)は一体不可分であったことを強調
自衛隊衛生学校(彰古館)が保管する陸軍軍医学校の標本類、所蔵資料の品目リストの提出を求めるー衛生学校三十年の歩み参照
要請書を提出 郡議員からご挨拶 終わった後、喫茶店で一息

第24回 2009年3月17日
担当官 大臣官房厚生科学課 飯野賢一課長補佐
医政局国立病院部監査指導室 小野勝課長補佐・飯吉徹也管財係長
新たな人骨発掘調査に目処。現在の居住者が全員引っ越したところで、来年中にも発掘計画を具体化
要望書を手渡す

第25回 2010年3月18日 
担当官 大臣官房厚生科学課 飯野賢一課長補佐
医政局国立病院部監査指導室 納富修課長補佐・飯吉徹也管財係長
来年度(2010年度)戸山5号宿舎跡の遺骨発掘調査予算計上
遺骨発掘調査の体制について協議。戦死記録の資料公開について
新宿区の埋蔵文化財包蔵地 要望書を手渡す 右から飯野氏、納富氏、飯吉氏 終わった後、郡議員を囲む

第26回 2010年8月4日
担当官 医政局政策医療課 河内和彦企画調整官
         西岡雄飛運営管理係長
         佐生啓吾予算係長
大臣官房会計課施設整備室 渡辺久志営繕専門官
 戸山5号宿舎の解体工事実施。8月中に解体工事決定。工事終了は11月19日。その後、試掘を行う。改めて外溝工事の業者を入札により決める。試掘の結果何か出てきたら改めて協議。
入札説明書
集会アピールを渡す 於厚労省共用第五会議室 白熱する議論 渡辺氏、河内氏、西岡氏

第27回 2010年   12月2日
 担当官 医政局政策医療課 河内和彦企画調整官
         西岡雄飛運営管理係長
 戸山5号宿舎の解体工事終了
 この間、新宿区や東京都からも、協議の席で掘り残しのないようと言われているし、89年の発掘調査に関わった担当者からもヒアリングしている。
 ここまで遅れているのは、試掘調査を慎重に進めているため。

第28回 2011年   2月4日
 担当官 医政局政策医療課 河内和彦企画調整官
         西岡雄飛運営管理係長

大臣官房会計課施設整備室 渡邉久志営繕専門官
発掘調査に関する入札開始(入札仕様書
 調査は2月中に開始し、3月末には終了予定
 発掘に当たり、埋蔵文化財の専門家2名を常駐。2月中に6ヵ所試掘。3月にはすべて掘る
 人骨の会・常石(右)から発掘に関するコメントを配布。左から西岡、河内、渡辺の各氏 

第29回 2011年 7月7日( 木)
 担当官 医政局政策医療課 河内和彦企画調整官
医政局国立病院課運営管理係 松田優樹事務官
6月30日に発掘調査終了。人体標本類は発見されず
互いに公表文書を交わす
厚労省の公表文書  人骨の会のコメント  5月30・31日の現地説明会配布資料


<財務省交渉>

第1回 財務省交渉 2011年 12月26日(月)  
 担当官 関東財務局管財第一部第三統括国有財産管理官 山上一夫上席国有財産管理官
関東財務局管財第一部第三統括国有財産管理官 木村浩三統括国有財産管理官
東京財務事務所第七統括国有財産管理官     池野義一主任国有財産管理官
2012年2月3日試掘開始、2月9日以降本調査開始、3月末日までに終了予定 → 資料

第30回 2012年4月6日(金 )
 担当官 大臣官房厚生科学課 甲田徳康課長補佐
6月30日に発掘調査終了。人体標本類は発見されず
731部隊犠牲者・李鵬閣さんの身元確認を求める李鳳琴さんの申立書及び張慧忠さんの身元確認を求める張可偉さんの申立書を渡す
李鳳琴さんの要請書 李鳳閣さんの写真 張可偉さんの要請書 張慧忠さんの写真

第31回 2012年 4月13日(金)
 担当官 大臣官房厚生科学課 甲田徳康課長補佐
王亦兵さん、王暁光さん親子が直接対面。大連黒石礁事件の犠牲者・李振声、劉万会、楊学礼、李忠善各位の身元照合を求める要請書を提出
要請書 李振声さん写真 劉万会さん写真 楊学礼さん写真

第32回 2013年 3月21日(木)
 担当官 大臣官房厚生科学課 甲田徳康課長補佐
人骨の保管状況を問う(後に適切に保管されているとの回答)

第33回 2014年3月26日(水)
担当官 甲田徳康課長補佐 
死因究明2法との関連を問う  財務省若松住宅跡から発掘された遺物の扱いについて


このページのトップに戻る


厚生労働省の方針 厚生労働省の調査報告  陸軍軍医学校建物配置図


inserted by FC2 system