The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
東海林 次男(歴史教育者協議会常任委員)
2014年9月28日、参加者は案内人の鳥居さん含め17名。
当日の主な見学地は、藤田東湖旧居跡→工廠建物基礎煉瓦塊→野球殿堂博物館入口→鎮魂の碑・副碑→試射場→諸工伝習所跡記念碑→東京都戦没者霊苑→駐車場の壁(中の赤煉瓦をモルタルで化粧)・北野神社→小石川後楽園。
私が小石川トンネル射撃場(旧東京砲兵工廠射撃場)を訪ねたのは、1996年10月28日。ライフル協会の方に概要の説明を受けた。谷地形に煉瓦で馬蹄形の有蓋射撃場をつくり、その後、土で覆った。地下鉄関係図面には、長さ278.85m、幅は手前が3.90m、奥が5.17mと、射座から標的までの距離が離れると撃ちにくくなるのを防ぐための工法。ライフル協会が使ったのは、手前の50m。1999年に国・区へ返還し、トンネル入り口も閉鎖した。
明治16年測図の「東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍」にある北西に伸びるミミズのような溝状地形。そこに試射場が造られた。
M・A(参加者からの手紙)
フィールドワークで質問をしたことについて、当方でも調べてみた。
野球殿堂博物館に問い合わせたところ、碑文中、記名の途中が空欄になっていたり新しい記名があったりしているのは、1981年に碑を作ってから後に、事実に基づき抹消や追加があるため。今月にもまた追加の工事をする。
市販の『明治前期・昭和前期東京都市地図Ⅰ 東京東部』(柏書房刊)で1909年と1880年の地図を見比べると、もともと東西に短く細長い窪地があり、その西端部分と途中接続させつつ300mの窪地を新たに造成した、と見るのが相当。この造成工事が当日資料の年表で指摘されている明治16~18年に行われた、ということか。
射撃場は、一般に実弾を使用する場合距離300mが基準。半島状にのびた富坂の台地端の砲兵工廠敷地内に設けるとすれば、ぎりぎりの地割だった。なお、地図だけからいうと、この射撃場は少なくとも明治末までは地下ではなかった。
明治前期・昭和前期東京都市地図Ⅰ:東京東部(柏書房刊)
楠山 忠之 さん(ドキュメント『陸軍登戸研究所』監督)
楽しく、発見の連続に酔いました。今後もできるだけ参加したい。
解説:常石 敬一(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)
伊東栄三さん当時76歳。資料は「細菌戦部隊」(七三一研究会編・晩聲社)から取った。
生物兵器開発をやっていたハルビン、北京、南京、広東、シンガポールの五つの防疫給水部隊の元締めが防疫研究室。伊東さんの同僚の方が「細菌戦部隊」の中で「水瓶の中に生首が」と書いている。少なくとも二人の証言がある。
(伊東栄三さん証言)
戦争の反省なんて何もない。彼は特別ではなく、圧倒的多数派。ただ、少なくも自分の経験を率直に残してくれることは極めて大事。
伊東さんは、あの骨は中国の匪賊のものと言った。それは抵抗運動をした人たち。三尾豊さんのいう「特移扱い」と符合する。
お花見ウォークは、20年前の731部隊展全国実行委員会に集まった若者の勉強のために奈須重雄さんが始めたのが最初。それを人骨の会が継承した。
(石井十世さん証言)
2001年に納骨施設ができた。2006年に改めて石井さんに証言を聞いた。石井さんに何度も確認し、ようやく署名捺印をもらい、これを川崎二郎厚生労働大臣に郡和子衆議院議員と共に面会して提出した。
石井さんは、89年に発見された所は、見た。それから2011年に厚生労働省が調査したところは庶務課長だった松下さんから聞いた。石井さんが廃棄を手伝った若松住宅という国家公務員宿舎になっていた所は2012年に調査をした。この二つの調査では人骨は発見されなかった。しかし、陸軍軍医学校当時に使われた多数の遺物が出土した。
石井さんは、軍医学校時代は口腔外科に勤務。戦後国立第一病院で焼け残って産科婦人科になった木造建物の一画の義肢工場の前に(標本を)捨てたと証言した。
常石代表
【司会(川村)】
今日のテーマは、「人骨問題の過去、現在、未来」。DVDは過去の事。
人骨は保存され、新たな発掘調査まで進んだ。七三一部隊の犠牲者の遺族の方々の申し立てには、厚生労働省が遺骨の保管状況を手紙にまとめ、私たちが仲介役になって遺族の方々にお渡しすることが出来た。これが現在。
今日講演をいただく石原憲治さんは、死因究明2法の成立に尽力された。死因究明2法の状況を踏まえて人骨問題との関わりについてお話いただく。
(休 憩)
シベリア抑留者の方たちについては厚生労働省がDNA鑑定をするようになった。今焦点になっているのは沖縄の戦没者の遺骨。沖縄県議会が、身元確認のためにDNAバンクをつくるよう意見書を出している。
石原 憲治 さん(千葉大学大学院特別研究員・元厚生労働大臣秘書官)
私は1996年に細川律夫議員の公設秘書になり、一年間は大臣と共に厚生労働省にいた。その後選挙で民主党が大敗したが、議員立法の経過から千葉大学の法医学の先生からお誘いがあり、今千葉大で死因究明とか検死に関する法制度の研究をしている。
(以下、次号に続く)
講演資料
(※画像が荒く、一部文字が読み取れないファイルが含まれます)
DVD「消せない記憶 ある軍医の生体解剖」湯浅謙さん(元陸軍病院軍医)
「厚生省に欺かれた国会(国民)―731部隊略歴」常石 敬一(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)
日時:12月7日(日)13:30~16:30
会場:ウィズ新宿(新宿区男女共同参画センター)
資料代:500円
2014.11.16
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