寄り添う医師と切り捨てる医師

 寄り添う医師と切り捨てる医師としたのは、三・一一の後、福島県が山下俊一長崎大学教授を福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして迎えました。彼をめぐってこの問題を考えて行きます。

 寄り添う医師というのはいずれも今は亡き、水俣の原田正純さん、大久野島の毒ガス製造の過程で被毒し傷害を持たれた方を診察してきた行武正刀さん、ご自身が被爆者で、被爆者と一緒に悩んでこられた秋月辰一郎医師などです。幸ボクは、皆様に個人的に会う機会があったが、そんな方々を思い浮かべます。それに比べて山下というのは切り捨てる医師の典型だなあと思いました。

 ボクが七三一部隊を調べるようになったのは、帝国主義の罪を暴こうなどという気は全然なくて、科学者とは、医者とはいかに非人間的なことができるのだろうかということを明らかにしたいと思ったわけです。ボクは八九年まで長崎にいて、八九年に神奈川に出てきて数か月で戸山から骨が出てきたわけです。それからしばらくして人骨問題を究明する会ができて、あなた七三一部隊の研究しているんだから会の代表になりなさいと言われて、ああそうですかと引き受けたわけです。それで今日まで来ましたが、ボクの関心は一貫して科学者というのはどれだけ非人間的なことをするのかということです。

 今日お話しようと思っているのは、七三一部隊の医者というのはとんでもないことをした、でもそれに比べて、山下などのやっていることはもっとひどいんじゃないかということなんです。

 今日の宣伝用チラシの最後のところの記述、「医師の良心、力量は、その医師が患者一人ひとりとどれだけ向き合い、治療の可能性を追求できるかにかかっている。被害者に寄り添う医師の視野は、被ばく者は、カネミ油症の被害者は、有機水銀の被害者は、どうしたら社会の目を意識せずにこうむった被害を訴えることができるのか、という社会の在り方にまで及んでいる」、これが寄り添う医師の眼です。水俣やカネミ油症の被害者や長崎・広島の被ばく者が、どうして自分の被害を言い出せないのか、それを言うと差別を受けるからです。差別を恐れて自分の被害を言わないようにする、そういう社会を変えていかなければいけないのだと、原田さんは言っていました。もう一つ同じ被害者でも、認定基準によって国に認定された被害者と認定されなかった被害者との間、同じ地域で被害を被った人とそうでない人の間でも差別が出てくる。「認定基準」というのは、二重三重の差別の構造を生みだしている。原田さんは昨年六月に亡くなりましたが、亡くなる直前に収録された、油症患者のテレビ番組の中でそんなことをおっしゃっておられて、なるほどなあと強く思いました。

 

五年後

 何故ボクがそんなことを考えるようになったかというと、一つはボク自身が三・一一から五年後の日本を考えるようになったからです。

 半月ぐらい前に東電福島原発の所長だった吉田さんが食道ガンで亡くなりました。彼は三・一一の年の一一月ぐらいにステージ三というのが分かるわけです。それですぐに手術をして抗ガン剤治療などを受けられたようです。それでも一年半くらいしか生きられなかった。実はボクも震災の前の三月三日に食道ガンの疑いがあることが分かって、転移の疑いもあり、七日に精密検査を受けて翌週の結果を待っていたときに地震にあいました。当日、連れ合いと二人でテレビを見ている時に、緊急地震速報が出たわけです。そうしているうちにグラグラと来て、一分かそこらでしょうか、感じとしてはいつまでも止まらない感じでした。一時間ぐらいすると津波で人や車や家が流されという映像が続いていましたが、やがて原発の電源が止まったというニュースが入ってきました。電源が止まったって緊急炉心冷却装置があるから大丈夫なんて思っているとそれも止まった。どうしようもない状況になったというニュースが夕方に来ました。

 ボクは、原発も軽水炉で使い捨ての燃料でやっていくならば日本の高い技術力と労働力ならなんとかなると思っていました。だけれども核燃料サイクルとかプルトニウムとかなどはとんでもない、それはまた原爆の原料を作ることでもあるわけだから、核燃料サイクルはあきらめ、軽水炉だけでやるんであれば、使った燃料の廃棄処理の問題はこの五〇年間研究しているけれどもいまもって解決していませんが、でも、なんとかなるかなあと思っていました。ボクは三・一一のちょうど一年前、「原発とプルトニウム」(PHPサイエンス・ワールド新書)という本を書いています。この本の中では、核燃料サイクルだけはやめようよ、「もんじゅ」だけはやめようよと主張しています。そんなことを考えていたので、三・一一の時も原発は緊急炉心冷却装置が働いて何とかコントロールできると思っていたのですが、まったくそんなことはなくて、その日のうちに一号炉はメルトダウンを起こして、翌日水素爆発を起こしてしまいました。

 一四日には計画停電が始まって、大渋滞の中を病院に行って薄暗い中でCTスキャンの結果を聞きました。やはりガンは転移しステージ三ですと告げられました。もし、放射線の放出量が何倍にもなっていて、首都圏まで汚染されるようなことになれば、病院機能もストップし、多くの医療スタッフも病院から避難し、ボクの手術もできなくなっただろうと思います。ボクが四月になって無事に手術できたのは、福島に「免震重要棟」があったおかげだと思います。福島では三・一一の半年ぐらい前に「免震重要棟」の運転が始まります。これは六年前の新潟の地震の時に柏崎刈羽原発で地震によって計器がぐちゃぐちゃになって見ることができなくなった、これじゃまずいというので、免震重要棟がつくられました。あのおかげで、とりあえず政府の基準二〇シーベルトが正しいかどうかはともかく、一応三〇キロ圏外は大丈夫ということで自分の手術は出来たわけです。

 ともかく自分が学校を半年ぐらい休まなくてはならないので、友人にその間の非常勤講師をお願いしたところ、彼に

「常石さん、ソ連はチェルノブイリの事故から五年で崩壊したよ。日本も五年後にどうなるか、それを見届ける必要があるし、五年後を予測して実際にどうなったか見届ける義務が、歴史家にはあるよ」

と言われました。ガンの場合、五年間、問題なく過ごすと一応治ったとみなされるので、五年は生きなさいという励ましではあるのでしょうが、そう言われると今の日本を五年間はウォッチする必要があるなあと思ったわけです。それで山下の振る舞いが気になったわけです。

 

放射線の光と影

 前置きが長くなりましたが、「放射線の光と影」(第二二回日本臨床内科医学会講演[二〇〇八年九月]、二〇〇九年三月)という資料を見ると、山下は七八年長崎大学卒業とあります。ちょうどボクが長崎大学で教えていた頃で、ボクは彼の一年後輩の医学部の学生たちとは仲がよく、同窓会にも呼ばれて記念講演をしたりもしたのですが、山下の学年とはほとんど付き合いがありません。もし一年ずれていればいろいろ話を聞くこともできたのでしょうが。

 新聞記事を二つ紹介します。まず「福島第一原発事故:国連報告書『福島県健康調査は不十分』」(毎日新聞、二〇一三年五月二四日)から。

「東京電力福島第一原発事故による被ばく問題を調査していた国連人権理事会の特別報告者、アナンド・グローバー氏の報告書が二四日明らかになった……国が年間二〇ミリシーベルトを避難基準としている点に触れ、『人権に基づき一ミリシーベルト以下に抑えるべきだ』と指摘した。」

特別なことを言っているわけではない。日本の法律は一ミリシーベルト以下にしなければいけないと言っているのです。だから国連の人権理事会は、日本は日本の法律通りにしなければいけないと言っているだけです。

 もう一つは「被曝と『無関係』…福島の甲状腺がん患者数」(二〇一三年五月二八日)。

「東京電力福島第一原子力発電所事故で放出された放射性物質による住民らの被曝(ひばく)について、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)による評価の報告書案が二七日判明した……福島県民の甲状腺の最大被曝線量は、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故(一九八六年)の六〇分の一以下で、現在の調査で見つかっている甲状腺がんの患者数は『被曝と無関係に発生する割合』だとしている。」

チェルノブイリで甲状腺ガンの患者数が増えていったのは五年後です。今はまだ事故の影響が出る時期ではない。

 ここで申し上げたいのは、同じ国連の中でも原発に対して、積極的に推進するグループときわめて慎重なグループが存在しているということです。因みに、UNSCEARというのは、一九五三年の暮れにアイゼンハワー米大統領が「平和のための原子力」(Atoms for peace)という演説をして、原子力の商業利用を進めるためにはどうすればいいかというので組織されたものです。ビキニ被ばくというのは一九五四年ですけれども、その年日本では中曽根予算による原子力の商業利用に道がつけられました。

 米国はなぜUNSCEARをつくったかというと、放射線の遺伝的な影響を心配する人が多かった、当たり前のことですが、まあそれを押さえ込もうとしたわけです。放射線の影響は絶対にないとは言えないし絶対にあるとも言えない。この影響を調べるためには膨大な人の協力が必要になるので、ショウジョウバエなどで代替して実験したわけです。そうすると、影響があるかないかの境目を閾値といいますが、放射線の遺伝的な影響についてはショウジョウバエでは閾値がない、放射線量がどんなに少なくても一定の影響はある、多ければその分強く影響が出る。直線的な比例関係だよと。だいたいそういうことを遺伝学者たちは言っていました。それは今でも変わりません。UNSCEARは各国の代表から構成されていました。最初のうちは遺伝学者なども入っていましたが、今では遺伝学者は一人もいません。各国の原子力委員会のような、原発を推進したい人たちで構成されています。

 同じようなことは日本の旧原子力安全委員会(現在は原子力規制委員会に改組)がそうでした。今、敦賀の一号炉だとか高速増殖炉の下に活断層がある疑いが極めて濃いと言います。急に活断層が生じたんでしょうか。実は以前から変動地形学の専門家たちは、あれは活断層だと言っていたんです。ところが、従来の原子力安全委員会には変動地形学の学者は排除されていました。ところが規制委員会になって変動地形学の学者も入り、そのような指摘がされるようになった。

 それと似たような、専門家としての役割を、山下は「放射線の光と影」の講演で演じています。彼はこう述べています。

「原発の事故が起こると、その大半のプルーム、すなわち環境中に放出される放射性物質は放射性のヨウ素です。それをいち早く無機ヨウ素剤を投与することで甲状腺の被ばくをブロックし、その後の発がんリスクを予防できるのです。その事実を明らかにしたと同時に、いったん被ばくをした子供たちは生涯続く甲状腺の発がんリスクをもつということも明らかになりました。」

ヨウ素は死の灰です。福島ですぐにヨウ素剤を飲ませなかった、何故でしょうか。ヨウ素剤の配布を止めたのは山下らのアドバイザーたちです。

 また、山下は講演で、チェルノブイリの放射線被ばくの住民への影響で認められているのは甲状腺ガンだけですよと言っています。そのほかの白血病だとか白内障だとか免疫の低下だとか、国連の場では認められていませんよとはっきり切り捨てています。実は甲状腺ガンですら認められるのに一〇年ぐらいかかっています。

 もう一つ、ここが一番のポイントです。

「広島、長崎の原爆被ばく者の長年にわたる健康影響データは、放射線影響研究所が日米共同のプロジェクトとして活動しています。そして五〇年以上、世界の放射線安全防護基準の基本データとなっています。」

つまりどういうことかというと、長崎や広島の被ばく者はこうですよと、このレベル以下の被ばく者は健康ですよ、これより多く被ばくした人たちには影響が出ていますよという、一つの仕切りがあるわけです。それを利用して、チェルノブイリや福島でもこれ以上なら被害が出る可能性がありますよ、これ以下なら症状が出てもそれは気分の問題ですよとか、原因は放射線ではありませんよということになります。そういうことに広島・長崎の放射線被ばく者のデータは使われています。

 山下は講演の最後でこう訴えています。

「主として二〇歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、一〇〜一〇〇ミリシーベルトの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません。CT一回で一〇ミリシーベルトと覚えると、年間被ばく線量を超えるということがわかります。子供が急性虫垂炎の手術だからと簡単にCTを撮る、頭部のトラウマで何回も撮るということが行われています。」

何回もCTを撮ると年間被ばく量が二〇、三〇になってしまう、極めて危険ですよということを指摘しています。

 極めてまっとうな指摘です。日本が医療現場でCTなどは、特に子供にはやりすぎないようにしましょうね、と言っているわけです。いろいろ問題のある講演ですが、最後に内科のお医者さんたちに話したのは子供たちにはCTは慎重に使いましょうねということです。ボクみたいなガン患者はマメにCTに受けます。それはリスクとベネフィットの関係で、受けないでガンが進行してしまうよりも、真実を知った上でそれにどう対処するかという問題です。

 

カメレオン?

さて講演から二年半後、山下は地元の「長崎新聞」のインタビューで、福島では「長崎から来たというだけで歓迎される。長崎のノウハウを生かしたい」(二〇一一年三月二五日)と言っています。これだけでは分からないが、その後の言動を見てみると、長崎のノウハウとはいったいなんなのだろうか。長崎のノウハウというのは被ばく者を黙らせるノウハウではないのかと考えます。

 一番分かりやすい例が、彼が五月三日に福島の二本松市で行った質疑応答の会合での発言です。山下は、震災後福島は安全だと言い続けてきた。そのことに責任が取れるのか、当初の立場と違うではないか、という質問に対し、こう答えます。

「これがみなさんの混乱の一つだと思います。私は、みなさんの基準を作る人間でありません。みなさんへ基準を示したのは国です。私は日本国民の一人として国の指針に従う義務があります。科学者としては、一〇〇ミリシーベルト以下では発がんリスクは証明できない。だから不安を持って将来を悲観するよりも、今、安心して、安全だと思って活動しなさいとずっと言い続けました。ですから、今でも、一〇〇ミリシーベルトの積算線量で、リスクがあるとは思っていません。これは日本の国が決めたことです。私たちは日本国民です。」

専門家としての自覚が全くない。自分はアドバイザーであり、当事者なのだということを全く理解していない。ボクが一番思ったのはここなんです。山下って何なんだ。あいつはどういう研究をしてきたんだ。「放射線の光と影」で述べているのは全部嘘っぱちなのか。一〇ミリでも危険と言っていたではないか。しかもリスクとベネフィットの関係から言うと、福島の子供たちは放射線を浴びるベネフィットなんてないわけです。事故がなければ全く浴びる必要のない線量です。その人たちに一〇ミリシーベルトを我慢しろとか、国が二〇ミリシーベルトと決めたんだから我慢しろと、そんなこと言えるのだろうか。

 さらにいうと、福島の住民の方々が、先生の思う基準をどうして国に言ってくれないのかと当然質問なさっていますが、それに対して明確に答えることができないでいます。

 科学者というのはこんなカメレオンみたいに変わることができるのか、ということがボクが一番びっくりしたことです。そう言う人が学長になったり審議会の委員になったりするんでしょう。しかしそれは科学者のとる態度なのか、専門家とは何をする人であり、何をすることを社会は期待しているのだろうか。期待があるから、自分の研究に没頭できるという特権的地位を認めているのではないか、と思っています。僕は、自分の関心事に二四時間没頭できるというのは、プライスレスな特権的地位だと考えている。

 何のための誰に対するアドバイザーなのか。彼は福島県で放射線のアドバイザーになっていますけれども、何のためのアドバイザーなのか。県民のためのアドバイザーになっているのか。国や県の方針を押し付けるためだけのアドバイザーなのか。

 

 

改めてチェルノブイリを思う

 長崎・広島の被ばく者たちの苦しみを日本の多くの人たちが知るようになったのは、敗戦から一〇年近くたった一九五四年三月のビキニ被ばくの時からだと思います。当時ボクは東京に住んでいたので、あの高級なマグロが食えなくなったとか、雨が降ると頭がハゲるよとか言われていました。その頃からやっと、日本で広島・長崎に対するシンパシーが生まれてきて、実は世界ではそれより早く一九五〇年のストックホルム平和アピール以降、五億人の署名を集めて集会などが開かれて反核の機運が盛り上がっていましたが、それが更にビキニ被ばくがあって日本でも火がついて、それがまた世界にも広がりました。その流れの中でボクは一九七三年から八九年まで、一六年三ヶ月長崎に暮らしていました。そこで被ばく者ともずい分付き合いました。東京都と神奈川県は、お金持ちなので被ばく者手帳を持っている女性から生まれた子供には被ばく者二世手帳を発行しています。被ばく者手帳というのは医療費が無料なんですが、被ばく者二世手帳は年に一回健康診断を受けられるという手帳です。ボクの連れ合いも被ばく者二世手帳を持っていまして、どこかで健診を受けようかと言っていますが、そんな長崎などの被ばくがあるのに、なぜ福島の事故が繰り返されたのか、みたいなことを考えてきました。

 その中で改めてチェルノブイリに思い至ります。関連の図書を、別表:チェルノブイリから広島・長崎を思う、にまとめました。

 @はイリーンという、切り捨てる側の医者による書です。そこではウクライナやベラルーシの世界の原発推進の情勢に疎いど素人の医者たちが、如何に自分たちの作業を妨害したか、ということが書かれています。イリーンと真っ向から対立したのがAのアレクセイ・V・ヤブロコフです。DやEは、BやCを基にしています。で、これらを読んで思うのは、長崎・広島の被ばく者のデータが如何に悪用されているか、ということです。

 今感じているのは、福島の原発事故の被害者たちが、チェルノブイリの被害調査の嘘っぱち、イリーンや何かがやった、公式に国連がやった、IAEAやWHOがやった調査の嘘っぱちを暴いているのではなかろうか、ということです。結局それの元になった広島・長崎のデータの嘘っぱち、それについても福島の被ばく者たちがチェルノブイリの嘘っぱちを通じてボクらに教えてくれているのではないかと、そんな風に思えたわけです。それでたどり着いたのがFです。この本は今から二〇年以上前の一九九一年に出ました。中川は学年では僕より一つ上でしたが、この本が出る五ヶ月ぐらい前にガンで亡くなります。これは本当に名著なんで、最近、新しいデータが加えられ、誤字も直されて増刷されています。

 この本(一九九一年版)の表紙には次の言葉があります。

「今日の放射線被ばく防護の基準とは、核・原子力関係のために被爆を強制する側が、それを強制される側に、被ばくがやむを得ないもので、我慢して受認すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らしてつくった社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的、経済的に支える行政的手段なのである」

二〇年前に分かっているわけですね。今改めて読んでインパクトを感じます。中川さんの本には米国や国連を中心とした動きが書かれているんですけれども、もう一、九五年になると笹本征男のGが出ます。このタイトルはどういうことかというと、広島・長崎の被ばくデータを悪用することによって、放射線被害の実態を矮小化する、そのことに加担した日本という意味が込められています。笹本はボクより一つ年下なんですけど、彼もガンで、三年前に亡くなりました。

 予防衛生研究所は何のためにできたか。ABCCは米国の機関です。米国の機関だけで日本でやるのは工合悪いので、パートナーの研究機関がほしいということで予研がつくられます。それで彼らがABCCの手先になって、被ばく者たちのデータを集めまくる。最初から手先かどうかはよくわかりません。今になっても放射線被ばく者の治療は栄養剤の補給とか、そのぐらいしかありません。被ばく者を掘り起こすことによってデータを集めれば少しでも治療に役立つかもしれない、そういうことを考えていたのかもしれません。ですけれども、予研の役割、わざわざそれをつくった大きな理由というのは、ABCCのカウンターパートであった。これも笹本に言われて初めて気づいたことです。

 

科学的中立

 それで科学的な中立とは何なのかということですが、原田正純さんはこう言っています。

「力関係が明らかに違う時には中立はありえない。むしろ弱い側に立って中立と言える場合もある。公害や薬害のように被害者が加害者に成ることがありえない事件においては、私は被害者の立場に立つことが中立だと思う。」

これは一〇年ぐらい前に東京大学の講演で発言し、以来事あるごとに話し続けていたことです。

 NHKの「視点・論点」(二〇一三年五月一六日放映)で滋賀大学元学長の宮本憲一さんは水俣の被害についてこう指摘しています。

「司法の判断は有機水銀に汚染された魚を摂取した経歴があって感覚障害があれば、総合判断して水俣病と認めるというものです。これに対して行政の基準は、原則として先の症候の組み合わせ、たとえば感覚障害があり、かつ運動障害が認められるなど、四つの症候の組み合わせがあることとしてきました。この病像の対立は水俣病とは何かという基本的な認識の相違といってよいでしょう。」

行政による四つの症候の組み合わせというのは裁判で否定されています。司法では有機水銀に汚染された魚を食べて、痛みを感じないなどの感覚障害があれば有機水銀の中毒患者とみなしています。従来の判断は「基準」を狭く狭く解釈して、水俣の街に差別をもたらしてきましたが、もっと広く解釈すべきだと司法は判断しているのです。これはカネミ油症でも同じです。

 もうひとつNHKのテレビ番組、ETV特集『毒と命〜カネミ油症母と子の記録〜』(二〇一三年五月二五日放映)。カネミ油症事件は一九六八年に食用の米ぬか油の中にPCBが混じってしまったと言われていた事件ですが、実際には入っていたのはPCBだけではなくてコプラナーPCBと呼ばれるダイオキシン類も混入していました。そのことが、事件の解明を非常に遅らせることになって、被害者の健康回復も阻害しています。その番組はこう指摘しています。

「油症事件の発覚から一〇年後、台湾で同様の事件「台湾油症事件」が発生しました。食用油にPCBやダイオキシンが混入。二〇〇〇人の被害を出しました。台湾油症の研究の中心を担うのが台湾大学公共衛生学部。追跡調査は二〇年以上におよんでいます。そこから次世代被害者の実態が明らかになってきました。……一般と比べホルモン異常や発育の遅れ免疫不全など様々な影響が出ていることが判明したのです。これらの異常は胎児期にダイオキシンに晒されたことで体内の各器官に機能不全が生じたためと考えています。台湾では油症患者の母親から生まれた子供は申請すれば被害者として認められます。そして、医療費の自己負担分が政府によって免除されます。」

 日本では、重症患者の母親から生まれた子供であり、なおかつ体に不自由な部分がいくつかあっても、血液をとってPCB濃度が一定の基準になっていないと認定されません。でも台湾では動物実験によって、そういう母親から生まれた子供は同じ障害を持っているよねということを認めています。日本では九大に油症研究班があるが、彼らはそういう動物実験をきちんとやっていません。ひとり長山淳哉がこつこつやって、原因物質はPCBではなくてダイオキシン類だ、ということを突き止めたんですけれども、なかなか動物実験までは手が回らないようです。彼も原田さんと同じで九大を助教授で卒業するのではないかなあと思います。

 どうにも、国が認定基準を決めてしまうと、動きが取れなくなってしまう、というのが、原爆についても水俣についても油症についても、力のない弱者が被害者となって国と争うときに繰り返されるパターンとなっている。その一番大規模なのがABCCを中心とした長崎・広島の被ばく者データの悪用だと思っています。

 最後に長崎について言いますと、中川がその著書で言っているのは、ABCCは爆心地から二キロメートルのところに線を引いて、二キロより遠いところは大丈夫、二キロの中にいる人たちが被ばく者だと。その比較の中で、高線量被爆者と低線量被爆者をとって、低線量被ばく者と比べて高線量被ばく者にこういう症状が出ていると。ここに一つのからくりがある。低線量被ばく者にも傷害は出ていますが、それは切り捨てられる。高線量被ばく者についてだけ放射線被害を見ていこうというのがABCCの研究です。

 今回の事故で、被ばく被害見直しをする必要があると同時に、見直しの最後の機会にする必要があります。福島の被ばく者たちが低線量被ばくの傷害が出るのは五年後ぐらいだと思います。だからあと三年ぐらい。ボクもあと三年ぐらいは生き続けようと思っていますけれども、本当にチェルノブイリの例からすると、五年目ぐらいからはっきりと甲状腺ガンだとか、白内障だとか、難しいのは免疫の低下により風邪を引きやすいといった症状が出てきます。油症患者について原田正純さんは病気のデパートと言っています。それを政府は認めていないんですけれども、チェルノブイリでも同じです。福島の被ばく者にはそうなってほしくない。ただ、チェルノブイリの被害者たちは、起きてしまったことはしょうがない。しかし、当時ソ連では十分に情報が知らされなかった。すぐにヨウ素剤を飲んでいれば、汚染された食べ物を食べないでいれば、あれをすべきだった、これをすべきじゃなかった、と苦しんでいます。因みに隣のポーランドでは食料の管理を徹底した。だから内部被ばくは少なかった。だけどベラルーシやウクライナは汚染された食べ物を食べた。それで内部被ばくしたんだ。そういう苦い経験を踏まえて、情報は全て公開して欲しい。怖いけれども自分で見て、聞いて、それで自分で判断して進んでいきたい。先ほど紹介したDに、そんな証言が紹介されています。

 最後に自分のことに戻ると、ボク自身もガンが出ていれば早く教えて欲しいし、出ていないのであればそのことも知りたい。今まであまり自分自身と向き合ったことがなかっんだけど、やはり自分自身と向き合っていくしかないんだろう。多分これは事故当時、原発の近くに住んでいた人たちが今思っていることで、ごくわずかな情報でもいいから情報は全て教えて欲しい。その上で判断するのは自分たちなんだということではないでしょうか。

 どうもありがとうございました。

 

 

 

質疑応答

奈須 加藤周一は尊敬する人なんですけれども、彼が東大医学部の時にABCCに参加した様子とか自分の役割についてほとんど語っていない。何かご存知でしたら教えてください。

常石 一度聞いたことがあるが、行ったことすら認めなかった。なぜなのか。なぜ行ったことすら否定するのか。彼自身が被ばく者からデータを取ることに後ろめたさを感じたのか。一つは自分の意志ではない、無理やり生かされたのかなということがある。もう一つは、日本では日米合同調査というが、米国では米軍合同調査で、陸海空軍の合同調査であった。そういうこともあるかもしれない。

小野 山下の師匠に当たる重松のことを教えてください。彼は(チェルノブイリの)IAEA事故調査委員会の委員長でしたよね。

常石 放射性影響研究所の第三代理事長重松逸造、福島原発事故の安全宣言を行った第四代理事長長瀧重信は山下俊一の師匠に当たり、最近は三人一緒に悪く語られる。以前長崎で講演したとき、重松や長瀧は七三一部隊と関係あるのですかと聞かれ、関係ないが七三一より悪いことをしていると答えた。

来年の二五周年に向けて

奈須 医学標本の意味。日本の近代医学の中で標本が作られて、その過程も酷くて、今では完全に人権無視の形で標本類が集められて、一つは軍医学校跡地の人骨問題も戦争中の人権侵害を暴露している。現在、まだ大学とか研究所が標本を抱えている。骨だけじゃなくて。そういうことを通じて、医学の流れの中で実物データとしての標本類は、役に立った時もあるが科学の発達に従ってその意味も変化していく。人体標本に代わるものも発達してきた。時期時期に応じて標本の意味というものを系統的に明らかにしてくれたら面白そうだ。

常石 長崎大学も広島大学も一四年ぐらい前に米国から返還された被ばく者たちの病理標本が大量に倉庫に保管されています。ごく一部を研究者が研究していますけれども、まさにあれがABCCの実態で、被ばく者から病理標本をとって、病理標本は本当は被ばく者のものなんだけれども、米国が持って帰って米国で研究をして、そろそろ遺伝子レベルで研究するような段階になって日本に返還する、というところがABCCの本質をついているように思う。ですからもう病理標本から遺伝子レベルに話を進んでいるので、診断の時以外はあまり使わなくなっているのは事実ですね。ただしそれを人骨の会でやれというのは荷が重い。

川村 医学標本だけじゃなくて、人体の不思議展も標本です。平野さんの問題提起をきっかけにして全国展開を止めたことがありましたが、それがタイに持って行かれて、また行われているということです。今日のお話には出なかったですが、チラシの裏に熊本日日新聞の記事が載っています。これも常石さんのコメントもあると思いますが、ハンセン病の亡くなった患者の方から骨格標本が戦時中につくられて、今の熊本大学医学部・当時の熊本医科大学にありましたが、これも医学的な倫理性無視の例です。それからアイヌの民族遺骨、これもアイヌの墓地から遺骨を掘り出しているんですよね、研究目的という名の下に。これが全国の各大学で千何百体以上あり、掘り出したものも八百数十体あるそうです。こういうことがここに来てやっとわかってきました。こういう問題も私たちの人骨問題と関係している問題だなと思います。それで今日も日中の関係の方もいらっしゃると思いますが、魯迅が若かりし頃仙台医専(今の東北大学医学部)にいて、藤野先生(藤野源九郎さん)に学ぶんですけれども、藤野さんというのは解剖学の教授で、その教室には人骨がいっぱいあったそうです。これは魯迅の著作の中に書かれています。今度の文科省調査で、東北大にはアイヌの遺骨が二〇体ほど見つかっています。常石さんも京大の清野謙次教授のことや北大の児玉作右衛門教授のことはよくご存知だと思いますが、この熊日の新聞記事について、ちょっと話していただけますか。

常石 この記事は、2回か3回の連続記事の最後の記事です。大学の骨格標本は研究費をとるためのダシに使われていた。そういう見世物になっている間は丁寧に扱われるが、戦争が激化するとゴミ扱いになり結局今は分からなくなっているというのが実態。ついでにいうと人体の不思議展についてどう対応したか聞いたら、「熊本日日新聞」は後援も協賛もしなかったそうです。ただし、七三一部隊もひどいけれども、人体の不思議展を今の日本でやることはもっとひどいことだ、そのことも書いて欲しいといったが、この記事には反映されていません。

川村 予定の四時になりましてけれども、先ほど奈須さんが言われた医学標本の関係で言えば、戦傷標本で日本で唯一残っているのは自衛隊の衛生学校なんですね。衛生学校の彰古館に陸軍軍医学校にあった標本があります。陸軍軍医学校にあった標本はほとんど焼けてしまいましたが、一部残ったものが国立医療センターにあって、それが自衛隊衛生学校に移管されましたものが数十体残っています。それを調査をしたいと思って私たちは要求していますがなかなか実現しません。だけども戦勝標本が残っていることは分かっています。

 私たちも奈須さんが言われたことも含めて来年の二五周年に向けて検討していきたいと思います。本日はありがとうございました。

 

別表:チェルノブイリから広島・長崎を思う

 

題名(日本語出版年)

 

著者(訳者)

 

出版社

 

備考

 

日本語で読めるチェルノブイリ事故の当事者/国による報告書

 

@『チェルノブイリ虚偽と真実』(1998)

 

L. A. イリーン(本村智子、浜田亜衣子、高村昇、本田純久、芦澤潔人、山下俊一、本村政彦)

 

長崎・ヒバクシャ医療国際協力会

 

ウエッブで公開

 

A『チェルノブイリ被害の全貌』(2013)

 

アレクセイ・V.ヤブロコフ,ヴァシリー・B.ネステレンコ,アレクセイ・V.ネステレンコ,ナタリヤ・E.プレオブラジェンスカヤ(星川淳、チェルノブイリ被害実態レポート翻訳チーム)

 

岩波書店

 

 

 

B『チェルノブイリ事故から25年 ウクライナ政府報告書』(2012)

 

緊急事態省(市民科学研究室)

 

市民研

 

ウエッブで公開

 

C『チェルノブイリ原発事故 ベラルーシ政府報告書』(2013)

 

非常事態省(日本ベラルーシ友好協会)

 

産学社

 

 

 

非当事者による報告

 

D『低線量汚染地域からの報告』(2012)

 

馬場朝子・山内太郎

 

NHK出版

 

 

 

E『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害: 科学的データは何を示している』(2012)

 

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ支部(松崎道幸)

 

合同出版

 

 

 

広島・長崎を思い出す

 

F『放射線被曝の歴史』(1991)

 

中川保雄

 

技術と人間

 

2011年増補版は明石書店

 

G『米軍占領下の原爆調査―原爆加害国になった日本』(1995)

 

笹本征男

 

新幹社

 

 

 


          

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