軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』169号・要約

【人骨発見25周年記念集会】
「人骨問題の過去・現在・未来」盛況の裡に終わる

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

於ウィズ新宿(男女共同参画センター)

 今年の記念講演は、元厚生労働秘書官・石原憲治さんに「法医学と検死―死因究明二法の施行と人骨問題」と題して、法医学研究の水準を高めるための新法の成立過程とその意義、この法律が当該人骨の究明活動に及ぼす影響などについてお話を伺った。
 7月20日(日)、新宿区男女共同参画センターに於いて、標記の集会を開催。参加者は約40名。初めに、栗原君子元参議院議員からのお手紙。続いて郡和子衆議院議員のビデオレター。次にDVD上映。元軍医・湯浅謙さんと元防疫研究室軍属・斉藤陽さんの証言。最後の石原さんのお話は、過去の戦争に係る問題だけではなく、死因究明と外国人の人権侵害に無関心な日本人、という現実の壁に気付かせてくれた。

栗原君子さん(元参議院議員)ご挨拶

代読:石川久枝(新宿区婦人問題を考える会)

 『究明する会』の皆さんの粘り強い活動に敬意を表します。20数年前、はじめて川村一之さんから人骨の写真を見せてもらった時、日本軍・七三一部隊の仕業と思える異様な人骨にビックリ! のこぎりで引いたもの、鈍器で穴をあけた頭蓋骨など、血や涙のある人間の仕業とは考えられない写真に足がすくむ思いをしました。当時、私たちに何かを語りかけようとしている人骨写真を手に、国会で取り上げたことを思い起こします。戦争中のこととはいえ、日本人が行ったものであることは数多くの証拠品、証言からしても確かです。日本政府は人骨の遺族に対し謝罪と補償をすべきです。来年は戦後70年になります。日本は憲法九条で再びこのようなことをしないと中国をはじめアジア諸国や世界に誓ったにもかかわらず、再び軍靴の足音のする国になろうとしています。この国を二度と戦争のできる国にさせないためにも人骨問題にこだわり活動を強化しましょう。集会の成功を祈念します。

(広島より栗原君子)

郡和子さん(衆議院議員)ご挨拶

ビデオレター

 皆さん、こんにちは。民主党衆議院議員の郡和子と申します。人骨発見から25年、この間真相究明にたゆみないご努力を重ねられてきた皆様にそのご努力に心から敬意を表します。私がこの問題に係わったのは、2005年に初当選してすぐの頃でございました。…… 私は衆議院厚生労働委員会に所属いたしまして、その折に金田議員から、ぜひこの問題を引き継いでもらえないかというお話があったわけです。金田衆議院議員は…人骨を…保管することを厚労省に認めさせたわけであります。しかし大きな課題が残っておりました。と申しますのは、あの現場の軍医学校だった所で看護師としてお仕事をされていた石井トヨさんが「遺骨がまだたくさん残っている」ということを証言されたわけです。
 それで私も委員会で何回か質問をさせていただきましたけれども、なかなかこの問題に対しての役所の理解は進みませんでした。そこで、当時川崎二郎厚生労働大臣でしたけれども、委員会室で直接石井十世さんのことをお話して、…… 厚生労働省の大臣室で石井十世元看護師と川崎厚生労働大臣の直接の面談が執り行われました。石井さんは地図を出して、実に鮮明なご記憶を大臣に率直にお話になられ、大臣も心を動かし、そこで発掘調査を行うことを明言されたわけです。私も大変うれしく思ったのを覚えております。それが2006年の事でございました。実際に発掘調査が始まったのはそれから5年後、2011年の事でした。私は宮城県仙台市出身の議員でございまして、東日本大震災の発災があり、被災者の対応に忙しく追われるようになりまして、残念ながらこの問題に関わる機会が少なくなったわけですけれども、しかし、この調査が始まったということをうれしくご報告を受けたのを覚えております。

 まだ、人骨問題の真相究明はこれからですし、身元の調査も長い時間がかかろうかと思います。私自身もこれからも皆様方とご一緒に、より一層この問題に対して力強く取り組ませていただきたいと考えております。
 今日は… 残念ながら出席がかないません…… お詫びしつつ、一日も早くこの問題が解決に向かい真相が究明されますことを共にお祈りし、ご挨拶に代えさせていただきたいと思います。これからも共に頑張っていきましょう。

アンケート結果
省略
新聞記事
毎日新聞:日本の戦争責任考える 13・20日 中野と新宿で催し《2014年7月13日(日)》
DVD上映会 開催決定!

25周年で、湯浅謙さんの証言は軍医になるまでで終わった。以下の期日にその続きを上映。

期日:12月7日(日)13時30分~16時30分
テーマ:ある軍医の生体解剖の記憶(仮題)
資料代:500円

新聞記事

朝日新聞:人骨100体 謎のまま25年《2014年8月17日(日)》

DVD上映会 第四回解説編
「防疫給水部② シンガポール9420部隊・大連衛生研究所」

解説:常石 敬一(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)

七三一部隊支部・大連衛生研究所(証言者 目黒正彦さん)
 「関東軍防疫給水部略歴」は、日本国が七三一部隊あるいは関東軍防疫給水部に関して国会に提出した唯一の資料(「アジア歴史資料センター」で閲覧可。レファレンスコードC12122501100)。支部の一つとして大連が出ている。大連支部は、1938年に南満州鉄道の衛生研究所だった所を、石井機関としては珍しくお金を出して買い取った。最後の所に支部長の名前がある。大連は「技師 安東洪次以下250名」。技師は軍属の中で一番地位の高い人(佐官クラス以上?)。安東洪次は、戦後は東京大学医学部教授で実験動物の専門家。これは関東軍防疫給水部の創設から解体までの経緯をまとめた書類。
 次に「各国ニ於ケル文化事業関係雑件」。派遣される医師は倉内博士とあるが、彼はペストの専門家。最後に「尚本人ハ目下満鉄大連衛生研究所ニ勤務中ナリ」となっている。昭和16年は七三一部隊の支部になっているが、対外的には満鉄の衛生研究所としてそのまま。隠す意図があったかどうかは分からないが、少なくとも大部分の人(外務省の役人も含めて)は、満鉄衛生研究所が七三一部隊の支部だとは思っていなかった。
 1977年3月医学ジャーナル掲載の石川虎次郎さんの文では、目黒さんは、昭和20年12月25日、米軍に見つかったお蔭で無事に帰れた。
南方軍防疫給水部シンガポール9420部隊(証言者 竹花英逸さん)
 「南方軍防疫給水部業報 丙第四九号 マライ半島ニ棲息スルペスト流行ニ関係アル主ナル齧歯類…」。ここに貴宝院秋雄とある。彼が今日のビデオの竹花さんがいた梅岡部隊の創設者。1990年に貴宝院さんからもらった手紙には、石井らが顕微鏡始め沢山の機械機具を持ち運んだこと、終戦当日、内藤は東京へ向かい、新潟の一切は国行等に託したが、貴宝院には相談を頼むと言われた事がわかる。1945年5~6月頃に空襲を避けて防疫給水部は新潟に疎開していた。その責任者は、実質的には内藤良一。内藤と国行はともに輸血の専門家だった。
 竹花さんは『ノミと鼠とペスト菌を見てきた話―ある若者の従軍記』を著した。その最初にシンガポールの位置を示す地図がある。内藤良一と貴宝院が二人で出かけて行って、シンガポールの羽山部隊(本隊)は内藤がつくり、梅岡部隊は貴宝院がつくる。竹花さんは羽山部隊にいたと言っているが、著作の内容は梅岡部隊。
 竹花さんは20歳過ぎてから部隊に参加。目黒さんはもっと年長で、敗戦時は薬剤少佐。
「防疫給水部②シンガポール9420部隊・大連衛生研究所」資料
関東軍防疫給水部略歴(国会に提出されたもの)

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関東軍防疫給水部略歴(アジア歴史資料センター・現在の資料)

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各国ニ於ケル文化事業関係雑件

レファレンスコード:B04011318100

所蔵館における請求記号:I-1-0-0-009(所蔵館:外務省外交史料館)

作成者名称:在バダヴィア総領事 石澤

資料作成年月日:昭和16年10月8日

(3)外機密 極秘 総番号 三八六九九 符号 (暗) 昭和 十六年十月八日後五時五五分発 主管 南一 在バタヴイア 石澤総領事 廣田外務大臣 「パスツール」研究所ニ技師派遣ニ関スル件 第六二〇号 至急 極秘 貫電第一〇七八号ニ関シ陸軍省ト協議セル処倉内博士ハ昨年来「オツテン」教授ト直接文通ヲ続ケ居リ最近モ都合ニヨリテハ研究ノ為出張スルヤモ知レサル旨ヲ通報シ便宜供与方依頼セル由ナルニ付今一応御交渉ノ上結果回電アリ度シ。尚本人ハ目下満鉄大連衛生研究所ニ勤務中ナリ為念

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目黒正彦氏に関する記事

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南方軍防疫給水部業報

件名標題(日本語):南方軍防疫給水部業報 丙第49号 マライ半島に棲息するペスト流行に関係ある主なる齧歯類

レファレンスコード:C13120621500

作成者名称:陸軍技師貴寶院秋雄

資料作成年月日:昭和18年8月15日

内容:南方軍防疫給水部業報 丙第49号 マライ半島ニ棲息スルペスト流行ニ関係アル主ナル齧歯類 作業者 陸軍技師 貴宝院秋雄 南方圏ニ於テハ原始林内ニ多種多様ノ齧歯類棲息シ,開港地域並ニ陸上交通路ヨリ潜入シ来リタルペスト流行ハ之ガ結局ニハ必ズ原始林或ハ高地ニ伝播セラレ,此処ノ齧歯類間ニ感染スルヲ常トス.而シテ此等山野森林内ノ齧歯類間ニハペストニ潜在性或ハ慢性トナリテ永ク病毒ヲ其ノ地ニ浸淫セシムル傾向大ナリ. 斯ル山野森林ニ生活スル人類ニ之ガ往々ペスト散発ヲ来スモノニシテ,所謂Sylvatic pestト称セラルノモノナリ.Sylvatic pestノ如キ流行型ナレバ大ナル災厄トハナラザルモ,ペスト好発期ニハ村落ノ棲息鼠ニペスト病毒ハ伝播シ来リ,

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貴宝院秋雄の手紙

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竹花香逸『ノミと鼠とペスト菌を見てきた話―ある若者の従軍記ー』
1991年12月8日、浜松

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歴教協大会プレイベントで戸山ウォーク

安松 狢

軍医学校正門跡を見学
医療センター資料展示室

 7月31日、歴史教育者協議会第66回全国大会のプレイベントで、wamから高麗博物館を巡るフィールドワークが企画された。人骨の会(鳥居)が案内したのは、wamから高麗博物館までの間の行程。工夫次第で一時間半でも歩けたのは大発見。担当された歴史教育者協議会の江川さん、宮根さん、土井さんに感謝。

参加された方々の感想
省略
新聞記事

毎日新聞:戦後70年を前に~痕跡を訪ねて③ 復興の街中心に教会《2014年8月17日(日)》

【連続戦跡フィールドワークPart2】東京砲兵工廠ウォーク

9月28日(日)
JR水道橋駅東口改札口集合
資料代:500円

関東大震災で多くの施設を焼失した東京砲兵工廠
この後、しばらくして工廠は小倉に移転する
戦時体制は、震災の後に焼け太りする…

2014.9.14

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