The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
川村 一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)
「人骨の会」は2018年3月19日、「人骨」の身元確認に必要な「新たな調査の手がかり」(「人骨の由来調査」報告書2001年6月14日)となり得る安定同位体比検査の適用を求めて大臣官房厚生科学課と話し合いを行った。厚生科学課からは阿部友喜課長補佐ほか1名、「人骨の会」は常石、鳥居、平野、奈須、川村の5人が参加した。
(2018年3月22日 記)
安松 狢
本企画は、参加者の大幅増が見込まれたので長谷川順一さんにお願いし、ガイド2名体制で、2グループに分けて行った。参加人数は48名。
早稲田駅から出発して、元731部隊少年隊の篠塚良雄さんが軍医学校に通っていた時に宿泊していた清源寺の前を通る。軍医学校、東京第一陸軍病院、陸軍砲工学校から戸山学校の跡へ。その後防疫研究室跡を見て、女たちの戦争と平和資料館(wam)を訪れる。
女性が自ら性を管理されることを選んだかのように見せるシステム、性暴力を女性に責任があることのようにとらえる視線、被害の告発を許さない社会の空気は、今も続いている。
阿部 五百子
賑やかで親しみのある新宿のイメージが一変。陸軍軍医学校は「731部隊」について、wam資料館見学では「慰安婦」問題。見学できてとてもよかった。
保里 十志男(撫順の奇蹟を受け継ぐ会東京支部)
元731の少年隊員で中帰連会員だった篠塚良雄さんのお墓は、千葉県匝瑳市の妙福寺にある。1997年、中帰連千葉支部の人たちは境内に「中帰連之碑」を建立した。黒御影石造りで裏に建立者52名の名前がある。
碑建立の同年、篠塚さんを顧問、私を団長として戦争展有志で北京・ハルビン・撫順を巡るツアーを企画した。ハルビンへの飛行機が北京空港の事故で飛ばず、ホテルに半日缶詰になった。ようやくハルビンの731部隊跡を訪れて篠塚さんの説明も聞き、撫順戦犯管理所に着いた夜、同室の篠塚さんの「私は北京であのまま飛行機が飛ばないことをずっと祈っていました」との言葉に衝撃を受けた。平和のためと唱えながら氏の葛藤に気付かなかった自分は大目的のために犠牲者の心を省みなかった731の医学者と同じ過誤に陥っていた。
当日の観藤会は東京からのツアー22名のほか、受け継ぐ会の千葉関係者、日中友好協会の千葉及び東葛支部からも参加があり、篠塚さんのご息女・お孫さんも含め総勢38名が参加した。
佐藤 潔(撫順の奇蹟を受け継ぐ会東京支部)
歴史の真実がねじ曲げられ、アジア侵略が正当化されるような動きが強まっている。特にネット社会で差別排外主義が扇動される風潮に強い危惧を抱いている。
敗戦後の1950年に、撫順戦犯管理所へ抑留先のシベリアから移された日本軍関係者や“満州国”官吏らが、中国側職員の粘り強い働きかけで、徐々に自らの罪行を告白し謝罪するという過程は、加害体験の総括という世界史上でも稀な出来事であった。
帰国した人々が中帰連を結成して国内で加害体験証言を精力的に展開、その志を継承しようと結成された「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に、私も参加している。
731部隊について、日本国内にその爪痕があるらしいということは、以前から聞いていた。
1988年には「陸軍」「軍医学校」と記されていたものが、「医療センター」「駐車禁止」と書き直された。傍らには1997年に埋められた地下道入り口もある。
麹町から戸山に移転した1929年に天皇裕仁が訪問。731部隊長の石井四郎が具申して軍医学校地下に防疫研究室が新設されたのは1932年。
花を手向け、参加者全員で黙祷。案内の鳥居さんの「ここはあくまでも一時保管施設」との説明が印象的。身元確認が実現され、母国への帰還がかなうまでは、決して解決にはならない。
アメリカに731部隊の研究成果を売り渡して戦犯訴追を免れた彼は、自分の行為についての告白はない。彼らの研究“成果”がその後のアメリカの戦争や自衛隊衛生学校でも“活用”され、軍事医学のネットワークが、一切の反省なしに戦後の医学界の重鎮となった。
最後に、御説明をいただいた鳥居さんに感謝。
毎日新聞:陸軍富士山で航空医学研究《2018年4月4日(水)》
9月24日の「所沢飛行場・アメリカ軍基地巡り」には、たくさんの方に参加して頂き感謝。
前回の資料を加えた感想やアンケートには励まされた。
私が所沢飛行場に興味を持ったのは、歴教協所沢支部で、基地が返還されて間もない1976年頃に返還跡地に入った時の印象が鮮烈だったのがきっかけ。米軍は、日本軍の航空整備学校をそのまま使用していたようで、飛行学校や講堂、倉庫などがほぼそのまま。子どもたちに侵略戦争に関わってきた日本初の飛行場であること、講和条約後も在日米軍基地を置いたため、敗戦後も所沢が軍都として出発したこと、住民の工夫した米軍基地返還運動の成果として新しい所沢の街が生まれたことを教材化したいと考えた。
2017年11月30日 篠原 謙
ウィーン発AFP《2018年4月20日》
7月22日(日)午後1時30分~
ウィズ新宿・会議室
報告Ⅰ:背蔭河の石井部隊 川村 一之(元新宿区議・調査会法市民会議事務局長)
報告Ⅱ:いつの間にか始まった石井部隊 常石敬一(神奈川大学・人骨の会代表)
資料代:500円
主催:軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・新宿区婦人問題を考える会
連絡先:080-3157-1858(鳥居)/メールアドレス:jinkotsu731@yahoo.co.jp
2018.5.27
定期購読者募集ページへ