The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
川上 奈緒子
5月17日、中国人強制連行について勉強会。
中国人強制連行は戦時下、日本国内の労働力不足を補充するために行われた。42年「華人労務者内地移入に関する件」が閣議決定。「試験的な移入」の後、44年に「華人労務者内地移入促進に関する件」が次官会議で決定。この政策に基づいて44年~45年、35の企業、135ケ所の事業場に約4万人の中国人が日本へ連行され、6830名の死者を出した。戦後、外務省管理局が全事業場へ中国人の「移入」に関する報告を提出させた。事業場が提出した『華人労務者就労顛末報告』をもとに外務省が作成した資料が『華人労務者就労事情調査報告書』。
花岡について
第1次は299名中147名死亡。第2次は589名中252名死亡。第3次は98名中15名死亡。戦後の残留者41名のうち4名が死亡。どのように亡くなられたのか、はその責任の所在を含め、記録されるべき。
地崎組について
11事業場への「移入」状況と死者数を報告。配置転換や他の職種への異動を行っている。船舶・鉄道を用いて北海道まで連行した大事な労働力を高い死亡率で失ったのはなぜか?さらに地崎組は「不良華人」と呼ばれる人たちを全国の事業場から集めている。
中国人強制連行は日本国内の労働力不足を補うためとされるが日本国内だけではなく、日本・満州・中国における労働力の再配置という観点からの考察や大東亜共栄圏という大枠(泰緬鉄道でのロームシャや朝鮮人強制連行などとの比較考察)にあてはめて考える必要性が求められる。
5月24日(日)、21名の参加者。四谷駅から江戸城外堀を見て明治時代の遺構・旧御所トンネルを通ってJR信濃町駅へ。兵器補給部があった慶応大学病院(駐車場に境界石)から青山軍用停車場跡を横に見ながら神宮外苑へ。明治時代青山練兵場として使用され、明治天皇が死去して一年後神宮外苑が造られた。一同は明治維新と明治天皇を讃える展示満載の聖徳記念絵画館を見学。樺太日露国境確定石碑などを廻って、出陣学徒壮行の碑の前で終わる。 最後にガイドの長谷川さんは遺棄毒ガス被害者国賠訴訟の支援を訴えた。
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20周年記念誌「国に問われる責任~つぐないか、救いか」1000円
2009.6.28
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