軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』94号・要約

人骨発見13周年集会報告 「戸山人骨」鑑定の頃

7月21日(日)、恒例の集会を開催。お昼頃納骨施設に献花をした後、午後2時から人骨鑑定者の佐倉氏の講演。参加者は40人。

佐倉朔氏講演

 佐倉と申します。10年前に公表された鑑定書の鑑定人です。国立科学博物館人類研究部にいた。専門は人類学。人類学の対象は、形態、歯や骨を扱うもの、生理学、生化学、遺伝学的などいろいろあるが、私の専門は形態。
 もともと法医学の研究室にいたことがあるので、裁判所、弁護士、行政などから鑑定の依頼は多くある。人骨が発見されて間もなく新宿区から相談があり、その後、新宿区は実際に鑑定することを決定し鑑定人を探したが見当たらなかった。二年経ち、私が札幌学院大学に赴任した時鑑定依頼があり、それで受けた。
 骨は新宿区百人町の葬儀屋の地下室に保管してあった。設備のない、湿っぽくて暗くて大変な部屋に、ダンボールに骨のかけらが詰めて積んである。そういう状況。

公営舎の地下室に並ぶ人骨
佐倉 朔 教授

 鑑定ができるような設備をさせた。そのお金はみんな鑑定料につけてきた。飛行機代が一回で4万円、通算すると旅費だけで100万円かかった。
 鑑定資料はとってある。現場で骨の形態を調べて、記載して、計測する、写真も撮った。血液型など自分でできないことは専門家に頼む。そのために随分骨を切り取った。必要な資料をある程度持ち出してそれぞれの専門家に依頼したり、意見を聞いた。人骨に付着していた土も、専門家に検査依頼した。できることは、万事可能な限りやった。
 その結果、翌年の3月、年度末に鑑定書を出した。いろいろな問題があるので記者会見をやった。鑑定書を出す前から、マスコミから取材された。新宿区は私が鑑定人であることは伏せておきたいというので、誰が鑑定人かはわからないけれども、一般的な学問的な話ならできるということで取材を受けた。

対談・佐倉 朔×常石 敬一
  • 常石――
    • 佐倉先生の鑑定という事実の裏づけがあって、それに基いて運動をしてきたのが、今日の状況につながった。いくつか質問したいことがある。89年に新宿区からアプローチを受けたとおっしゃった。その時に新宿区は、警視庁の発表以上の情報を持っていなかったのか、それとももう少し詳しい情報を持っていたのか。
  • 佐倉――
    • はっきりしたことは言えないが、私の勘ではもう少し知っていた。文化財係の人は骨を見ている。
  • 常石――
    • 手術痕や銃創痕、銃剣痕があることは、佐倉先生の鑑定で初めて分かったが、それを新宿区は知っていたということか。
  • 佐倉――
    • そう。
  • 常石――
    • ということは、当然厚生省も知っていたと考えるが、どうか。
  • 佐倉――
    • 分からなければいけないのは警察。厚生省はどうか…
  • 常石――
    • 佐倉先生の鑑定を読むと、きちんとした頭骨と言うのは10体も20体もない。それで警視庁の発表は、任意に4、5体選んだら犯罪の形跡はないと書いてある。任意に選んで何もないというのは随分不思議な話だ。
  • 佐倉――
    • そう思う。
  • 常石――
    • 出土した土の分析から何が分かったか。
  • 佐倉――
    • 建設現場なので、形状は調べられなかった。PHは調べた。酸性なら腐りやすく、アルカリ性だと長年持つ。保存状態が変るので経過年数を調べるのに役に立つ。
  • 常石――
    • 警察が鑑定した頭骨はわかったか、例えば土がついていなかったとか。
  • 佐倉――
    • 一個は分かった。何故かというと頭の上に鉛筆でマークがついている。何か測るために目印につけた(と推測する=編集者補筆)
  • 常石――
    • 公式な記者会見の前から、複数の新聞社から弾で撃った跡があるとか刀で切られた跡があるという話を聞いていたが。
  • 佐倉――
    • どこから漏れたのか不思議に思う。マスコミは取材源をいわない。でも結構調べている。
  • 常石――
    • 先生が博物館におられた頃には鑑定が実現しなかった。新宿区は正式に依頼をしたのか。
  • 佐倉――
    • した。
  • 常石――
    • しかし館の方で断ってしまった。その理由というのは?
  • 佐倉――
    • 本当の理由は想像するだけ。公式には、博物館の研究者の業務にそぐわないと。
  • 常石――
    • 実際には佐倉先生の研究の一部ではないか。
  • 佐倉――
    • そうだ。許可を受けるまでもなく、鑑定はいくらでもやっているから。今回は新宿区がお伺いを立ててきた。
  • 常石――
    • 想像される本当の断った理由というのは?
  • 佐倉――
    • 戦争中の軍隊が関係していたようなことは社会的に難しい問題である。役人どうしだから、厚生省の立場がまずくなるようなことを文部省が引き受けない方が良いという判断があったのではないか。
  • 常石――
    • その後、聖マリアンナ大学とか慈恵会医大の先生に新宿区がアプローチし、それもだめになったと聞いている。何かご存知か。
  • 佐倉――
    • 依頼されたのは人類学の仲間だから、大体事情はわかっている。
  • 常石――
    • 複数の研究者に新宿区がアプローチしたけれども断られたというのは事実と考えていいか。
  • 佐倉――
    • 私が国立科学博物館にいたときに依頼があって、博物館として断ったというのは事実。他はよそのことだから、はっきりとはお答えできないが、大体事情は知っている。理由は主に二つ。一つはやはり機関として引き受けない方が良いと言う判断があった、もう一つは研究者自身が自信がなかった。
  • 常石――
    • 僕の質問は終わり。会場からご質問いただけたらと思います。

(以下次号)

パネル展示『「人骨」は訴える』新宿の各地で公開

 組パネル『「人骨」は訴える』が完成。7月13日~21日は新宿区早稲田奉仕園で、8月12日~17日は新宿区若松地域センターで展示。8月は、平和のための戦争展の企画で、長谷川順一、川村一之両氏がフィールドワークを行い、そのコースに組み込んで、パネルを見学した。

以下省略

2002.9.8

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