軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』152号・要約

財務省が人骨発掘調査に着手へ
 ~若松住宅敷地内の第3地点~

川村 一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

 元看護師が人体標本の遺棄を手伝ったとされる国家公務員宿舎(若松住宅)の敷地を財務省が年度内に発掘調査を行う。陸軍軍医学校跡地に、12階建て87戸の住宅一棟が建っているが、築40年近くになるため、再配置計画によって2年前に宿舎は廃止、居住者も全員退去したため、調査の環境が整った。土地は調査完了後、売却される。
 発掘調査が行われる敷地内の児童遊園は、戦時中陸軍軍医学校の口腔外科として使用された木造の建物があり、空襲で焼けずに戦後は国立東京第一病院の産科・婦人科として使用された。元看護師は戦後まもなく口腔外科で使用していた技工室前の空き地に人体標本が遺棄された際、自分も手伝ったと証言している。
 発掘調査を担当する財務省関東財務局は、厚生労働省の戸山5号宿舎跡地の発掘調査と同様な手法で行う方針と語る。財務省は発掘業者と契約を結び、12月中に準備作業を終え、来年1月から試掘調査を開始、3月末までに調査を終了したいとしている。

連絡先
〒330-9716 埼玉県さいたま市中央区新都心1-1 さいたま新都心合同庁舎1号館18階
財務省関東財務局管財第1部 第3統括国有財産管理官(電話 048(600)1211)

計画資料

人骨発見22周年集会報告(その2)

川村 一之:講演記録(2)

  • 石井証言:「見た」「聞いた」「手伝った」

     石井十世さんが人体標本を埋めたという場所は3カ所。1カ所は「見た」、2ヵ所目は「聞いた」、3ヵ所目は自分が「手伝った」。
     「見た」という所は、89年に発見された場所らしい。「聞いた」というのは、今回調査をした場所。「手伝った」というのは、自分が直接標本をビンから出して捨てた場所。
     今回調査した場所について松下さんから聞いた話というのは、標本を埋めた場所を掘り返されると困るので官舎を建てて住んだ、責任があるので引越しもできない、ということ。石井さんは1944年2月に日赤看護婦の招集で軍医学校に勤める。戦後は、国立東京第一病院(旧陸軍病院)に40年ほど勤務した。松下菊松さんは1941年医療局近畿出張所に勤務。1948年10月、国立東京第一病院の初代事務部長などは全員公職追放、その後に松下さんが入り庶務課長から事務部長になった。今回調査した場所に住む。
     軍医学校の標本庫のあった東側、ここが89年に人骨が発見された場所。今回調査した場所というのは防疫研究室の西側で講堂等がある。発見されたコンクリートの基礎というのは、この建物の基礎らしい。石井さんが人骨が埋まっていると印をつけた場所は、防疫研究室の周辺と官舎、そして道を挟んだ南側の崖の部分。この辺が怪しいといくつも点を打った。特に怪しいと言ったのは戸山ハイツがある高い崖地に防空壕がある辺り。
     3ヵ所目の新しい証言が、軍医学校の入り口の門柱のあった東側。石井さんは2006年まで自分が手伝ったという話は一切しなかった。厚生労働大臣と会う直前、改めて話を聞くと石井さんがぽろっとおっしゃった。

    《証言テープ》省略

     いま石井さんが初めて証言したときのテープを聴いた。何度も話を聞き、確認を繰り返してひとつの証言にまとめ、厚生労働省に提出した。
     次にお見せするのは厚生労働省が2001年2月5日、石井さんに聞き取りをしたときに描いてもらった地図。石井さんが印をつけた場所は戸山公園内や箱根山の崖の部分にもある。そこの調査は難しい。今回はその中で一番確からしい場所を特定し、調査に及んだ。

  • 発掘調査の評価

     人骨は発見されなかったが、国が人道的な見地で七三一部隊と関連が疑われる人体標本の調査をしたという実績はできた。そして、戸山公園の運動公園造成の道筋が開けた。
     問題点は費用対効果。今回の調査費用は一億円。一億円もかけて人骨が出てこなかったのはどういうことだ、とか、証言が間違っていたのではないか、という批判もありえる。
     こういう事態があることは承知の上でやった。調査しないと土地は永久に売れない。たとえ一億円かけても、東京都に五億円以上で売ることになるだろう。差し引き四億円、国にお金が入る。
     しかし私たちもきちっとした情報のもとに、責任を持って調査を要求していかないと批判を受けてしまう。

  • 今後の課題は3ヵ所目の調査

     今後の課題は、第一に石井元看護師が手伝ったとされる3ヵ所目の調査。第二に陸軍軍医学校時代に作製された人体標本の調査。第三は既に発見され、厚生労働省が保管している人骨の身元確認調査。
     第一の3ヵ所目の調査は、財務省の土地である若松住宅。今年中(11年)に取り壊されて売却する予定が、震災被災者を受け入れたので半年ずれる。石井さんは「人体標本は技工室の前に穴を掘って埋めました、ガラスのビンから標本を出して埋めました、私が手伝ったのでよく覚えています」と証言した。
     次に軍医学校時代の標本。軍医学校の教官だった平井正民が、日中戦争が始まってから1940年までに1886体解剖したと病理学会で発表している。特別研究班(七三一部隊?)の213体を加算すると2千余体に達する。そのうちの3分の1にあたる700体は貯蔵して、十分の一の200体は軍医学校に送られている。これらの標本の一部分が戦災を免れて国立東京第一病院の大橋成一病理部長に引き継がれ、大橋は標本を陸上自衛隊の衛生学校に移したと証言している。政府答弁書でも陸上自衛隊衛生学校に数十体の存在を確認。ただ、調査は一切進んでいない。
     それから、89年に発見された人骨の身元確認。厚労省の2001年の報告書では、「これ以上の調査の実施は困難といわざるを得ないが、新たな調査の手がかりが得られることもあり得ることから現状のまま保管する」とした。
     2008年に舛添厚生労働大臣は「保管されています人骨の身元確認、これはさらなる技術革新その他の手を用いまして、できるだけ身元確認につながるような努力を今後とも続けていきたい」と答弁。厚生労働大臣が「身元確認」まで踏み込んだ。今後どこまでできるかわからないが、DNA鑑定や、スーパーインポーズ法という三次元写真撮影などによる身元確認などをやっていかなくてはならない。これには中国の七三一部隊犠牲者遺族からの申し立てもある。

渡辺 登さん 追悼文(追加掲載)

増田博光

内容省略

「人骨は訴える」パネル展
 ~武蔵野市民の会、一日展示会開催~

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

 武蔵野市では市内に空襲があった11月24日を平和の日に制定。そこで筆者はパネル展示と講演を行なった。狙いは、日本の加害責任を問うこと。講演者は細菌戦に関する新資料を発見した奈須重雄さん、人骨問題について鳥居、遺棄毒ガス問題と訴訟の現状について大谷猛夫さん。

「宗川訴訟」を支持します!

 私たちは京都で開催された「人体の不思議展」に反対し、訴訟に踏み切った京都市民・宗川吉汪さんらを支持し、『「人体の不思議展」損害賠償請求事件について公正な判決を求める請願」』署名を集めるとともに、団体としても賛同することを決定した。

新聞記事

朝日新聞:研究部門にも証拠文書《2011年10月15日(土)》
東京新聞:細菌兵器感染者「2万6000人」731部隊 極秘文書発見《2011年10月16日(日)》

2011.12.4

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