The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
佐倉と申します。人骨発見13周年ということですが、鑑定をして11年、鑑定書が出たのは10年前、その鑑定人であります。細かい学問上のことは、あとから質問があればお答えすることに致しまして、鑑定前後のいきさつ、その後のいきさつなどについて、思い出話としてお話しようと思います。
私は、国立科学博物館分館(新宿区百人町)の人類研究部におりました。専門は人類学です。人類学の対象は、体の形態、古代人なら骨、歯、さらに生きている人間の顔かたち、それから生理学・生化学に関係したようなもの、近頃特に発展しております遺伝的なDNAなどの問題、いろいろな化学成分の問題、こういうものが対象としてあるわけです。私の専門は形態ですが、形を理解するためには人の生活全般、すなわち生理学、生化学、遺伝学、いろいろなことが全部関係しています。
もともと法医学の研究室にいたことがあるので、裁判所、弁護士、行政などから鑑定の依頼は多くあります。一番多いのは親子鑑定。弁護士や裁判所から鑑定依頼或いは鑑定命令を受けて、子どもの父親は誰だという鑑定を引き受けたことがあります。後は形態に関係したものとして、身元不明死体の鑑定も結構あります。
新宿の戸山人骨が出たとき、鑑定ができるのかできないのか、やった場合に何がわかるのか、そういうことを新宿区は予め考えていたと思います。究明する会が初めから言っていたことは、戦争犯罪、特に731部隊と関係があるのではないかということで、こういうものにある程度答えられるような鑑定でないとやっても意味がない、新宿区はそれができる人はいるのかいないのか、鑑定をやった場合どこまで分かりそうなのか、予め見当をつけて鑑定を頼んだと思います。人骨が発見されて間もない頃、すでに新宿区から相談がありました。もし鑑定した場合に、できる人はいるか、何がどこまでわかりそうか。
その後、実際に鑑定することがきまり、鑑定を引き受ける人を探したが見当たらなかったわけですね。それで二年経ち、私は国立科学博物館の研究官―これは国家公務員―を定年前に辞め、札幌学院大学に赴任したわけですが、その時、新宿区から鑑定依頼がありました。私は、個人では引き受けてもよいと思いました。私がやればある程度のことはできるという自信みたいなものもありました。しかしながら私も大学に勤めているわけです。鑑定は個人の資格でやるわけですけれども、組織のことを考え、大学にお伺いをたてる。ところが、学長と私の属している人文学部の学部長、二人ともどうぞどうぞというわけで、新宿区に返事をして、それから正式な依頼という事になった。
それで、新宿区から骨を見せるからと言われ、見に行きました。予め下見をしてだいたいどんなものか、こういう材料だったら、私の能力を使えばこれくらいのことはできるかも知れないという見当をつけて、それから正式に鑑定となる。見当がつかないと鑑定もやみくもには出来ない。その上で正式な依頼があるということになります。しかし札幌学院大学は札幌の近くの江別市にあり、骨は新宿区百人町の地下室に保管してあるわけでして、おいそれと見に行くことはできません。
それで、骨を見に行きました。地下室でちゃんとした部屋じゃないんです。ただちょっと空間があるというだけで、床も張ってなくて泥がでて、電気はコードを引っ張ってありまして一応つくんですけれども完全じゃないんです。それから骨を調べるとなったら。ついている泥をきれいに洗ってから始めるのですが、そのための流しの設備もないんです。湿っぽくて暗くて大変な部屋です。そこにダンボールに骨のかけらが詰めて積んである。そういう状況です。
鑑定をやるには研究室みたいな設備が必要で、新宿区もいろいろ考え、廃校になった小学校が使えるかもしれないということで当たってくれましたが、使えなかった。学校を管理しているところと鑑定を依頼している福祉課と違う、お役所仕事で縦割りの関係があると私は想像しています。いずれにしろ葬儀屋の地下室でやることになり、これは困ったことになったと思ったんですけれども、しょうがないから、この部屋に流しをつけて、電気も証明だけではなく、例えば骨を切りとるドリルにも使う、そういう設備をさせた。
そのお金はみんな鑑定費用につけてきた。やはり区としては、建物の設備、施設などにお金を使うというのは手続きが大変なんです。まして民間の葬儀屋の地下に新宿区の費用で設備をつくるなんて出来ないですね。それで面倒くさいから鑑定費用にぶち込んできた。鑑定費用が高くなっているのは大部分設備費です。
それから一番大変なのは、札幌に住んで授業もやっていて、骨を札幌に持っていけば簡単なんですが、東京から持ち出したちゃいかんというのですから、週末の三日間くらい、毎週毎週根詰めてやりました。そうとう往復費用がかさみまして、札幌―東京の往復は当時飛行機代が一回で4万円、通算で25回くらいなので、旅費だけで100万円くらいかかりました。
鑑定資料はずっと大事にとってあります。札幌から東京に移転するのに、家の中に荷物をおくところがないものですから、ちょっと遠くに置いてありまして、先週その一部を調べ、アルバム一冊だけもってきました。人骨の写真もあります。これが地下室で、テーブルの上に骨が並べてあります。このような状況の部屋で鑑定作業を行った。それで夏から秋頃まで、実際の仕事をやりました。鑑定の内容については、今日の資料に全文あるので見てください。現場では骨の形状を調べて、記載して、計測する、そういうことはできるわけです。そのときのノートもあります。測定する項目をぎっしり並べたこういう紙に書いていく。実際にデータを書き込んだものがありますから、興味のある方は後でお読みいただきたい。写真も随分とりました。
こういう現場でできることだけではなく、例えば血液型は私自身でできないので専門家に頼む、そのために随分骨を切り取っています。そういう必要な資料をある程度持ち出して、それぞれの専門家に依頼したり、意見を聞いたりしました。こういう検査をやる価値があるのかということも含めて。もう一つは人骨に付着していた現場の土の調査。発掘には立ち会っていないので、土の資料は骨にくっついていたものしかない。この土を集めて、これも専門家に検査依頼しています。できることは、骨の形状に限らず、万事可能な限りやりました。
その結果こういう鑑定書が出来ました。鑑定書のコピーがあります。これが本文で、これは別冊、別冊は主に写真です。
それで、翌年の3月31日、年度末に鑑定書を出したんですが、これはいろいろ社会的な問題があるので記者会見をやってくれと。ものすごい数の報道関係者が集まりまして、常石先生もおられましたね。日本の新聞社、テレビ局が50社くらいあった。外国のものもあった。一番大勢来ていたのはNHKで6人くらい。しかし、この問題に一番関係が深いと思われる中国系、韓国系が、どういうわけか一社もなかった。
鑑定書を出す前から、実はいろいろマスコミから取材されましたが、その時に、新宿区は私が鑑定人であることは伏せておきたいということだったので、私が鑑定人ですよと言えない。誰が鑑定人かはわからないけれども、一般的な学問的な話ならできますよということで取材を受けた。
その後、鑑定の記者会見がありました。それから2~3年経って、やっと韓国のソウルテレビが札幌まで取材にきた。外国の取材はそれだけです。その後もちょいちょい他から問合せがあります。最近、東京のあるマスコミから電話がかかってきて、人骨焼却差し止め訴訟の最高裁の判決が出そうだから話が聴きたいと。いいよといっておいたのですが、しばらくしてまた電話がかかってきて、実は判決が遅れるので取材も延期するということで、実際に判決が出たときは取材はありませんでした。
判決は出ましたが、一方において厚生労働省の方が態度を変え、陰ながら喜んでいるわけです。
雑駁な話ですが、そういういきさつです。
2002.7.21
定期購読者募集ページへ