軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』100号・要約

人骨発見14周年集会報告

骨はどうしてほしいのか
~戦争犯罪とその被害の回復を考える~

 7月20日、人骨発見14周年集会を開催。今回は、今後の遺骨の扱いに焦点を当て、北海道大学古河講堂旧標本庫から発見された人骨の返還運動や、空知朱鞠内における日本人・朝鮮人の強制連行・強制労働者の遺骨発掘・返還運動の実績と哲学に学び、保管が決まった新宿の遺骨について、今後どうしていくべきかについて討論した。参加者約40名。

《前半》

問題提起
軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長:鳥居 靖
内容省略

北海道朱鞠内強制連行労働者遺骨発掘ワークショップの経験から
金正姫さん(東アジア共同ワークショップ)

韓国籍在日朝鮮人三世の金正姫といいます。東アジア共同ワークショップは、もともと韓日学生共同ワークショップという名で1997年に始まった。主催は日本側が空知民衆史講座、韓国側が南北オリニ・オケドンム(統一・民主化運動をしている団体)。

空知民衆史講座の発足
 1976年、旧光顕寺(今は廃寺)で、引き取り手のない位牌や過去帳が見つかったことをきっかけに寺の住職や大学の教授などが空知民衆史講座をつくり、調査が始まる。埋火葬認許証から、日本の犠牲者に混ざって朝鮮の方の名前を見つけた。遺族を訪ねた時彼らの怒りや無念さに触れ、この出会いを通じて遺骨の発掘を始める。1980年~83年の間に4回発掘が行われ、16名の遺骨が発掘された。遺骨はもう一度荼毘に伏した。

韓日の出会い
 97年に韓国の南北オリニ・オッケドンムと出会い、新たに遺族の元に戻せるような遺骨発掘をしようということで再開。韓国人、日本人、在日が共通の歴史認識を持てるようにと共同ワークショップが始まった。韓国から考古学の専門家が参加。若い世代を中心に延べ220人が参加し、4名の遺骨が発見される。
 そのうち2名は火葬され遺品があった。遺品の印鑑が決め手になり遺族を特定、その元に返された。遺族として名乗り出て遺骨を受け取った方が他に4名いるが、自分の肉親のものかどうか分からない。また、韓国には海外同胞の共同墓地「望郷の丘」に、1992年に4名の遺骨が埋葬された。空知民衆史講座ではその当時、遺族の思いに答えられることを精一杯やった。

東アジア共同ワークショップの体験
 共同ワークショップは、毎年8月に一週間程度、北海道や韓国・日本各地で、強制連行・強制労働問題、植民地支配の問題、少数民族問題などを体験学習してきた。
 98年に韓国で行われたときのこと。97年に発掘された遺骨の一体の身元が判明。その妹さんから血液採取してDNA鑑定し、はっきりしたら遺骨を引き取っていただく約束をしたが、会いに行くと精神が不安定になっていてお会いできなかった。

遺骨と、そして歴史と向き合って
 私がここに参加した理由は、自分自身の歴史に抗いたかった。大きな国家権力やすごく痛い歴史の結果、自分がこういう風に生まれて、ずっとあきらめ続けるのがいやだった。それでワークショップの案内を聞いて、これこそ私のやりたいことだと思ったが、喜んで迎える遺族もいれば関わりを持ちたくないと思う遺族もいる。遺族だから受け取らなければだめという押し付けもできない。しかし、そこであきらめたくない。
 遺骨を通して感じることをみんなと共有したい。共通の体験から学び想像力を養う。骨という物体が、過去に生きていたこと、帰りを待っている人がいるかもしれないことを想像することが大事。これからも韓国・日本・在日、東アジアの人たちと連帯していきたい。

北大古川講堂旧標本庫から発見されたウィルタ頭骨の返還問題

ルポライター:根岸 恵子 さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

「北大人骨事件」というのは、1995年北海道大学古河講堂8番室で発見された6体の人骨問題をいう。古河講堂は足尾鉱毒事件を起こした古河鉱業の寄付でつくられた。

北大人骨事件の経緯
 退官した教授の部屋の掃除を手伝っていたアイヌの青年が頭骨の入ったダンボールを発見、山本一昭さん(アイヌの民族運動のリーダー)に届ける。山本さんは報道機関に連絡し、大学構内でアイヌの儀式を行って供養する。北大はその日のうちに「古河講堂旧標本庫人骨問題調査委員会」を設置。発見された骨のうち三体に「オタスの杜 風葬オロッコ」の付箋が張られ、白い頭骨には「韓国東学党首魁」という文字が墨書されていた。それは翌年韓国に返還された。

侵略戦争と北大
 1869年に明治政府は北海道を開拓。「札幌農学校」(北大の前身)がつくられ殖民策、殖民地、殖民論という授業科目を設置した。1907年に札幌農学校が東北大学に改組されると、勅令で「農政学殖民学講座」を開設。北大は侵略政策を遂行するための研究機関であった。また、1919年以降、北大に医学部、解剖学教室ができ、アイヌの形質人類学研究をはじめる。学者達は北海道、サハリン、千島の北方先住民の墓などから人骨や文化財を盗んだ。1980年代、ウタリ協会などの抗議で北大は骨が1004体あることを明らかにし、一部返還した。日本人の優越主義・人種差別意識があった。

翻弄される北方少数民族
 「オロッコ」はサハリンでトナカイの猟を主とし遊牧生活をしてきたウィルタ民族の蔑称。「オタスの杜」は日本人がサハリンにつくった強制収容所。江戸時代後期、日本はサハリンの南端に漁場を持ち先住民族を酷使。北方先住民族は、19世紀中頃からロシアと日本の領土的駆け引きの犠牲になり、強制移住によって離散したり絶滅したりした。1905年、ポーツマス条約によって南樺太が日本領になると、製紙会社が森林伐採をする。樺太庁は南樺太に七箇所の強制移住地をつくり先住民族を定住させた。その一つが「オタスの杜」。先住民族は集住させられ「土人教育所」が設置され、強制的な皇民化教育、同化政策が進められる。「オタスの杜」は観光名所。本来ウィルタは土葬だが、観光の見世物として風葬などと称して死体が晒されたらしい。

頭骨の返還
 三体の遺骨は今年8月に返還される。発見以来、山本一昭さんやウィルタ協会の田中了さんらは真相究明を求めて北大と交渉を続け、95年、北大は「発見された人骨は関係者に返す」「一年以内に調査報告書を作成する」ことを約束。調査報告書は96年・97年に公表。また、2001年12月のサハリンホロナイスク市の少数先住民族会議において「北大人骨問題」が議題となり、北大は2002年9月に「ウィルタ頭骨三体の返還とその埋葬に関する確認及び協定書」を結び、返還が実現されることになった。

コメント

常石 敬一 代表(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

 東京帝国大学は西南の役が終わった頃創立。京都帝国大学は日清戦争の賠償金でできる。それから九州大学と東北大学(北大も含む)は日露戦争の賠償金でつくる予定が賠償金を取れず、原敬が古河に言って百万円寄付。大学が開所式をしているときに谷中村の強制移住がある。日本の大学は戦争のたびに拡大した。

 もう一つ、人類学者、民族学者、地質学者は、侵略戦争と平行して自らの研究を発展させる。今もそんなに変わっていない。例えば石井四郎は、1922~3年、流行性脳炎の調査で四国に行き、墓から死んだ人を掘り出している。

常石 敬一 代表

司会:保坂 瑛一 さん

 頭の中で簡単に考えても、現実化していくとなかなか担当者しかわからない、観念は先走るもの。

ここで休憩

以下次号

アンケート結果

省略

新聞記事

毎日新聞 8月15日 「終わらぬ戦後」
(スーパーインポーズ法による身元確認)

2003.9.21

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