軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』186号・要約

戦没者遺骨収集事業と人骨問題

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

 2016年3月26日、戦没者の遺骨収集の推進に関する法律が成立した。戦没者の遺骨収集は、国家の責任でなされるべきである。
 アメリカではJPAC(米国戦争捕虜および戦争行方不明者遺骨収集司令部)という組織が、アジア太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの戦没者計8万3千人を対象に、人類学者や考古学者ら約400人を擁して、遺骨収集・身元鑑定を行っている。日本では、海外の戦没者が約240万人。これまで127万人分の遺骨が収集され、113万人分が未収骨。日本とアメリカとの間には雲泥の差がある。

 今回、人骨発見28周年で講演する楢崎修一郎さんは、2010年から厚生労働省の慰霊事業人類専門員に就任し、これまで14回にわたって主に太平洋地域の戦没者遺骨収集事業に参加し、約300体分の遺骨鑑定を行った。楢崎さんは言う。
「「人は2度死ぬ」という。1度目は肉体が滅んだ時。2度目は誰もその人を顧みなくなった時。戦没者が2度死なないよう、私たちには語り継いでいく義務がある」(上毛新聞2016年8月24日付記事「2度死なせない 遺骨収集事業▼1」)

参考:上毛新聞記事「2度死なせない 遺骨収集事業1~6」(2016年8月24日~30日)

JYMA日本青年遺骨収集団 戦没者慰霊祭・活動報告会資料『遺骨鑑定人:戦没者遺骨収集の最前線』(2015年3月7日)その他
どうぶつと動物園Spring2017 『ヒト、どうぶつを語る:動物と戦争』楢崎修一郎

「首都防衛の戦争遺跡~相模原・館山~」報告

フィールドワークチーム

長谷川さん・都井さん

 5月27日(土)、若松地域センターに於いて学習会を開催。参加者22名。はじめに「首都防衛」について長谷川曽乃江さんから解説があり、その後、「相模原の戦争遺跡」について都井正博さんが、「館山の戦争遺跡」について長谷川曽乃江さんが報告した。

会場風景
「首都防衛」とは?―帝都防衛とその二側面

長谷川 曽乃江

 明治以降、首都圏における軍事態勢がどのように整えられたのか。こうした問題意識で「帝都防衛」の変遷をおおまかに描いた。

  • ① 1880年代以降

     成立直後の明治政府は、政府中枢と天皇の守護のため、兵営・練兵場などの軍事施設が皇居中心に配置された。政権基盤の安定とともに軍事施設の多くは赤坂・青山・麻布地区に移転した。1891年には近衛連隊も師団に改編され、東京(第一軍管)は第一師団(東京鎮台)と近衛師団の二つの師団を合わせ持つ大軍事都市となった。

  • ② 1890年代以降

     外郭地域が本格的に軍事拠点化していく。世田谷の騎兵実施学校・野戦砲兵部隊設置、城北地区(十条・板橋等)の軍需工業化、千葉(国府台・習志野)の演習場・鉄道連隊設置など。一方、都心では牛込区(市ヶ谷近辺)を中心に陸軍の教育機関が集中した。
     日露戦争後は東アジアの脅威がなくなり、民衆暴動への対応が課題となった。東京防禦=陸軍、東京湾防禦=海軍という地域分担が成立した(1901年勅令第一号)。

  • ③ 関東大震災(1923年)以降

     震災で東京は壊滅状態に。2ヶ月後「東京警備司令部」が設置され、現在の東京23区及び横浜市・川崎市に当たる地域を警備、必要に応じて軍隊指揮権も発動できた。大震災を契機に、首都圏一体化・防空・動員・治安維持が、1940年代までの帝都防衛管理体制の基本となっていく。

  • ④ 1930年代以降

     1932年、東京市は隣接5群と合併して市域拡張し、いわゆる「大東京」となる。なかでも「新市域」と呼ばれた隣接5郡(特に品川・板橋町などの地区)では軍需産業を牽引力とする重化学工業化が進み、めざましい人口増加と居住環境の悪化が進んだ。それに対して「空地地区」拡大政策が図られた。
     防空への関心は、満州事変(1931)勃発後高まった。1933年に作られた防空演習計画では、一府四県の演習区域全域で灯火管制を行い、主要部で防空監視と防護業務を実施。公的機関の活動を援助する防護団も動員された。陸軍は防空演習の指導と実施のため、学校配属将校を配置した。
     その後1940年代には都市計画法が改正され、防空も都市計画の目的の一つとなる。他方、首都の東西に軍事施設が配置されるようになった。

    すなわち、

    1. 首都の中心から始まった軍事化は都市化・近代化の進展とともに周辺部へ拡大し、
    2. 日中戦争期以降は、特攻基地を含む軍事地域・軍事地帯化が周辺部で急速に進むとともにそれらがより重要化した。
    3. その結果、主要な軍事施設が首都を取り囲むように配置されることになり、戦後の軍用地(在日米軍基地・自衛隊用地)や戦争遺跡の分布もこれに対応している。
    4. また、
    5. 都市への空襲と総力戦体制によって軍民一体の地域防衛が求められ、都市計画など地域社会の課題に影響を与えた。近代化と軍事化が同時に進行した日本では、首都圏の形成と拡大自体が日常的な側面と非日常的(軍事的)な側面を合わせ持っていたと言えるのではないか。

相模原の戦争遺跡

都井 正博

説明する都井さん

 都心に集中していた軍施設が周辺の郊外へと拡張していく中で、移転の条件を満たす相模原に多くの軍施設が移転、建設された。1930年代後半から短期間のうちに16の陸軍施設が開設された。

 相模原駅から矢部駅にかけて、相模陸軍造兵廠があった。現在は米軍陸軍相模補給廠。
 陸軍士官学校に関しては、地元の浦田先生からご教示を頂いている。現在は米軍座間キャンプ・在日アメリカ陸軍司令部がある。今の相武台駅は当時士官学校前駅と呼ばれていた。
 周囲の富士山公園には陸軍士官学校遥拝所包囲盤跡が残り、近くの県立相模原公園は演習場跡である。陸軍兵器学校跡には、現在麻布大学ができている。陸軍通信学校跡地には相模女子大が創られる。国立相模原病院も臨時東京第三陸軍病院であった

フィールドワークを企画して

辻田 航(弁護士)

 青年法律家協会(通称「青法協」)は、1954年、憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ることを目的に、若手の法律研究者や弁護士、裁判官などによって設立された。弁学合同部会の会員数は約2500名で、任意法律家団体としては日本最大。

 6月4日のフィールドワークは、青法協のイベントとして企画し、弁護士・司法修習生・法科大学院生・大学生ら22名が参加。
 陸軍軍医学校跡で発見された人骨が、最高裁で敗訴となりながらも焼却を免れ、保管に至った経緯をお聞きした。「裁判に負けても勝負に勝つ」という運動の姿勢・成果は素晴らしい。

書き換えられた石柱
陸軍戸山学校将校集会所
~新宿区内の戦争遺跡(「人骨発見現場」)を歩くツアーで~

竹内 良雄 (<ヒロシマへ ヒロシマから>通信No.39より転載)

 6月10日、参加者10人ほどで廻ったのは、高田馬場駅から戸山が原射撃場跡を経て人骨発見現場まで。
 (陸軍戸山学校の)将校の集会所跡に作られている教会にも特別に入れていただいた。教会は幼稚園を併設していて、かつて陸軍の将校たちが歩いていたその場所を、小さな子どもたちが無邪気に走り回っていた。

陸軍軍医学校跡を歩いて

ジャスティン・アウケマ

かつて将校集会所だった建物
納骨施設の正面

 6月10日に、「人骨発見現場を歩く」というイベントに参加。

  • 一つ目、
    新宿は密集する東京の最も賑わっている地域。その裏にほとんど知られていない暗い戦争の歴史がある。歴史が消費社会の渦に埋もれてしまう。
  • 二つ目、
    一般に戦争遺跡の記憶は保存され、成文化される。しかし、人骨問題はほぼ不明。現在の戦跡言説において独特な意味と価値を持っている。
  • 三つ目、
    戦後体制は「アジア」の忘却の上に構築されている。アメリカの指導により日本は「自由民主主義」国家となり、戦争の責任はすべて「全体主義」や「軍国主義」の上に置かれた。このままでは、過去から学ぼうとしない資本主義や消費社会によって末梢されてしまう。
  • 四つ目は、
    格差社会が生み出す被害者について。戦時、農民等の下層階級が軍隊に入れられ、軍馬より下の位に位置付けられた。抑圧の移譲によりこれらの兵隊は同じ下層階級である他国軍の兵隊及び市民を殺害するに至る。最たる被害者は最も弱い立場にあったアジア諸国の人達。発掘されたモンゴロイド系の人骨はこれらの差別や格差に富んだ制度の証跡。

(2017年7月4日記)

新聞記事

琉球新報:朝鮮人、本部に埋葬 戦闘動員、未収骨か《2017年6月19日(月)》
朝日新聞:沖縄戦 母も兄弟も姿消え 72年 遺骨捜し DNAに望み《2017年6月22日(木)》
琉球新報:遺骨DNA50人申請へ ガマフヤー 遺族ら集会《2017年6月23日(金)》

琉球新報〈社説〉本部町の朝鮮人遺骨 空白の解明は日本の責務

2017年6月26日

 沖縄戦に動員された朝鮮人の遺骨が本部町に埋葬されていたことが判明した。本紙報道を受け、韓国の市民団体や県内の遺骨収集団体、地元本部町の関係者が埋葬現場を確認し、今後、収骨に向けて具体的に動きだす。…
 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」と、韓国の市民団体「太平洋戦争被害者補償推進協議会」は、日韓友好事業として共同で遺骨調査をする方針だ。戦時中に北海道に連行された朝鮮人の遺骨を、1997年に日韓の若者が共同で掘り出した実績がある。沖縄でも実現し、両国の次世代が沖縄戦を追体験して学び、継承につなげてほしい。

… 以下略

人骨発見28周年 戦没者遺骨収集における人類学的鑑定

講演:楢崎 修一郎
日時:7月23日(日)午後1時30分~4時
会場:ウィズ新宿3階会議室
資料代:500円
主催:軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・新宿区婦人問題を考える会

詳細

連続フィールドワークの予定
第2回 埼玉県立航空記念公園 所沢飛行場・アメリカ軍基地跡巡り

期日:9月24日(日)10時出発
集合:JR西武新宿線航空公園駅東口下車航空公園内YS-11前
講師:篠原 謙さん(埼玉歴教協所沢支部)
資料代:500円

詳細

【その他のお知らせ】
渡辺登さんを偲ぶ会

7月16日(日)
若松地域センター第二集会室AB

2017.7.9

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