近現代考古学から見た「戸山人骨」

2001年11月17日 01年度第2回人骨問題研究会 於新宿区障害者福祉センター
講師 五十嵐 彰(東京都埋蔵文化財センター調査研究員)  


・近現代考古学と戸山人骨
 近現代考古学とは何なのか。キーワードは「書かれた資料の歪み」。もともと考古学は文字が発生する以前のことを任務とし、文字が現れてから歴史は文字によって構築するとされていた。近現代考古学は、後世の人がなるべく覆い隠そうとしている事実を白日の下にさらけ出すことに使命がある。
 戸山人骨について、一二年前に新宿区は「文化財ではない」と答えている。一二年経って、この答えが指示されうるのかどうか。一九八九年に人骨が発見され、発掘調査が行なわれたが、九一年三月に出た報告書「戸山遺跡」は、人骨についても、そこに軍医学校があったことについても触れられていない。

・文化庁の動向
  一九九〇年以降、文化庁では保護すべき文化財を拡大しようという動きが始まり、文化財登録制度が緩やかになったが、埋蔵分化財は含まれなかった。対象となる時期が第二次世界大戦終結頃までとなり、近代の見直しというムーブメントは、原爆ドームの世界遺産という形で成果をあげた。
 しかし実態は、九五年一月に埋蔵文化財の発掘に関する事務処理の迅速化、簡素化、出土文化財の取り扱いの見直しを図ることなどを指示した。近現代の遺跡は、九八年七月に文化庁の指針が出され、重要なもののみを対象とするようになる。

・不在の存在
 九一年にニューヨークの連邦政府ビルの建設に伴って墓地が発掘され、アフリカ系アメリカ人の人骨が検出された。この調査に関わって、アフリカ系アメリカ人は発掘を中止させ、出土した遺骨を地中に戻すことを義務付ける法制化を主張した。しかし日本ではこうした問題意識がほとんどない。
 近現代考古学は、近世考古学の延長ではなく、わたしたちの認識を根底から覆す新たな試みといわれ、極めて政治的なものにならざるを得ない。
 考古学が対象としているのは、物質的資料で、自ら語らない非構築的なもの。文章、言葉、文字記録などは構築的なもので、対立関係にある。
 非構築的な人々の存在というのは、構築された歴史の中で常に日陰に追いやられ、「不在の存在」としてあった。今声を上げ始めているのは、植民地政策以後のポストコロニアルな状況。抑圧され歴史の表に出られず自ら声を上げることが出来なかった人々の声に光を当てることが、考古学の果たす役割。

・「記憶と忘却」
 表向きは、近現代遺跡は最も重要視しなければいけないといっておきながら、実際に遺跡を発掘している人に対しては、近現代の遺跡は対象にしないといっている。光り輝くものは取り上げ、陰のものは取り上げない。われわれはこれらの声を批判し、介入していくという闘いが求められている。
 防研跡地を発掘するには、まず、近現代考古学の認識を高め、住民の意志が反映される調査組織を作る。費用は、運動広場を作る側が負担すべき。調査に当たって、法考古学の確立は欠かせない。日本には法考古学はまったくないが、法科学は科学警察研究所で最新の研究がなされている。
  一二年前の新宿区役所で交わされた問答に立ち返れば、一〇年間の近現代考古学の成果、国の施策の結果から、歴史的にも軍医学校跡地は重要で、戸山人骨は埋蔵文化財に該当する。その骨が法的に仮に時効であっても、犯罪性はある。骨となった人の名前を、あらゆる知識を重ねて、一人でも多く明らかにすべき。
 歴史的責任として、今まで声を上げることが出来なかった人々の歴史を再構築し、創造していく働きが、近現代考古学に求められている。


      

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