The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
五十嵐 彰
2006年1月、大阪にて世界考古学会議中間会議大阪大会(World Archaeological Congress-Intercongress:Osaka,2006)が「共生の考古学、過去との対話、遺産の継承」をテーマとして開催された(参加者26カ国約400人)。その中心的な精神は、「ひとつの世界考古学ではなく、ひとつの世界、そしてたくさんの考古学」である。配布された資料の中に、バーミリオン協定のことがあった。
遺体に関するバーミリオン協定
同協定は、1989年サウスダコタにおける世界考古学会議中間会議において採択された。
背景には、「アメリカ先住者再埋葬問題」がある。ヨーロッパ移住者の子孫である人類学者・考古学者たちは、自らの祖先が行った先住民に対する殺戮行為については、今までほとんど何の関心も持たなかった。ところが、先住者たちの地道な努力の結果、彼らの主張の正当性が世界的に認められつつある。
現在の日本考古学では、こうした問題については全く認められない。しかし、日本の研究者も当該問題についていずれ直視しなければならない。なぜなら列島北部におけるアイヌ民族、関東周辺域における震災時の虐殺事件、あるいはアジア地域における「万人坑」など切実な諸問題が未解決なまま残されているからである。そしてその重要な一画を、「戸山人骨」が占めている。
新聞記事:東アジアで初「世界考古学会議」(2005年12月16日毎日新聞夕刊)
新聞記事:脳の標本15人分段ボール箱に放置 都監察医務院(2006年3月5日毎日新聞)
平野 利子
「病理標本とはどういうものか‥」
病理検査と病理診断のために作製される『病理標本』について説明する。臨床において患者から採取されたものは、検体(検査する対象物)として病理検査室に運ばれる。そこで検査技師によって検査が行われ、その結果は臨床医を通して患者に告げられる。病理検査室では、病理専門医の指示の下に検査技師が「プレパラート」「顕微鏡標本」といわれる、細胞や組織を顕微鏡で観察できるガラス板の標本に作製し、病理専門医が顕微鏡で観察して病理診断を行う。
病理検査の種類
病理標本作製『パラフィン包埋法』
採取された細胞や組織はホルマリンやアルコールに漬け、『固定』する。小さいものはそのまま、大きいものは適度な大きさに切り出され、脱水,脱脂して、パラフィンを浸透させ、パラフィンに包埋する。これを「パラフィンブロック」という。パラフィンブロックはミクロトームで3~5ミクロンの厚さに薄切され、スライドガラスに貼りつけて、染色して封入される。これを「プレパラート(顕微鏡標本)」といい、病理専門医が顕微鏡で観察して、病理診断をする。
「標本の保存について」
「パラフィンブロック」と「プレパラート」は永久標本として長期間の保存に耐え、専用のキャビネットなどで保存される。一方、顕微鏡標本作製後のホルマリン漬けの組織や臓器は一定期間保存された後、廃棄処分(焼却)される。
冊子『病理解剖をご存知ですか』について
研究会にあたり「東京都老人医療センター」の剖検病理科部長 沢辺 元司先生に頂いた。老人医療センターでは亡くなられた患者さんのご遺族に病理解剖のお願いをする時、ご理解を頂くための説明書として、臨床に用意されている。
質問について
検査技師として病理標本作製中は検査対象が「人」であるという尊厳を持って作製しているのか?‥頭部や手,足などのホルマリン漬け標本は「物」だとは思えないが、例えばミクロトームでパラフィンブロックを薄切しているときなどは、「きれいな標本」を作ることに専念していた。
「七三一部隊」の標本について‥インターネットで調べた結果、情報は得られなかった。
最後に
私たち臨床検査技師は医師の指導監督のもとに、手足として働く立場。機会があったら、ぜひ現場の病理専門医のお話を聞いていただけたらと思う。
鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)
2月23日(木)
千葉健生病院健康友の会・千葉歴史教育者協議会(案内石川・渡辺)
石川さんに届いた千葉歴史教育者協議会の大竹さんからの手紙
(内容省略)
3月4日(土)
日中学生会議「戦後補償を考える~戸山の陸軍跡地から見えること~」(案内 川村)
知るべきこと
早稲田大学2年:後藤
友達の提案で戦後補償についてフィールドワークをすることになったが、よくわからず、あまり興味もわかなかった。しかし、解説を聞きながら歩くうちに今回の問題が分かり、引き込まれた。毒ガス問題、人骨問題と見て歩くことで、逃げてはいけない、しっかりと向き合わなければと思った。「戦争が一度起こると、その後もずっと後遺症のようなものが残る」「知らないことも罪である」とも言われた。深いところから問題意識を持ち、その上で真の日中友好を叫ぶことができるようになりたいと思わせてくれた点でも、今回の経験は自分にとって計り知れない価値あるものになった。
参加者アンケート:省略
4月2日午後1時~:JR高田馬場駅集合
2006.3.16
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