The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)
3月21日(木)、厚生労働省交渉が行われた。究明する会からは常石、川村、平野、根岸、鳥居、厚労省からは甲田徳康大臣官房厚生科学課々長補佐が出席。
私たちは、89年人骨の中にある四肢骨の由来を究明する上で、若松住宅で発掘された大量の義肢制作の材料等は重要な示唆を与えていると指摘したが、厚労省としては直接身元確認に繋がる情報は得られない、対費用効果の問題がネックになるとの見解。また、89年人骨の適切な保管と、傷んでもデータだけは残して欲しいと要望した。
鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)
いつものコースに加え、旧陸軍科学研究所の周囲を回りながら豊多摩病院跡地を巡った。前半に力を入れすぎて後半がおざなりになってしまったことを反省。
朝日新聞:ハンセン病患者 20人の骨格標本《2013年5月10日》
宋 民亜
三月末日、鳥居さんの案内する「お花見ウォーク」に参加した。どこまでも灰色の空が広がり、時折冷たい風が吹く寒い日だった。
人骨が一時保管されていた「公営社」や梅谷庄吉屋敷跡を通り、「豊多摩病院」のあった場所を見上げながら、高鶴さんに鶴彬の川柳を聞く。
「屍のゐないニュース映画で勇ましい」
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
鋭く戦争の本質を見抜いた鶴彬は、二九歳の若さで亡くなった。殺された説もあるという。
毒ガスを研究していた第六陸軍技術研究所の跡地には、現代的な建物が並び、季節の植物がとりまいている。人の手できれいに整えられた風景のなか、過去をたどりながら歩いていくと、目に映るものの陰影が濃くなるような気がした。風景の中に、教えてもらわなければ、決して知ることがなかっただろうことがたくさんあった。その一つが「境界石」。民家の塀の一部と化した石には、確かに「陸軍」の文字が刻まれていた。……「国立感染症研究所」の遺骨保管施設の碑には、桜の花びらが次々と降っていた。碑に刻まれた「静和」の文字を見ながら、生きていた一人ひとりを想像し、未だ静かでも安らかでもないのではと、心がざわめいた。どんなふうに生きて、どんなふうに殺されたのか。
「お花見ウォーク」の終了するころ、雨がぽつぽつと降り始めた。灰色の空とくすんだ桜の色が、犠牲者の無念を映しているようにも思えた。
6月2日(日)
飯田橋駅西口
東大医学部本館標本室に子宮内胎児標本(通称・龍子さん)がある。平野さんが季刊戦争責任の「レッツ」に書いた文をきっかけに会合が開かれた。
8月29日~9月1日の明治大学駿台校舎を皮切りに、今年新たな展開を計画中。
2013.5.12
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