軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』133号・要約

人骨発見19周年集会「国に問われる責任~つぐないか、救いか~」報告①
加害責任とどう向き合うか―ドイツ強制労働補償基金―

拓殖大学教授:佐藤 健生

 強制労働基金の特徴は、政府と企業が50億マルクずつ拠出した点。総額で約51億ユーロ、利子が3億ユーロ上乗せされる。名称が「記憶、責任そして未来」という基金方式の財団。
 ドイツの戦後補償は1950年代前半から始まる。強制労働は戦争に伴って起きた問題(戦争付随行為)なので、賠償で決着をつけるはずだったが東西分裂の中で先送りになった。1980年代末ごろから関心が高まり、統一後、賠償ではなく補償という形でやることになった。
 2000年に法が成立してから昨年6月に財団の支給活動がほぼ終わり、現在は再発の防止に活動が縮小された。印象的だったのは発案者の社会民主党・緑の党の連立政権が終わって、キリスト教民主同盟の現政権も財団の活動を絶賛していたこと。すべての党の補償問題の専門家が話し合って、みんなで提案した法律である。
財団の活動
 財団設立法の前文で歴史的事実を認知し、それに対する責任を確認した。「ナチズムの被害者に対し、政治的及び道義的責任があることを認める」と言っている。法的責任ではなく、政治的・道義的責任。対象者は98ヶ国に亘り、日本にも3人いた。財団と各「パートナー機関」といわれる受け皿機関が行い、直接ドイツは出てこない。最終的に支給額はだいたい43億7千万ユーロ(7200億円)。一人当たり5000マルク(50万円以下)。それくらいの金額で成り立つ背景には、「過去の克服」は被害者の救済や補償だけではなくて、加害者の追及と再発の防止という三つの柱が相互に補完しているからだ。
 ドイツ経済界は基金の設立にBMWやドイツ銀行、バイエルなど12社が呼びかけ、強制労働に関わって個別に補償をしていた企業も含めて6542社が応じた。出発点はアメリカで訴訟があり、そこで営業活動ができなくなることがあってアメリカでの法的な問題を解決するということがあった。
 今は「未来基金」の活動が中心。当事者をドイツに招く。その趣旨は、ドイツの若者と出会い当事者にはドイツの現在と未来を知ってもらう。ドイツの若者にはドイツの過去を知り未来を考え、そして個々の身近な事実として一人一人の人生を実体験してもらう。
日本とドイツの違い
 日本では、罪と責任の区別が曖昧。ドイツでは、罪と責任を分けて考える。佐瀬昌盛さんはドイツでは「集団責任論」をとり、日本では「集団罪過論」をとったと指摘している。ドイツでは「罪」はナチスにあり、ドイツ人には「責任」があると捉えている。1985年のヴァイツゼッカー演説にも謳われている。
 それから「過去の克服」について。日本の場合は「過去の清算」。ポイントは東京裁判以降加害者の追及がない。被害者の救済や補償も立ち遅れている。しかも自国民に対しても不十分。
 次に「謝罪」のことだが、日本は簡単に謝罪するが裏付けがない。もう一つは「外交関係で謝罪が問題となるのは、東アジアだけだ」という人がいるが、東アジア文化独特の状況もある。ドイツの場合は事実を認めてから責任を取る。ドイツ語の「補償」Wiedergutmachungは、「再びよくする」という意味。不正を正すことが補償、償いということ。
 「ワイマールの教訓」といって、ドイツと日本では二度目の民主主義と初めての民主主義の違いがあるとよく言う。情報を鵜呑みにしない、自分の意見を持つという民主主義の基本がドイツでは徹底している。そして市民が国を動かし、市民が国を変えられるという実感を持っている。もともとドイツは権威主義的な国家だったが、最終的には「お上」という意識がなくなってきた。日本も市民の意識レベルは結構評価されている。それが政治に反映しない。
 ドイツと日本を比較するのは非常に難しいが、日本の背負った過去は非常に重大。日本はどこよりも早く戦争を始め(1931)、どこよりも早く国際連盟を脱退し、どこよりも遅くまで戦争をしていた。その国の過去の取組みが重大。その責任は国にもあるし、我々にもある。

質疑応答:省略

熱弁を奮う佐藤さん
質疑応答
スタッフ全員で記念写真
人体の不思議展 川崎展(川崎ルフロン)見学記

平野 利子

(2002年から全国巡回している人体の不思議展に、私たちは当初から疑問を投げかけてきた。最近は医学団体の中に後援を取りやめる所もある。しかし展示会は続く。)

 2008年10月30日(木)、人体の不思議展 川崎展を見学した。1995年の「人体の世界」のプラスティネーションに比べ標本は粗悪。一般の方が真剣に勉強するには不適切。以下当日担当の昭和大学の後藤昇先生(2003年東京展の監修委員)からお聞きした。

  • Q.
    • 胎児の標本について
  • A.
    • 中国人は遺体に対する執着はなく、第三者がほしいと言えば「どうぞ」という感じ
  • Q.
    • もし、遺族から遺体の返還を要求された時は?
  • A.
    • この標本は南京と大連で作られ、日本は購入している。仮に遺族が返還といっても買い戻すことになるが…監修委員の役割はあくまで啓蒙なので、金銭的なことはよくわからない
  • Q.
    • 展示会が終了した時、この標本はどうなるのか?
  • A.
    • 永久標本なので医学部などに常設展示し、医学生等を対象に見学できるようにする。

 会場の出口に相田みつを美術館のチラシと割引チケットが置いてある。相田みつをさんの言葉には「三途の川を渡るときは肉体を捨てろ」とあるが、私は自分の体を捨てられない。私の命は私だけに与えられたこの体だと思う。

新聞記事

京都新聞:薬害の原点 究明を ジフテリア予防接種禍(11月4日)

人骨発見20周年記念プレ企画:~七三一部隊を生んだ日本陸軍80年を歩くフィールドワークパートⅠ~
「陸軍の父・大村益次郎の銅像と靖国神社」挙行

安松 狢

 10月19日、元新宿区議・長谷川順一さんの案内で靖国神社を中心にフィールドワーク。参加者は6名。集合場所からしょうけい館に行く。ここは戦地で戦傷を受けたり、病気に罹った人たちの悲惨な歴史を綴った資料館。陸軍第一病院や陸軍軍医学校とも関係が深い。次に靖国神社・遊就館に行く。責任逃れ・自己弁明の歴史観に基いた展示内容に辟易する。

神社の前で記念写真

2008.11.30

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