軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』187号・要約

人骨発見28周年
佐倉鑑定25年集会・納骨15年集会
「戦没者遺骨収集に関する人類学的鑑定」開催

 7月23日(日)、ウィズ新宿に於いて標記の集会が開催された。参加者は約20名

常石 敬一・代表
石川 久枝
川村 一之
楢崎修一郎さん講演録

 今日の講演は3人の人類学者に捧げたい。佐倉先生は戸山人骨を鑑定された先生で、私も数日間助手を務めた。埴原和郎先生は元東大教授で朝鮮戦争での米軍兵士の鑑定にあたった。香原志勢先生も、元立教大学で埴原先生と一緒に朝鮮戦争の米軍兵士の鑑定を行った。

 佐倉先生は2015年に亡くなられ、6月13日に偲ぶ会を行った。その際奥様がご挨拶された。

「佐倉は何故鑑定を受けたのか。
それは、これだけ先進国となった日本で、
誰も引き受けないというのは国際的に恥ずかしい、
だから私が引き受ける。」

とおっしゃった。当時医学部は厚生省の管轄下で様々な圧力が加わり、鑑定ができなかった。佐倉先生は博物館の職を辞し、札幌学院大学に転出して鑑定をされた。

 埴原先生の書籍『骨を読む』に

「かつての戦場には夥しい数の日本兵の遺骨が残されていると聞く。
遺骨収集団が派遣されているとはいうものの、
その規模においても処理の科学性においても
日本と米国の間には残念ながら雲泥の差がある。
戦争を恐れ憎むばかりが能ではない。
過去の戦争の犠牲者に対して人道を尽くすこともまた、
平和を願う我々に課せられた義務ではないだろうか。」

とある。

 香原先生は論文の最後に書かれた。

「最後にわれわれは国籍、人種のいかんを問わず、
戦争の災禍にあまりにも多くの青年が、
まだ死ぬべきときにあらずして、
しかも死んでいった事実を心から悼み、稿をとじる。」

 それぞれ3人の先生方は立派な人類学者。

佐倉朔[1930-2015]
埴原和郎[1927-2004]
香原志勢[1928-2014]
戦没者遺骨収集と人類学的鑑定
 昨年3月24日、国会で、全会一致で「戦没者遺骨収集推進法」が可決。2016年度から2024年度を遺骨収集の強化期間とし、2017年には戦没者遺骨収集推進協会が設立された。
 遺骨鑑定人は、厚生労働省社会・援護局援護企画課外事室慰霊事業の中で人類学専門員を担う。主に太平洋地域において遺骨収集に同行し現地で発掘調査を行うか、すでに収骨された骨を鑑定し、基本的に現地滞在中に英文による鑑定書を提出する。但し、私は、英和両文並記で作成している。この作業は焼骨の前に実施し、遺骨は焼骨後に日本に持ちかえる。そのため、こちらの鑑定人は日々、徹夜。
 人類学専門員の名称は、現地に派遣されると「遺骨鑑定人」という名称に変わる。なお、現地に人類学者や法医学者がいるロシアやインドネシアには、遺骨鑑定人は派遣されない。

 私の経歴は、アメリカの医学部で解剖実習し、アフリカやシリアで発掘を経験し、群馬の自然史博物館に勤務。
 第二次世界大戦中の各国の戦没者は、ソビエト、ドイツ、中国は民間の方が非常に多い。日本は4番目に多い。
 日本人戦没者310万人。海外での戦没者240万人。但しこれには硫黄島と沖縄を含む。収骨総数は127万人。残りが113万人。但し、53万人は海没遺骨か相手国の事情で収骨できない。従って収骨対象は現在60万人。戦没者には民間人、軍人すべてが含まれる。

 菊池実さんが監修した「しらべる戦争遺跡の事典」と「続しらべる戦争遺跡の事典」で、私はペリリュー島、サイパンについて書いた。現天皇がこれらの島を訪ねておられる。

 鑑定で骨格から推定できる推定項目は個体数、性別、死亡年齢、身長、もしわかれば民族、人種等々。
 個体数は、同じ部位が何体あるかということ。体の各部の数が違う場合、最大の数を採る。
 性別は頭を見ると、男性と女性で結構違う。前の額の部分、乳様突起に違いがある。一番違うのは寛骨、女性では子供を産むために大座骨切痕の角度が大きい、前耳状面溝は妊娠して出産した場合にできる。
 歯の萌出状態、乳歯が人間の場合は20本。永久歯が32本。全部で52本の歯が出る場合が多い。最近は親不知と呼ばれる第3大臼歯が、特にアジア系では遺伝的に欠如し、永久歯が28本となる場合がある。第1大臼歯が6才、第2大臼歯が12才頃、大体6の倍数で生えてくる。
 身長を推定するには大腿骨が一番よく、次に脛骨、3番目に上腕骨。これが壊れないで出てくると、この長さから推定できる。


 民族推定。アジア系はのっぺりとした顔。アフリカ系は顎がよく出ている。ヨーロッパ系は鼻根部がえぐれていて鼻が高い。アジア系の推定に一番いいのはシャベル型切歯。上の前歯の裏がシャベルのようにくぼんでいる。

 遺骨鑑定人としての実績は、2011年にマーシャル諸島に1回、2012年にサイパンに2回。13年にサイパン、テニアン、ペリリューには2回。サハリンにも行った。14年にはヌイ環礁、メレヨン、マーシャル諸島クェゼリン環礁2回、トラック、ペリリューで、合計14回。

左から、ダグラス・スコット、中島洋、ダーク・バレンドフ、ジョイス・シリアーニ、読売新聞記者

 派遣された太平洋地域は図の通りで、飛行機で行っても非常に遠い。

派遣された太平洋地域

(以下、次号)

楢崎氏のお話を聴く参加者
首都防衛の戦争遺跡~相模原・館山~」報告その2
館山の戦争遺跡

長谷川 曽乃江

長谷川 曽乃江 さん
  1. 「東京湾要塞」の一部としての南房総
     房総半島南部は、首都防衛の一環を担った地域で、特に東京湾口に位置する館山地域は、対岸の三浦半島とともに「東京湾要塞」の一部を成し、洲崎第1砲台(1932年)・第2砲台(1927年)などが造られた。また、館山海軍航空隊(1930年)、館山海軍砲術学校(1941年)、洲ノ崎海軍航空隊(1943年)など、海軍関連の施設が多く設置された。
  2. 館山における戦跡調査
     文化財保護法改正(1995年)により、戦争遺跡も文化財指定の対象になると、文化庁は翌年から「近代遺跡総合調査」を実施し、1998年には「政治・軍事」分野対象の所在調査を開始した。これを受けて館山市では、1980年代の戦争体験聞き取り調査などを基礎に、1997年から2ヶ年かけて戦争遺跡の所在確認調査を行った。一方、「戦後50年」の1995年前後に、地元の教員・市民を中心に戦争遺跡のフィールドワーク・講座・企画展などが自発的に展開された。
     調査報告書で、文化財としての保存・活用が見込まれる戦争遺跡47ヵ所がリストアップされた。そのうち、文化庁が示した近代遺跡評価方法に従うと、Aランク(近代史を理解するうえで欠くことができない遺跡。表は省略)が18ヵ所、Bランク(特に重要な遺跡)が13ヵ所、Cランク(残存状況悪し・消滅等)が16ヵ所あげられている。
  3. 館山の主な戦争遺跡
     現在、比較的アクセスしやすい主な戦争遺跡を、4つのエリアに分けて紹介する。

    《館山海軍航空隊エリア》

    ①赤山地下壕、②宮城地区掩体、③洲ノ崎海軍航空隊射撃場跡、④「128高地」陣地地下壕

    《館山海軍砲術学校エリア》

    ⑤館山海軍砲術学校跡

    《大房岬エリア・下滝田》

    ⑥大房岬砲台跡、⑦「桜花」下滝田基地跡

    《衣良(めら)エリア》

    ⑧衣良陣地壕、⑨安房神社境内の落下傘部隊慰霊碑など

     これらのうち、①⑥⑨は個人で見学可。赤山地下壕は館山市が保存・管理。
     その他は、「NPO法人安房文化遺産フォーラム」に問合せ。(http://bunka-isan.awa.jp/)

新聞記事

北海道新聞:遺骨最多198体 返還提訴へ アイヌ民族団体、北大に《2017年7月8日(土)》
東京新聞夕刊:軍属の朝鮮人「戦犯」の苦しみ 終戦後続いた心の傷 遺骨75年ぶり「帰郷」《2017年8月7日(月)》
朝日新聞長野東北信版:人体標本に衝撃 証言まで71年《2017年8月15日(火)》

フィールドワーク
「埼玉県立航空記念公園 所沢飛行場・アメリカ軍基地巡り」

9月24日(日)
西武新宿線航空公園駅
ガイド:篠原 謙 さん

詳細

刊行書籍

「骨は告発する」戸山人骨鑑定写真付:800円

2017.9.17

定期購読者募集のご案内

年間4~6回発行している『究明する会ニュース』の定期購読をお願いしています。お申し込み詳細は【定期購読者募集】のページをご覧ください。
inserted by FC2 system