The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
馬場 悠男(元国立科学博物館人類研究部長)
北方アジア人は、後期旧石器時代の石刃技法で作られた多様な道具類を使って、密閉した衣服をまとい、テントやソリの技術を活用して、トナカイやマンモスなどの資源を独占し、零下50度のシベリアでも生活できるようになった。
熱の放散と凍傷を防ぐために顔や身体の特徴も変化した。長い胴、短い手足、低い鼻、平らな顔、拡大した上顎洞、厚い皮下脂肪、一重の瞼、薄く小さい唇、小さい耳たぶ、僅かな眉・睫毛・髭・体毛、頑丈な頬骨と下顎骨と歯などである。歯が頑丈になったのは冷凍肉を噛み、革をなめすため。
もともとの旧石器時代人、アフリカからやってきたような人たちが縄文人であり、日本人の基層集団。後にシベリアで独特の顔になった人たちが日本列島に入ってきて、表層集団として分布した。
国立科学博物館の篠田さんらは、ミトコンドリアDNAを研究している。弥生人のDNAは現代の中国人や本土日本人に似ており、縄文人のDNAは今の沖縄人と似ている。日本人集団の形成ストーリーと合致する。
人骨を扱う技術の進歩を示す例として、「徳川将軍親族遺体」の研究を紹介する。
国立科学博物館の篠田さんがやったミトコンドリアDNAのハプロタイプ分析。将軍の親族という特殊な人々が、普通の日本人から無作為に選ばれている集団であった。
東大の米田さんによる鉛の濃度の分析。平均すると庶民より鉛の濃度が高い。原因は白粉の鉛白と思われる。庶民は今よりも少し鉛の濃度が高いが、親族はその何倍も高く、特に正室が高い。
それから何を食べているかというのが、最近わかるようになった。これも米田さんの分析。全体に窒素同位体比が高いのは、魚介類の摂取が庶民より多いため。
奈良文化財研究所の松井さんと奈良大学の金原さんが、寄生虫卵を分析したがほとんど出なかった。非常に衛生的な環境だった。
遺骨の計測値を用いた統計解析を、若い共同研究者が行なった。江戸時代庶民や近代人などを分布させ、それぞれの集団の90%以上を含む楕円形で表すと、江戸時代庶民と近代人はほとんど同じで、正室たちは全く違う。側室は中間。貴族の出身者は食べ物が柔らかかったので、顔の形が非常に狭い。
そういう区別はできるが、たとえば日本人の骨と中国人の骨が混ざって出てきたとしても、形態学的な研究では識別できない。
戸山人骨について、人骨が帰属する集団をきちんと判別することは非常に難しいが、遺伝学的な手法、食性を分析する手法、重金属を分析する手法などの発展により、状況が改善されつつある。最近開発されたいろんな手法を総合的に実施するか、さらに別の技術が開発されれば、人骨の帰属する集団を識別することもある程度は可能かも知れない。
安松 貉
9月23日(日)、市ヶ谷駅に18名が参加。鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)
11月25日(日)、湯島駅に30名参加。途中で1名追加。「東大と戦争」参加者アンケート結果:省略
齋藤 一晴(東京歴史科学研究会)
2012年9月8日、当会主催の例会として戸山でフィールドワーク。参加者は、大学院生や教員を中心とした研究会のメンバーと一般参加者、大学生ら約30人。歴史学や歴史教育、科学運動に関わる者が所属する当会では、毎年2回、フィールドワークを行っており、今回は戦後世代が日本の戦争責任にどう向き合うのかという問いに関心がある方々が参加した。見学先は陸軍軍医学校跡地(現:国立感染症研究所)・人骨発見現場・納骨施設や陸軍戸山学校跡地、戸山ケ原射撃場跡など10か所以上。鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)
2012年11月4日(日)、中央大学長谷川曽之江ゼミの学生11名を案内。
期日:2月24日(日)
集合:上野駅
案内:根岸 恵子
資料代:500円
コース:上野公園の戦跡
昨年12月21日 矢口仁さん
今年1月2日 山本俊廣さん
ご冥福をお祈りいたします。
七三一部隊罪証陳列館から731『学術通信』第四期をいただいた。
2013.1.27
定期購読者募集ページへ