軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』159号・要約

人骨発見23周年集会報告Ⅲ
人類学の進歩と人骨(後編)

馬場 悠男(元国立科学博物館人類研究部長)

  • 北方アジア人の形成

     北方アジア人は、後期旧石器時代の石刃技法で作られた多様な道具類を使って、密閉した衣服をまとい、テントやソリの技術を活用して、トナカイやマンモスなどの資源を独占し、零下50度のシベリアでも生活できるようになった。
     熱の放散と凍傷を防ぐために顔や身体の特徴も変化した。長い胴、短い手足、低い鼻、平らな顔、拡大した上顎洞、厚い皮下脂肪、一重の瞼、薄く小さい唇、小さい耳たぶ、僅かな眉・睫毛・髭・体毛、頑丈な頬骨と下顎骨と歯などである。歯が頑丈になったのは冷凍肉を噛み、革をなめすため。

  • 再び日本人集団の形成史を考える

     もともとの旧石器時代人、アフリカからやってきたような人たちが縄文人であり、日本人の基層集団。後にシベリアで独特の顔になった人たちが日本列島に入ってきて、表層集団として分布した。
     国立科学博物館の篠田さんらは、ミトコンドリアDNAを研究している。弥生人のDNAは現代の中国人や本土日本人に似ており、縄文人のDNAは今の沖縄人と似ている。日本人集団の形成ストーリーと合致する。

  • 徳川将軍親族遺骨の研究における最新技術

     人骨を扱う技術の進歩を示す例として、「徳川将軍親族遺体」の研究を紹介する。
     国立科学博物館の篠田さんがやったミトコンドリアDNAのハプロタイプ分析。将軍の親族という特殊な人々が、普通の日本人から無作為に選ばれている集団であった。
     東大の米田さんによる鉛の濃度の分析。平均すると庶民より鉛の濃度が高い。原因は白粉の鉛白と思われる。庶民は今よりも少し鉛の濃度が高いが、親族はその何倍も高く、特に正室が高い。
     それから何を食べているかというのが、最近わかるようになった。これも米田さんの分析。全体に窒素同位体比が高いのは、魚介類の摂取が庶民より多いため。
     奈良文化財研究所の松井さんと奈良大学の金原さんが、寄生虫卵を分析したがほとんど出なかった。非常に衛生的な環境だった。
     遺骨の計測値を用いた統計解析を、若い共同研究者が行なった。江戸時代庶民や近代人などを分布させ、それぞれの集団の90%以上を含む楕円形で表すと、江戸時代庶民と近代人はほとんど同じで、正室たちは全く違う。側室は中間。貴族の出身者は食べ物が柔らかかったので、顔の形が非常に狭い。
     そういう区別はできるが、たとえば日本人の骨と中国人の骨が混ざって出てきたとしても、形態学的な研究では識別できない。

  • 結論として

     戸山人骨について、人骨が帰属する集団をきちんと判別することは非常に難しいが、遺伝学的な手法、食性を分析する手法、重金属を分析する手法などの発展により、状況が改善されつつある。最近開発されたいろんな手法を総合的に実施するか、さらに別の技術が開発されれば、人骨の帰属する集団を識別することもある程度は可能かも知れない。

特別展「縄文VS弥生」パンフレットより
「日本人になった祖先たち」
篠田謙一著より
「日本人になった祖先たち」
篠田謙一著(NHKブックス)より
《フィールドワークの記録》
第三回連続フィールドワーク
陸軍士官学校と市ヶ谷監獄

安松 貉

 9月23日(日)、市ヶ谷駅に18名が参加。
 檜山さんから資料を頂く。亀ヶ岡八幡宮、防衛省・自衛隊市谷駐屯地、児玉源太郎坂、石井四郎の墓がある月桂寺、若松台陸軍経理学校跡、大逆事件の犠牲者を収監・処刑した東京監獄、高橋お伝が最後の斬首刑を受けた市谷監獄・青峰観音を見学。
若松台 陸軍経理学校跡地
煉瓦塀が一部残されているが当時の面影微塵もなし
東京監獄・市ヶ谷刑務所 刑死者慰霊塔
市谷監獄 雨中の青峰観音
第四回連続フィールドワーク
東大と戦争

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

 11月25日(日)、湯島駅に30名参加。途中で1名追加。
 旧岩崎邸、東大鉄門、医学部図書館・健康と医学の博物館、三四郎池、弥生門、東京大学医学部戦没同窓生之碑、安田講堂、東大正門、東京大学戦没同窓生之碑・天上大風、わだつみのこえ記念館(高橋武智館長に解説を乞う。わだつみ記念館基金運営*)東大赤門、標本室のある医学部本館、総合研究博物館を見学。
記念館について解説する高橋館長
医学部本館(2号館)
右側のカーテンの奥は標本室
東大の象徴 安田講堂

「東大と戦争」参加者アンケート結果:省略

戸山ヶ原フィールドワーク参加記

齋藤 一晴(東京歴史科学研究会)

 2012年9月8日、当会主催の例会として戸山でフィールドワーク。参加者は、大学院生や教員を中心とした研究会のメンバーと一般参加者、大学生ら約30人。歴史学や歴史教育、科学運動に関わる者が所属する当会では、毎年2回、フィールドワークを行っており、今回は戦後世代が日本の戦争責任にどう向き合うのかという問いに関心がある方々が参加した。見学先は陸軍軍医学校跡地(現:国立感染症研究所)・人骨発見現場・納骨施設や陸軍戸山学校跡地、戸山ケ原射撃場跡など10か所以上。
 戦争を東京から考えられたことは貴重な経験であった。また、歴史事実は史料からだけでなく、人々の取り組みのなかから明らかにされ、継承されていくことを改めて考えさせられた。
中央大ゼミ生のフィールドワーク

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

 2012年11月4日(日)、中央大学長谷川曽之江ゼミの学生11名を案内。
戸山ヶ原の風景
防空壕跡の観音像
住所標識の上に石柱
訃報
人骨発見9周年集会で証言(1998年7月)

元軍医学校看護師、石井十世さんがご逝去(昨年2月)

追悼

石川 久枝

若き日の石井十世さん
 石井十世さんが逝去されたことに哀悼を捧げます。
 彼女の証言は人骨問題を究明する会の運動にすくなからぬ発展を与えました。軍医学校の看護婦として働き始め、… 50年間も沈黙を守り続けました。… 運動の発展の中で、遺骨の保管施設が出来たとき、死者が報われると喜び、私たちの会に理解をし始めました。
 … ご冥福をお祈りいたします。
連続フィールドワーク 第五回
「江戸から明治へ~坂の上の雲の果て~」

期日:2月24日(日)
集合:上野駅
案内:根岸 恵子
資料代:500円
コース:上野公園の戦跡

訃報

昨年12月21日 矢口仁さん
今年1月2日 山本俊廣さん
 ご冥福をお祈りいたします。

お便り

七三一部隊罪証陳列館から731『学術通信』第四期をいただいた。

2013.1.27

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