軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』149号・要約

戸山5号宿舎跡地発掘調査 本格調査は6月30日まで延長

川村 一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

 戸山5号宿舎跡地の発掘調査は、3月24日に試掘調査は終わったが、本格調査には入れず、予算を来年度に繰り越し、6月30日まで調査期間を延長する。
 試掘調査で発見されたコンクリートの基礎は撤去。また、北側は戸山庭園の池の近くで地下水があふれ出ている。
 試掘調査で調査地の南側は1.5~2mほど、北側のテニスコート付近は6.5mまで掘る必要があることがわかった。本格調査は周囲をシートパイルで土留めをして行われており、調査地約三千平米が全掘削される。

(2011年4月28日)

コンクリート基礎発見
(2月25日)
5号宿舎解体跡を発掘
(3月2日)
東側にも塀が出現
(4月16日)
瓦礫の撤去(4月16日)
人骨発見22周年集会・戸山人骨発掘調査報告会

報告:川村 一之
コメンテーター:菊池 実 他
日時:7月17日(日)
場所:ウィズ新宿
資料代:1000円

コラム「原爆調査の歴史を問い直す」を読む

安松 狢

 NPO法人市民科学研究室・低線量被爆研究会から、「日本学術振興会 科学研究費補助金研究成果報告書 原爆調査の歴史を問い直す」の寄贈を受けた。内容は日米の初期原爆調査とその背景を、詳細な資料・文献の読み込みを通じて再検証したもの。同会の地道な活動に敬意を表す。

お花見ウォーク
大盛況・大成功の裡に無事終了

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

射撃場の土手の付近
陸軍戸山学校址
軍楽隊演奏場址
発掘現場を見る

 3月11日の震災、原発事故の中で悩みながらも実施。旧第6陸軍技術研究所内の東京都健康安全研究センターで、環境放射線の測定を行っている。参加者は50人超。今回は鳥居が案内し、イペリットやルイサイト入りの缶が多数見つかった6研跡地から戸山5号宿舎解体現場など人骨問題の現場を見て、戸山生涯学習館和室で休憩、アンケート記入。最後はまとめの意味で人骨問題や毒ガス問題について、川村から話をする。89年の時は、人骨が発見された後に一から運動が立ち上がった。今回は衆人環視の下で発掘が行われている。ご遺体(それは人骨か、臓器標本か、顕微鏡標本か)が発見されるのを待つばかり。

《アンケート集計結果》省略
陸軍科学研究所の毒ガス問題と陸軍軍医学校の人骨問題
(4月3日 フィールドワークの解説・於戸山生涯学習館)

川村 一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

百人町の陸軍科学研究所
 出発地のJR大久保駅から少し北に向かって歩くと旧陸軍の戸山ヶ原錬兵場があった場所。関東大震災の後、そこに陸軍科学研究所(その後、第六陸軍技術研究所として毒ガス研究部門が拡充される)がつくられ、毒ガスの研究が始まる。
 戦後、研究所の周りにできた復員者用の住宅に住んでいた人の目撃談として、研究所の敷地内にイペリット爆弾が埋められたという証言あり。研究所の跡地は都立衛生研究所(現在の東京都健康安全研究センター)になり、建て替えの際、証言に基づいて調査が行われ、塩素ボンベが発見された。その後10年近くたって、茨城県の神栖で旧軍由来の毒ガス成分によるヒ素被害が出て環境省が毒ガス弾の全国調査を行う。そのとき環境省が金属探知機などを使って調査したが反応なし、地下水を採水して調査しても漏れ出していないので、今後土地を改変する場合はきちんと調査をするという事で終わっている。まだ埋まっている可能性あり。

陸軍軍医学校で発見された人骨問題について
 1989年7月22日に、国立予防衛生研究所の移転工事中に100体以上の人骨が発見。その時私は新宿区の区議会議員。掘り出された所が陸軍の軍医学校跡地で七三一部隊と関係があるということでマスコミで報道され、人骨の取り扱いについて新宿区議会でも問題になった。
警察の鑑定で、20年以上経っていて事件性がない(当時、殺人事件は15年で時効)ので新宿区が引き取った。七三一部隊の人体実験の犠牲者ではないかと報道されている中で新宿区が火葬・埋葬すれば国際問題になりかねないので、新宿区は厚生省に対して身元確認を要請。しかし、厚生省は法律に則って新宿区で埋葬してほしいという。それなら新宿区で鑑定をやろうということを当時の新宿区長が決断した。鑑定の結果わかったことは、警察発表35体と言っていた骨は100体以上。頭蓋骨や手足が切断されていたりというばらばらの骨を新宿区が引き取って埋葬するというのはおかしい話。要するに陸軍軍医学校時代の人体標本であり、死体の一部であるという事、それが非常に重要。それから十数年経って、厚生労働省も戦地から運んできた死体の一部であると認め、遺棄しているということ自体問題だということを認めた。そこで厚生労働省は新宿区が預かっていた骨を引き取って、納骨施設に保管をした。

七三一部隊との関係
 発見された頭蓋骨は銃痕、穿頭痕、脳外科手術の実験跡などがあり、七三一部隊による感染症実験との関連性は見いだせなかった。中国の七三一部隊犠牲者遺族が、自分たちの身内の骨ではないかという申し立てをしても厚生労働省は何らの報告もしていない。
今回の発掘現場は防疫研究室敷地内で七三一部隊と関係が深く、人骨が発見されれば関連性が明らかになる可能性もある。防疫研究室に勤めていた軍属の人たちは研究室の屋上には甕に入った「人体」がいくつもあったと証言している。「人体」を敗戦後に遺棄した可能性が大きいのではないか。発掘調査が進められて、臓器類の標本なども出てくるかもしれない。そうすると感染症実験との関係も明らかになる可能性もないとは言えない。今回の調査は重要な意味を持っている。
元看護師さんの証言では、遺棄するのを手伝ったという場所がもう一カ所ある。そこは元看護師の方が直接手伝ったというので、「人体」が発見される確率が高い。そこは今、財務省の敷地になっている。ここも調査をすることになると思う。

軍医学校関係者の証言
 私自身も人骨が発見されてから軍医学校の関係者に何十人と直接会って話を聞いたが、なかなか直接つながるような話をして下さる方はいなかった。例えばある方は、会いに行ったときはすでに亡くなられていたが、奥様に話が聞けた。その話によると発見された当時はまだ存命で、ニュースを知ったときにご主人は「あれは中国の囚人の骨だ」と仰っていたという。軍医学校の教官だった人からは「あれは七三一から持ってきたものだ」と直接言ってくれた方もある。しかしその話もなかなか直接骨に結びつかない。例えばその方も軍医学校内での人体実験はなかったと言うために、七三一部隊からそういうものが運ばれたという言い方もされていると思える節もあり、自分たちの責任逃れのために仰っているという印象も受けた。それでも文献とか状況証拠で七三一部隊から標本が軍医学校に運ばれ、なおかつ生徒にその標本を見せて教育を行ってきたということは間違いない。軍医学校から戦地に行って蒐集した標本を軍医学校に運んだという方もいらっしゃる。

 この骨が私たちに教えることは非常に重要。軍陣医学というものがどういうものだったかということがこの骨が教えてくれると思うし、戦争責任を考える意味で骨は物的な証拠でもある。戦時医学の真相をきちっと明らかにしていく義務が日本人にはあるということで私たちはこの活動を続けている。

2011.5.8

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