軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』151号・要約

人骨発見22周年集会「人骨発掘調査報告」開催す

根岸 恵子

22周年集会開催

 7月17日、新宿にて、標記の集会開催。参加者30名。基調報告は川村一之、考古学の立場から菊池実さんが発掘調査結果の分析。結果的に人骨は出なかったが、軍医学校時代のコンクリート基礎などが出土。

戸山5号宿舎跡地発掘調査

川村 一之 講演(前半)

婦人問題を考える会を
代表して石川さんが挨拶

 今年(2011年)2月21日、発掘調査が始まった。今日お話しするのは、第一に調査の目的と結果。第二に調査地点はどういうところか。第三に調査はどういう経過をたどったか。第四に元看護師証言の検証。最後に今回の調査の評価と今後の課題。

  • 調査目的は「人骨」の有無

     厚生労働省の調査の目的は、人骨が埋められているかいないかを確認するということで、731部隊や陸軍軍医学校など戦争遺跡や埋蔵文化財の調査ではない。
     89年に人の骨が発見され、98年、石井とよ元看護師は「人骨は他にも埋まっている」と証言した。私たちは新宿区や国に人骨の調査を要望、その場所は東京都が戸山公園の都市公園用地として厚生省から購入することが決まっていたが、東京都は本当に骨が埋まっているのかどうか明らかにしてほしいという要望を出し、その後10年放置された。今回調査に入ったというのは、厚生労働省の東京都への回答という意味もある。
     もう一つは2006年になって、石井さんに厚生労働大臣と会ってもらった。大臣は、遺棄された遺体は日本人であろうと中国人であろうと掘り出して埋葬しなくてはならないと言った。

  • 「人骨」は発見されなかった

     2011年2月21日から6月30日まで発掘調査が行われ、人体標本は埋められていなかったことが確認された。事前に私たちは厚労省と綿密に話し合い、考古学的調査を求めた。厚労省も最終的には私たちの要望に沿って専門家の配置、遺物の保管など、埋蔵文化財調査に準じる調査になった。
     調査地は軍医学校全体の0.5%。
     陸軍軍医学校敷地は57,000㎡位。防疫研究室は16,500㎡。発掘場所は、全体の敷地から見れば0.5%。
     89年に発見された人骨は標本館の東側あたり。今回調査した地点は防疫研究室の西側。終戦10年後の航空写真に石井さんと松下さんの自宅が写っている。国立東京第一病院の庶務課長だった松下菊松さんのお宅が今回の調査地点。松下さんと石井さんのご主人は病院を辞めたあと福祉事業団に通っており、松下さんは時々石井さんのお宅に寄っていた。

  • 発掘調査までの経緯

     石井さんは松下さんから聞いた話として、人体標本を埋めたあとに官舎を建てて住んだ、別の場所に家を建てたが掘り出されると困るので死ぬまでここにいると言っていた、という話をされた。2001年には89年に発見された「人骨」は、軍医学校時代の標本類であると国が責任を認め、現状のまま保管することになった。しかし、その時の報告書にはそれ以上の調査はしないと書き込まれた。この報告書を覆すために私たちは国会に働きかけた。2006年になって川崎厚生労働大臣と石井さんの面談が実現し、川崎さんが調査を約束した。その土地は戸山5号宿舎。建物が撤去された後という約束だった。2010年、国立国際医療センターは独立行政法人になりこの機会に職員が引越し、調査が可能になった。
     秋になって、戸山5号宿舎の解体工事が終わったのは11月。発掘業者の選定は難航し、2月21日に発掘調査が始まる。3月末ごろに試掘調査は終了。予算を翌年度に繰越し、4月になって本格調査開始。6月30日に終了、7月日に調査結果を発表した。

  • コンクリートの基礎や土管が出土

     試掘調査で、コンクリートの基礎を発見。恐らく軍医学校時代の建物の基礎。今は、残念ながらすべて撤去された。5月30日・31日に現地見学会。軍医学校関係の遺物がいくつも出て、江戸時代のものも少し出た。
     陸軍関係の国民食器も見つかった。湯呑のようなものには個人名が入っていた。インクのビンや注射器やシリンダーの破片等も出てきた。
     小さな土管をいくつも繋げて排水路をつくっている。土管の中の沈殿物を分析すれば、何に使っていたのかわかるのではないかと思う。先ほどのコンクリートの基礎があった部分とこの土管は繋がっていたかもしれない。

パワーポイントで説明する川村氏

(以下 次号)

新聞記事
東京新聞:厚労省の調査評価 市民団体が報告会《2011年7月18日(月)》

アンケート結果
内容省略

戸山5号宿舎跡地発掘調査のまとめ

川村一之(9月2日 記)

川村氏
  • はじめに

     「人骨」(人体標本類)の有無を確認するための発掘調査が行われた。調査の結果、「人骨」は確認されなかったが、厚生労働省が元看護師の証言によって、戦争犯罪の物証が埋められている可能性のある土地の発掘調査を実施したことは評価できる。今回の調査は元看護師自身が「人骨」を遺棄するのを手伝ったとされる口腔外科技工室前(現財務省住宅敷地内)の調査の前例となるため、調査の概要をまとめる。

  • 調査の特殊性

     「人骨」の有無を確認することが発掘調査の目的。埋蔵文化財調査ではないが、当該地が埋蔵文化財包蔵地として指定されていたため、試掘調査の段階で新宿区の文化資源係の学芸員が立ち会った。
    試掘調査は2月21日から3月24日。当該地には江戸時代は回遊式庭園の池があり、北側の池に向かって急激に傾斜していた。近代以降、約1m~7mの盛土がされていた。この盛土は埋蔵文化財の対象外。

  • 調査方法と調査経過

     東京都や新宿区が厚労省に「人骨」の堀残しがないよう要望したため、厚労省は敷地全体の盛土をすべて調査した。掘削は平均深度5m。残土の置き場所を考慮しつつ、5区画に分けて調査が進められた。本調査は4月21日から6月20日まで。この間、地質を見極められる専門家を常時2名、「人骨」に精通する学芸員も配置。掘削は人力と重機を用いて行われ、一回の掘削は10cmから20cm。5月には見学会が行われた。調査は撤収作業を含めて6月30日に終了。

  • 調査結果

     陸軍軍医学校の工事が行われたのは1927年頃から。当該地もこの頃から盛土が行われた。試掘調査で発見されたコンクリート基礎やC区画で発見された土管は戦前に構築され、戦後も使用されたと思われる。B区画から出土した国民食器(1941年頃から生産され、工場や軍事施設に優先的に配給された食器)には臨時東京第一陸軍病院を示す「東一」や軍医学校を示す「醫校」、陸軍を表す「五芒星」などが描かれていた。また、生産表示記号が記されており、生産された場所や工場などがわかる。
     全体としては戦後の工事によるかく乱以外に盛土が乱された痕跡は認められず、「人骨」はもちろん、防空壕や地下室のような施設や意図的に実験器具などを廃棄した痕跡もなかった。

究明する会の2名、訪中し、
七三一部隊被害者遺族と懇談

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

档案館資料などで明らかになった731部隊被害者の氏名

 8月26日~29日、七三一部隊被害者遺族を支える会(代表・南典男)の訪中団5名が訪中。27日、王亦兵さん、李鳳琴さん、朱玉芬さん、張可偉さんら遺族と懇談、訴訟が終わった今後の展望について議論、その場で遺族の連絡会が結成された。「人骨の会」から訪中団に加わった鳥居、根岸は、遺族の方々に人骨の会からの提案を申し出た。

 89年に発見された新宿戸山の人骨の身元確認のために、①張可達さんについては、91年に頂いた写真を元に、スーパーインポーズ法による鑑定を求めること、②李鳳琴さんについては、DNA鑑定などを含む個人鑑定を求め、被害者・李鵬閣氏の写真を提供してもらい、スーパーインポーズ法による鑑定も求めること。これらの要求を実現するためにできるだけ多くの被害者遺族を求めていることも伝えた。

謝罪と不戦平和の碑

 同席した哈爾浜市社会科学院七三一研究所副所長の楊彦君氏は、私たちが提供した書籍の中の間違いを指摘し、89年人骨が七三一部隊犠牲者のものではない可能性があることを主張した。私たちは、発見された人骨は陸軍軍医学校が廃棄した戦傷標本であること、標本は七三一部隊などで作製したものが送られてきた可能性が強く、そのような証言もあることを主張した。書籍の誤用写真については、対策が必要である。
 また、遺族から七三一部隊に無関係な被害者の写真提供の申し出もあった。七三一部隊被害者以外の戦争被害者の扱いについて、基準の設定が必要になる。

731部隊被害者遺族の方々と懇談
王亦兵さん(右)
李鳳琴さん
李鳳琴さんの父
李鵬閣さん
朱玉芬さん
張可偉さん
渡辺 登さん、逝去

安松 貉

渡辺 登 さん
 人骨の会の創設メンバーであり、人骨焼却差止め住民訴訟原告団長、七三一部隊展全国実行委員会初代事務局長も務めた渡辺登さんが、8月20日夜、肝不全により逝去。享年81才。
葬儀風景
最後の別れ

渡辺さんの逝去に思いを馳せられた関係者の皆さんの、メール等で寄せられた声
(氏名のみ紹介)王 淑敏、松村 高夫、鳥居 靖、川村 一之、河内 和彦、根岸 恵子、平野 利子

「もう一つの新宿 日本の戦争加害と共生を考えるフィールドワークガイド 早稲田 ⇔ 戸山 ⇔ 大久保」
遂に完成!

安松 狢

wam(女たちの戦争と平和資料館)、高麗博物館、人骨の会の三者の共同企画として、パンフレットを作製した。

2011.9.18

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