The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
文責:鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)
3月22日(水)、究明する会は厚生労働省大臣官房厚生科学課と会った。参加者は厚労省・坂本浩亨、 野澤勇一課長補佐、齋藤基輝指導係長。究明する会・常石代表、川村、渡辺、石川、平野、鳥居。衆議院厚生 労働委員会の郡和子委員(民主)秘書の海老原順子。旧陸軍軍医学校跡地で発見された人骨に関する質問と要 請」の文書(後述)に沿って話し合う。
質問1、2については進展なし。2005年度(05年4月1日~06年3月16日)の追悼訪問者数は 423人。恒例の厚生労働省と国立感染症研究所職員による合同拝礼は3月27日に行うとのこと。
陸軍軍医学校が所有した標本類や所蔵資料の品目リストについて、国立国際医療センター図書室及び自衛隊 衛生学校(軍関係資料約1300点が移管された)の目録の調査を要求し、厚労省も調査を約束。厚生労働省社会・援護局調査資料室が所有する資料目録については、資料室は医事衛生関連資料を引き継いでいないとしたものの、防疫給水部の留守名簿及び部隊略歴の有無、陸軍病院・兵站病院・野戦病院等入院患者名簿目録が提供された。なお、軍医学校など内地部隊の資料が漏れていたので、それらの資料についても確認を約束。
今回、一部の資料が公開され、また今後の調査についても確約を取った。厚労省の協力を評価する。 2005年6月の金田誠一議員の質問書に対する答弁で、厚生科学課が窓口であることが確定したこと、川村 さんを中心とする私たちの資料調査と事実の突きつけがよかったのかもしれない。
川村 一之
納骨四周年の3月24日、昨年の総選挙で初当選した郡和子(こおりかずこ)さんと納骨施設を訪問。郡さんは厚生労働委員会委員。早朝に仙台駅前で街頭演説をこなし、その足で新宿区戸山町に直行。午前11時45分頃、秘書の海老原さんと感染研に到着。手続きを済ませて、人骨の発見場所を説明しながら4人 (川村と鳥居を含む)で納骨施設へと向かった。郡さんは納骨施設についての説明を一通り聴き、持ってきたお花を施設に供えて黙祷した。防疫研究室の標本などを埋めたと思われる、国立東京第一病院の元事務部長だった松下菊松氏の住居跡にも立ち寄る。今は国立国際医療センターの官舎一棟と駐車場、テニスコートが存在している。国はその土地を東京都に払い下げようとしたが、都は標本が埋まっていることを懸念、払い下げ交渉が頓挫して数年を経過している。昨年12月の新宿区新聞に、国は改めて遊休地を払い下げる方向で検討しており、この地も2007年度に払い下げをするとの記事が掲載された。厚生労働省の対処が注目される。
安松 狢
4月2日(日)午後、恒例のお花見ウォークを開催。参加者は18名。高田馬場駅に集合、「天皇の軍隊を養成した場所を立体的に体感する」という副題をつけ、「明治天皇射的砲術天覧址」の碑がある諏訪神社や近衛騎兵連隊のあった学習院女子大学などを回る。それから感染症研究所に行き、「人骨」発見現場、納骨施設、「天皇行幸記念碑」を見学。国立国際医療センターには、アメリカの水爆実験の犠牲となった第五福竜丸の模型と、日本の医療・厚生行政を作り上げ、軍医学校の校長も勤めた森林太郎(鴎外)の使用した机や顕微鏡も置いてある。陸軍戸山学校将校集会所のあった戸山教会前で記念写真。それから、戸山学校軍楽隊が演奏場跡を見学。今回の参加者の中に、父親が軍楽隊の講師をしていたという方がいた。最後に、戸山社会教育会館で、パネルを見ながら「人骨問題」について学習。講師は元新宿区議の川村さん。お花見ウォークアンケート結果
省略
「人骨」出て売却は中断(新宿区新聞2005年12月5日)
追悼、虚偽と怠慢の60年(毎日新聞2005年8月14日)
2006.4.30
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