軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』141号・要約

いよいよ防疫研究室跡地の調査が始まる
~厚労省が新たな人骨の発掘調査費を予算に計上~

川村 一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

 厚生労働省は1月27日、2010年度予算案に「人骨発掘調査費」を計上。厚生労働省医政局政策医療課監査指導室が民主党の郡和子衆議院議員の問合せに答えた。

  • 発掘調査費用は一億円か。
    • 調査地点は旧陸軍軍医学校の防疫研究室跡地で、病院宿舎周辺約3500平米。同地は江戸時代大名屋敷で埋蔵文化財の包蔵地。仮に埋蔵文化財調査と同様の調査を行うとすれば一億円以上になる。
  • 第三者的な客観的、公正な調査体制を。
    • 「穴の広さは十五メートル四方、深さは十メートル、三階建ての家屋がすっぽり収まりそうな深さだった。」(森村誠一『続・悪魔の飽食』)。「医療器具や書類も捨てた」(1989年8月1日付『赤旗』下里正樹記者)などという証言もあり、調査次第で埋められた年や身元確認につながる情報もあり得る。かつて人骨鑑定をした佐倉朔鑑定人の意見も聞き、歴史や医学に詳しい有識者で構成する発掘調査委員会を組織し、調査主体は厚生労働省でも第三者的な客観的、公正な判断が行えるような調査体制を組むことが求められる。(2010.3.5)

回答

追記:鳥居 靖
厚生労働省は、戦後帰還兵から聞き取った、戦争中の戦死・不明兵に関する情報を公開し始めた。保管されている人骨の身元調査も期待したい。

新聞記事
讀賣新聞:旧陸軍軍医学校跡地 発掘調査へ『厚労省 1989年大量の人骨発見』2010年2月4日(木)
毎日新聞夕刊:戦死・不明兵情報公表へ『太平洋戦争帰還兵から聴取分』2010年3月5日(金) 

人骨発見二〇周年記念集会報告その2
「強制連行と遺骨調査 ~人骨は帰りたい~」
質疑応答

  • 川村 一之(司会)
    •  全国のお寺に保管されている遺骨の韓国への返還は一回も行われていない。まだまだそういう状況。
  • 王 選(元細菌戦訴訟原告団長)
    王 選 さん
    •  (細菌戦裁判の)支援有難うございました。今はほとんど中国にいます。日本の市民の努力に本当に感動した。中国にはで日本軍の遺骨も残されている。侵略はいやだが反日じゃない。両国間の大きなイシューとして、お互いの遺骨返還を行ったらどうか。中国では、今、戦争中の事が報道やドラマでよく語られるようになり、戦争犯罪は広く知られるようになったが、日本にある平和運動のことは同じように伝えていない。先ほどのお話で、人間として過去の間違った事を補うという気持ちが大切。
  • 李 一満(東京朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮側事務局長)
    李 一満 さん
    •  先ほどの資料には、麻生炭鉱が抜けている。八丈島の空港建設に朝鮮人がかかわり、真相糾明委員会が私の論文に基づいて調べてみたら生存者が7人いることが分かった。今年、そのうちの6人に会ってきた。八丈島も大変。墨田区の横網公園に東京都慰霊堂があり、その慰霊堂には関東大震災と東京大空襲の犠牲者の遺骨が納められている。そのなかに朝鮮人の遺骨もある。いずれ遺族の元へお返ししたい。運動をなさっている方々に敬意を表す。
  • 野添 憲治
    •  韓国の糾明委員会は、来年廃止予定。真相究明は一層難しい。本来日本人が責任を負ってやらなければならない問題だった。私たちは一人でもこの問題に取り組まなければいけない。
      中国人が強制連行された場所135ヵ所の調査を終えてから今、月に2回朝鮮人が働いた現場を歩いている。各都道府県至る所にあるが、地元では八割方は調べていないし教育もしていないようだ。私のいる秋田県では朝鮮人強制連行の調査を12年やり、73ヵ所を突き止めた。去年から一般の人と一緒に戦争遺跡を歩き、その中に中国人・朝鮮人の働いた場所も入れている。少ない力でも併せながら、それぞれ暮らしている現場で皆さんもやっていきませんか、という提案をしたい。
  • 増田 博光
    •  遺骨を掘り出さずにそのままに、という日本人一般のメンタリティがある。それとの闘いみたいなものがあると思うがどうか。
  • 野添憲治
    •  遺骨を掘り出さないで暗闇の中に隠しておくというのは、歴史を掘り起こさないことにも繋がる。こういう運動をやっていくとそれなりに共鳴する人が出てくる。実際に発掘作業に参加していると、多くの人が感慨を持つようになる。
  • 川村一之(司会)
    •  野添さんは、秋田で先進的に中国人の強制連行から朝鮮人の強制連行、そして戦争遺跡までずうっとやって来られた。東京も負けないように頑張りたい。
終了後は追悼式会場へ

連続フィールドワーク:東京の戦争遺跡を歩くをより楽しむために
第ニ回プレ学習会「葵から菊へ~江戸徳川屋敷から帝国陸軍施設へ~」

期日:2010年4月25日(日)午後1時30分~
会場:戸山生涯学習館・学習室C
講師:長谷川順一(東京の戦争遺跡を歩く会平和案内人、靖国神社・遊就館ガイド)
資料代:500円

公開シンポジウム「日本人起源論を検証する形態・DNA・食性モデルの一致、不一致」に参加して

鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

 2月20日、国立科学博物館分館(新宿区百人町)でシンポジウム開催。約300人の参加で多くの立ち見が出た。
 同シンポジウムは日本学術振興会科学研究費補助金による「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」の成果を発表したもので、日本人の起源について結論はでなかったが、少なくとも「日本人」という単一の集団を想定することはできないし、旧石器から縄文時代、弥生時代、古墳時代…現代という単線的な進化史観は排すべきだ。人骨の会の立場でいえば、新たに発見されるかもしれない人骨の鑑定に参考になった。馬場悠男先生(10周年で講演)と佐倉朔先生(人骨鑑定人)にも会えた。

日露戦争をどうとらえるか
―「国定教科書に見る軍神」を手がかりに―

文責:鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)

講演する丸浜さん

 1月24日、東京歴史教育者協議会会長の丸浜昭さん(駒場大付属中学校・高校教員)に、「国定教科書に見る軍神」というテーマでお話を伺う。

 丸浜さんは、かつて歴教協新宿支部で活動していたときに、人骨問題と七三一部隊展に出会う。山室建徳氏の「軍神」(中公新書)は軍神は生まれるべくして生まれたと主張。内敏夫氏の「軍国美談と教科書」(岩波新書)では軍神がつくられた社会背景を考察。「軍神」の三類型。一つ目は、戦場で倒れた職業軍人で中年の指揮者(橘周太、加藤建夫、広瀬武夫など)。二つ目は、東郷平八郎、乃木希典などの大将・提督。最後に、爆弾三勇士(日中戦争)、特別攻撃隊(太平洋戦争)など、死を免れない作業を集団で遂行した若手の将兵たち。ただし、爆弾三勇士は正式には軍神ではない。これらの軍国美談は、国語や修身の中で道徳教育の一環として扱われる。同じような記述が「新しい歴史教科書」に。この教科書が採択された杉並区では、これを批判しながら新しい教科書―「ひらかれた歴史教科書の会」編の「『新しい歴史教科書』の正しい読み方―国の物語を超えて」を作成。日露戦争は1、ロシア脅威論一辺倒では説明できない。2、朝鮮と日本の関係を丁寧に見る必要がある、3、戦争は民衆を如何に蹂躙するか、この三つの視点が必要。

フィールドワーク報告記
「陸軍技術本部」から「陸軍軍医学校」へ

中村 隆一 (2010年1月29日記から抜粋)

 昨年暮れ、二団体が新宿区の大久保から戸山への行程をフィールドワーク。11月28日は横浜市高等学校教職員組合(15名)、翌29日は中央大学長谷川ゼミ(17名)。横浜教組の感想を紹介。

 横浜市立高校の教育研究会の一つ「歩く分科会」で東京都新宿区戸山の戦跡を巡る。14時から18時までつるべ落としの秋の日に辺りが暗くなるまで駆け足で巡った充実した約4時間だった。

諏訪神社

 …バブル崩壊期の社会不安や現代社会に対する漠然とした人々の不満を背景に、戦争とそれに続く戦後の歴史への若い人たちの無知につけ込んで、社会のほんの一部の人たちの思いつきにすぎない歴史認識が公然と語られ、世論がガラッと変えられた。そこから99年の国会で「周辺事態法」「盗聴法」「国家・国旗法」なども一挙に成立、仕上げが2006年の教育基本法の改正。そして横浜でも昨年「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が採択された。そんな中でも2006年の石井とよさんの証言があり、それに基づく発掘調査が2010年に行われる。

2010年 お花見ウォーク【「慰安婦」・人骨・植民地支配】

2010.3.14

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