軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』184号・要約

東京城北地域の「軍都」化過程について

丸山 洋明

※ 写真を見る 183号

 板橋・十条・王子を中心とした地域は、戦前、火薬・実包等の製造・貯蔵の一大拠点であり「軍都」であった。敗戦直前には東京陸軍第一造兵廠・同滝野川分工場・同尾久分工場・東京陸軍第二造兵廠・同王子工場・同豊島工場・陸軍兵器補給廠・同赤羽火薬庫・陸軍被服本廠・赤羽射撃場・稲付射場・第一師団工兵第一大隊・近衛工兵第一連隊・工兵隊練兵場などの広大な施設が境を接して存在し、その周辺部に関連工業地帯と職工たちの住居地域が展開していた。ここは全国でも数少ない造兵・兵站中心の「軍都」であった。

 その最初の施設となったのは、明治初年の板橋火薬製造所(後の第二造兵廠)及び赤羽火薬庫である。ここにこれらを置いた背景には、石神井川の水利、砲兵工廠本廠のある小石川との交通の便、板橋宿を除き畑地林地が大部分であることからする火薬爆発事故の影響抑制、低廉な地価と広大な面積の取得容易性、といった条件が働いていた。そしてこれらの条件は、この地域の住民たちを無視してその後の「軍都」化を推進する条件ともなった。

 日清戦争・日露戦争はこの地域の「軍都」化を本格化した。特に日露戦争は一大消耗戦だったから、この前後を通じて火薬生産は大増産の必要に迫られ、王子・豊島(北区)に板橋火薬製造所の分工場がつくられた。小石川の本廠からは雷汞場が滝野川工場に移転し、また火具製造所も板橋火薬製造所に隣接する十条に移転して十条武器製造所と称し、実包を生産するようになった。これら工場は電気軌道で結ばれ、火薬・火具の一体生産が行われるようになった(「造兵ゾーン」の形成)。他方、赤羽火薬庫の南、板橋火薬製造所との間の広大な土地に陸軍兵器庫(後の兵器廠)が新設され、火薬庫の東に隣接したこれまた広大な土地には被服本廠が移転してきた。こうして明治20年代に移転していた赤羽の工兵営とそこから続く「倉庫ゾーン」が形成された。

 日清戦争後、黒色火薬から無煙火薬生産へ切り替えられたが、火薬工場からの廃液で公害が深刻化した。また第1次大戦後の労働運動の本格化は砲兵工廠や火薬製造所でもストライキをひきこした。1923年の関東大震災は軍工廠にも甚大な被害をもたらし、本廠は小倉へ移転することとなった。しかし震災後もこの地域の火薬・火工製造所や火薬庫・兵器廠・被服廠はそのまま残されたし、小石川の精器製造所は十条に移転させるなどむしろ工場・施設は拡張・拡充され、爆発事故は増え続けた。

 陸軍は明治期に岩鼻、宇治、アジア太平洋戦争期には上福岡、多摩などに大規模な火薬製造所を作っているが、それにより板橋の火薬生産が減少することはなかった。

 敗戦後、王子や豊島の工場を除き、大部分は占領軍に接収され、東京武器補給廠として利用された。その内比較的早く接収を解除されたのは、旧板橋火薬製造所で、ここには1948年頃には帝京学園、野口研究所などが入居している。入居に関しては旧軍・旧軍工廠・役所などとの人脈が利用された場合が多いようだ。一番遅れたのは旧十条武器製造所(東京陸軍第一造兵廠)で、1960年代末にベトナム戦争の傷病者を収容する米軍の王子野戦病院が開設されたが、激しい反対運動もあり、やがて閉鎖、71年に返還された。旧十条武器製造所の約三分の一は現在、陸・海・空の自衛隊の共同補給本部である。

参考文献
長谷川治良(桜花会)『日本陸軍火薬史』
工学会編『明治工業史 火工篇・鉄鋼篇』
佐藤昌一郎『陸軍工廠の研究』
北区史編纂調査会『北区史通史編 近現代』
板橋区史編さん調査会『板橋区史 通史編 下巻』
板橋区教育委員会『旧東京第二造兵廠火薬研究所等近代化遺産群調査報告書』
羽田博昭「軍工廠と地域」(植山和雄『帝都と軍隊』所載)など
学習会 首都防衛の戦争遺跡~相模原・館山~

5月27日(土)14時~16時30分
若松地域センター第1集会室
報告:「相模原の戦争遺跡」都井 正博 さん
「館山の戦争遺跡」長谷川 曽乃江さん
参加費:500円

戦争の遺骨とどう向き合うか

戦争の遺骨の扱いに関する新聞記事が、最近立て続けに報道されている。これは、昨年「戦没者の遺骨収集に関する法律」が施行されたことが影響していると思われる。

2016年8月21日(日):日本経済新聞 戦没者遺骨収集担当の法人指定 厚労省
2016年10月29日(土):毎日新聞 抑留者遺骨 誤って焼失
2017年1月6日(金):日本経済新聞 戦没者鑑定 手足の骨も
2017年1月14日(土):毎日新聞 遺骨収集出張で3職員不正経理
2017年1月19日(木):沖縄タイムス 遺骨収集要領 見直し要望 ガマフヤー具志堅代表ら国へ
2017年2月5日(日):毎日新聞 アイヌ遺骨発掘禁止令 19世紀日本政府「不当な収集」の根拠に
2017年2月16日(木):琉球新報 京大に琉球人骨26体 昭和初期から未返還 学者収集

先駆けお花見ウォーク、実施!

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

 3月11日(土)、大阪の観光ツアー(JU観光ツアー)の17名を案内。新宿のホテルを出発して二時間半で戻る。陸軍幼年学校跡、陸軍戸山学校跡と戸山公園箱根山地区の中を歩き、それから陸軍軍医学校の跡を辿る。

アンケート結果
省略
2017年 お花見ウォーク「人骨発見現場を歩く」

3月26日(日)12時50分集合 13時出発
JR高田馬場駅戸山口改札
資料代:500円
案内:鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

89年人骨のCDデータ入手

 30周年プロジェクトの最初に仕事として、人骨の生写真データ(102枚)を入手。人骨の鑑定結果が載っている「骨は告発する」に付けて、割引価格800円で頒布。

2017.3.19

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