軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』128号・要約

告知:パネル展「人骨は訴える」

2月12日(火)~16日(土)、18日(月)11:00 a.m-10:00 p.m.

展示開催中にジョイント・コンサートThe Art of 731(731の技法)
2月15日(金) open 19:00 / start 19:30
出演:国分寺エクスペリエンス・うすい免責トリオ<臼井淳一、ノブナガケン、永桶泰史>・館野公一

会場:Cafe FLYING TEAPOT(江古田) 【ホームページはこちら

第一回ピースウィークしんじゅく

太平洋戦争開戦66周年
平和のための戦争展
「戦争」って何だ!? 目で見、手で触れてみよう いま知る「戦争」の実像

石川

 2007年12月8日・9日、日本キリスト教会館6Fにおいて、第一回ピースウィークしんじゅくが同実行委員会の主催(共催は区内二四の九条の会)で開かれた。当会は「人骨は訴える」のパネルの展示で参加。

2008年・お花見ウォーク
新たな人骨調査の実現を目指して

3月30日(日)午後1時
高田馬場駅集合

人骨発見18周年集会記念講演「医学史から見た戦争と軍隊」その2

吉田 裕(一橋大学教授)

熱心にお話しする吉田さん
戦場と軍隊の諸相2:戦争神経症
 戦争神経症は欧米では大きな研究テーマ。第一次世界大戦ぐらいから、長期間の塹壕戦が続く中での対策として休暇制度が導入。日本では休暇制度は軽視されていた。日中戦争の初期に動員された兵士は高齢の予備役で、激戦地に投入される。戦意も高くなく軍紀は乱れ、略奪・強姦と非行に走る傾向が強く、現役の若い兵士に入れ替えていく。何年間か中国で戦って帰還した後、今度はアジア・太平洋戦争が始まってまた動員される。
 戦争神経症の問題は社会問題化。ベトナム戦争のときの帰還兵が有名。自衛隊も、イラクへの派遣からコンバット・ストレスの研究がようやく始められた。河野仁の「自衛隊PKOの社会学」という論文がある。聴き取り調査の結論は、集団的な生活の中に投げ込まれていると、三ヵ月後に危機がやってくるという説。戦闘に対する恐怖ではなく、集団生活に耐えられない。
 国府台病院に戦争神経症の患者のカルテが大量に残されている。清水寛が研究を積み重ね、今、資料集が不二出版から出始めている。この中で驚くのは、戦争の長期化とともに戦争神経症が非常に深刻な問題になっていくと同時に、軍隊の中に大量の知的障害者が入ってくる。理由は1940年の徴兵検査のとき身体検査の合格基準を大幅に下げたから。但し、面白いのは精神障害兵士とされた人の中に、意識的な徴兵忌避の人がいる可能性がある。これは「徴兵忌避の地下水脈」という面からも重視すべき問題。
 それから、野田正彰は『戦争と罪責』に「実は兵士は拒食症になっていたのである。食べたものを吐き、さらに下してしまう。壮健でなければならない戦場で、身体が生きることを拒否していた。」と書いている。

戦場と軍隊の諸相3:自傷
 『鶴田軍医総監 日露戦役従軍日誌』(1936年・陸軍軍医団)。日露戦争で旅順攻撃に参加した軍医の日誌で、そこに出てくるのが自傷の問題。最前線から逃げるために自分の体を傷つける自傷が本当に多い。軍の中央レベルでも相当深刻な問題として認識していた。戦意の低下が生じているということがよくわかる。アジア・太平洋戦争でも、防衛医大に陸上自衛隊衛生学校がまとめた『衛生戦史 フーコン作戦 硫黄島作戦』という資料があった。軍医の仕事の一つは、自傷者を摘発するということ。
 こういう問題は角度を変えてみると、戦時下は「死の哲学」が説かれるが、一方で生きようとして必死になる人たちの生き残りの哲学のようなものを、もっと明らかにしていく必要がある。

 特攻隊の場合もそういう事例がかなりある。飛行機は揚力があるから甲板の上にダメージを与えるぐらいで船を沈めることはできない。だから重い爆弾を積めるように改装をして出撃させる。大部分は旧式機で、乗っているのは未熟なパイロット。隊員の四割が将校で、そのうちの八割くらいが学徒兵。それと少年兵が多い。戦意は上がらないのが自然。エンジンの故障等を理由に引き返したり、不時着したりするパイロットが出てきたりした。林えいだいの『陸軍特攻 振武寮』(振武寮とは帰ってきた特攻隊員の収容所みたいなもの)を見ても、かなりの数、意識的に帰還してしまう特攻隊員がいることを伺わせる。アメリカの日系アメリカ人女性が作った特攻隊員の映画がある。帰還してきた特攻隊員たちからのインタビュー、かなり赤裸々に、天皇の戦争責任についても「天皇が早く戦争の終結を決断していれば、特攻隊員の大部分救われたんだ」と語っている。
 ここ一、二年、生き残った兵士が、生々しい事例を語り始めている。兵士がしゃべり始めた事は、戦友会が解体しつつあることと関連するように思う。(山田朗さんの意見)

中央大学長谷川ゼミ:フィールドワーク感想

内容省略

2008.1.27

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