軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』167号・要約

発掘調査の出土遺物、財務省が処分を検討 厚労省交渉で明らかに
― 人骨の会は一括保管を要望

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

於中央合同庁舎第5号館・第4会議室

 3月26日(水)、約一時間の厚生労働省交渉。究明する会からの参加者は常石、川村、石川、平野、鳥居の5名。厚労省側は甲田徳康大臣官房厚生科学課課長補佐が対応した。

 発掘調査の出土品について。戸山5号庁舎跡のものは厚労省と新宿区が分け合って保管。財務省若松住宅跡のものは、関東財務局がコンテナボックス20箱に詰めて現地に置いてあるが、その土地を手放すまでの間に保管先を探している。究明する会でも預かれるかどうか検討するということで資料のデータをいただいた。

 新たな調査・鑑定は、現時点では実施する状況になく、引き続き人骨の身元確認に資する技術開発の動向を見守る。
 核DNAよりも保存の良いミトコンドリアDNAについて、東日本大震災の被災者に関して成果を上げている。戸山人骨もデータベースを作っておいてはどうかという質問に対しては、由来があいまいな状態では実施できないという回答。
 死因究明2法と人骨調査について、厚労省から警察庁に確認したところ、新法の中で今回の人骨調査を想定はしていないとのこと。

順調に進むDVD上映会
徐々に参加者を増加させながら第四回まで終了

安松 狢

第三回DVD上映会
証言:松本博さん(南京1644部隊)、丸山茂さん(広東8604部隊)
松本 博 さん
丸山 茂 さん

 4月13日(日)開催。参加者25名。全血採取実験を体験した松本博さん、地域住民への感染実験を体験した丸山茂さんのお話を伺った。

アンケート結果報告
省略

第四回DVD上映会
証言:竹花英逸さん(シンガポール9420部隊)、目黒正彦さん(大連衛生研究所)

 5月11日(日)開催。約30名の参加。竹花さんは「ノミと鼠とペスト菌を見てきた話―ある若者の従軍記-」という著作を著し、シンガポールの体験を告白した。目黒さんは研究者として七三一部隊に召喚の後、大連衛生研究所に派遣。731部隊では、毒ガス野外実験にも同行。

第4回にして、会場もかなり埋まった
少年隊員が語る細菌戦部隊・篠塚良雄証言
上映会第一回、第三回における常石代表の解説

常石 敬一(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)

最初の解説(2本のビデオの間)

石井機関を説明する常石

 僕が七三一を研究した理由は、科学者がどれくらい自分勝手な事をやるのか、どこまで残虐なことができるのか、という事に自分自身の問題として非常に関心があった。僕は元々物理学をやっていたので、原爆の問題に突き当たる。核分裂が実際に起ることが発見されたのは1938年のドイツ。ドイツから逃れた有能なユダヤ人科学者たちの進言でアメリカが開発し、1945年の春頃に完成。7月に実験、8月に広島と長崎で使い何十万人という方が亡くなった。そのニュースに原爆開発に関わっていた物理学者たちは激しく後悔した。それだけ想像力のある人がなんで開発に関わってしまったのか。

 兵器で言うとABCというのが近代兵器で、Aが核兵器、Cは化学兵器、Bが生物兵器・細菌兵器。日本である程度軍事的に意味があるレベルだったのは生物兵器であり、さらに人体実験すらやっていた。そこに医者たちが飛び込んでいった訳を調べたいと考えて七三一部隊のことを調べた。

 人体実験の問題は、小説にはあったが立証はなかった。はじめてみたら簡単に立証できた。彼らが書いた医学論文にサルについて書いてあるが、読んでいくとそれがサルではなく人間。

 悪い科学者を弾劾するためではなくて、僕自分の問題としてそういう時に突進していった仕掛けというのはこうだったんだよという事を少しでも明らかにしたいと思った。結局歴史的な所で一つひとつのケースをきちんと追いかけていく、というのが僕の課題。

 最近は七三一部隊の問題よりも、3.11以降、原発の問題に関心が出てきている。技術者とか科学者がどれほど想像力を持って自分の作り出したものが社会に与える影響を考えなくてはいけないのか。それから、一人ひとりの科学者や技術者は全体のごく一部しかやっていない。できるだけ広い視野から見て、その中でどう考えていけばいいのか、という事も考えてもらいたい。

 さっきのDVDにあったノモンハンというのは1939年、中国とモンゴルとソ連との国境での戦争。あれが七三一部隊では大きな意味を持っていた。それから川田龍平さんは「お詫びと謝罪」と言っていた。お詫びも謝罪もないのが、従軍慰安婦にされた方々などに対する日本政府の態度。HIVに汚染された血液製剤についてもお詫びも謝罪も何もない、悪い伝統がつながっている。

 さっき見てもらったのが97年の2月。その三カ月ぐらい前に、一番最初に出てきた篠塚さんに3~4時間インタビューした。自分の思っていることを少しずつ思い出してしゃべっていただくように、誘導をしていないので、非常に間延びしたものになっている。

最後のあいさつ

 戦争犯罪人というとすぐヒトラーを思い浮かべる。戦争犯罪人は特別な人間で僕たちとは関係ないんだと思ってしまう。自分が戦争犯罪人になってしまう可能性もあった。そういう意味では(証言ビデオの撮影に応じた)4人はとても勇気のある人。

 証言ビデオを見てくださった木村利人さんが言った
 「七三一では人体実験をされた人は一人も生き残らなかった。アウシュビッツでは生き延びた

 みんなのお話を聞いて思ったのは、3.11で東電の幹部や何かは政府を含めて全く刑事裁判には問われない。昔、石炭から石油へとエネルギー革命があった時、三井三池炭鉱で大事故があったが、会社は責任を問われないで、末端の人だけ責任を取らされた。それと同じことが今回の東電の原発事故でも進行している。日本でこの後新しい原発が作られるとは思えない。おそらく核燃料サイクルもお終いになる。ということは十年もたつとあの3.11というのは、日本におけるエネルギー革命の一つの出来事だった。化石燃料+補完としての、補充エネルギー源としての原子力がなくなって、再生可能エネルギーと省エネルギーという新しい時代に入るまさに一里塚だったのではないか、それを日本人に教えてくれた出来事だったんじゃないか。そうなるようにこれから一生懸命主張していこうと思う。

第三回 防疫給水部① 南京・広東

 (今日の資料の)最初は自分で書いた『標的・イシイ』(大月書店、1984年)から取った。後ろに続いているのはその元の米軍文書。この資料の中で一番興味深いのは、実は味方を傷つけていて1700人ぐらい死んだという資料がある。 「捕虜が南京の防疫給水部本部で見た統計によれば、死亡者は一七〇〇人以上であり、原因は主にコレラであり…」

 最初にお話する松本さんというのは南京の防疫給水部にいてとんでもないことをやらされていた。7ページは1945年の10月から11月くらいにまとめられた米軍の所謂サンダースレポートの表紙。下のチャートはその中にまとめられている「防疫給水部の指揮命令系統」という図。天皇の下に陸軍大臣があって、その下に軍医学校がある。一方参謀本部の下の方に関東軍防疫給水部(七三一部隊)とか、南京の中支那防疫給水部とか、広東の南支那防疫給水部などがある。このチャートの目的は何か、今ふと思った。石井のネットワークはそれぞれが全く別々の存在で、横のつながりはないんだという事を、この図は示している。つまり非常に大規模な統一的なネットワークであるという事を知られないようにしていた。それはなぜかというと、人体実験をシステマティックにやっていたことを隠そうする意図がある。つまり全体の責任者である石井四郎、その上の参謀総長や陸軍大臣、その上の天皇の責任をあいまいにし、小さく見せる意図が働いていたのではないか。

 次に9ページの地図。北からハルビン、北京、上海(南京は上海から列車で2~3時間行ったところ)、香港(車で1~2時間で広東)。香港が日本軍に占領されたあと、香港に避難していた中国人が大量に広東に逃げて、戻ってくる。その中国人に対して細菌をばら撒こうという企てに自分が参加したというのが二番目の証言者の証言。

 僕の説明の最後、10ページにあるのは「陸軍軍医学校防疫研究室第二部」第99号という報告。

  1. 固定防疫給水機關(軍)

     軍ニハ固定機関トシテ満洲ニ關東軍防疫部ヲ北支ニハ石井大佐ガ事變勃發當初、支那側細菌工作ノ中心タリシ、北京天壇中央防疫所ヲ占據シテ始メ、現陸軍軍醫學校教官菊池大佐ヲ長トスル北支那防疫給水部ヲ、中支那南京中央病院ニハ昭和14年5月中支那防疫給水部ヲ、南支那ニハ同年同月廣東中山大學内ニ田中巌大佐ヲ長トスル南支那防疫給水部等ガ新設セラレ、各ゝ支部、出張所ヲ有シテ居リマス。

 つまり、ハルビンの部隊も、北京の部隊も、南京の部隊も、広東の部隊もまったくばらばらにそれぞれの派遣軍で作ったのではなくて、石井が全部作ったということが書いてある。もう一点、自前の施設はハルビンの七三一部隊しかない。後はみんな中国の施設を接収して防疫給水部本部を作った。

春の嵐の中、新宿戸山を歩く

宮根 一彦(歴教協日本史部会)

 人骨問題を究明する会主催によるお花見ウォークに、初めて参加した。3月30日(日)、春の嵐の中、鳥居さんの案内で新宿区戸山地区のフィールドワークを行う。

 教師仲間の友人とともに、子どもたちにどのような言葉で歴史上の事実を伝えるべきかを考えながら歩いた行程で、多くの学びと感動を得ることができた。特に印象に残ったのは、軍医学校跡地より人骨が発見されたという事実と、それを後世に伝えるため、また遺骨を弔意をもって保管するために設けられたという納骨施設の見学。

 最後に、ミネソタ州から来日し、上智大学で英語の教鞭をとられている方と友人になることができた。

納骨施設に献花
雨の中、桜は咲き乱れる

アンケート結果報告
省略

新聞記事

「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
 2月に完成した京都大の医学部資料館(京都市左京区)で、戦時中に同大学の医師が関与して細菌兵器を開発していた旧日本軍731部隊を説明する展示パネルが、すぐに撤去されていたことが、19日分かった。
 … 731部隊の展示は2008年刊の「京都大医学部病理学教室百年史」から引用したパネル2枚。部隊長の石井四郎ら医学部出身者の関わりを、文献を示して解説。731部隊の「発祥の主たる舞台となった京都大学医学部としても検証が必要なのでは」と指摘していた。同資料館の管理担当者によると、完成記念式典の後ほどなく撤去したという。
 … 当初は「表現が不適切との声があったため」と説明していたが、後に「個人的な感想を述べただけ」と改め、「見やすいよう全体的な展示内容を考慮して入れ替えた」と話している。
 パネルを再展示するかは未定という。

【2014年05月20日 08時30分 京都新聞(抜粋)】

訃報・篠塚良雄さん死去

日本軍731部隊員で証言者 (朝日新聞記事) 2014年4月21日23時36分

 篠塚良雄さん(しのづか・よしお=旧日本軍の731部隊員で証言者)が20日、肺炎で死去、90歳。

追悼文
篠塚さんの想い出

常石 敬一(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)

 篠塚さんとの最初の出会いは1990年12月2日、JR総武本線の八日市場駅だった。彼は車で迎えに来てくれていた。それからほぼ四半世紀にわたり、部隊での、そして戦後の中国でのご自身の経験を折に触れて聞くことができた。篠塚さんは記憶ではなく、経験を話されたのだと思う。後の世代が繰り返してはいけない経験を正確に伝えようとした。それが聞く人の心を打った。今のご時世、安らかにお眠りくださいと言えないのが残念だ。

  • 他――

    篠塚さんを悼む:川村 一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)
    追悼:増田 博光

【今後の予定】

7月20日(日)午後1時30分~
人骨発見25周年記念集会「人骨問題の過去・現在・未来」

2014.5.25

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