The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
和子衆院議員の質問主意書に政府が答弁書で回答
鳥居 靖(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・事務局長)
昨年、郡和子議員の国会質問をきっかけに、川崎二郎厚生労働大臣が元軍医学校看護婦・石井とよさんに聴き取り調査を行い、人体標本類が埋まっている可能性のある場所は従来の厚生労働省戸山第五庁舎付近に加えて財務省若松住宅内の児童公園にも広がった。郡議員は今国会で「旧陸軍軍医学校の人体標本等に関する質問主意書」を提出、これに対する答弁書が9月18日、内閣総理大臣安倍晋三の名で衆議院に送付された。
その内容は、
第一に川崎大臣の聴き取り調査の内容が公式に認められたこと。
第二に財務省は人骨調査を検討すると述べていること。
第三に人骨調査は医療センターが独立行政法人となった場合でも引き継ぐこと。
国が人骨の調査を正式に認めたことになる。
提出者:郡 和子
質問項目抜粋
平成19(2007)年9月10日提出 質問第三号
旧陸軍軍医学校の人体標本等に関する質問主意書
提出者:郡 和子
平成19(2007)年9月18日受領 答弁第三号
内閣衆質168第三号 平成9月18日
内閣総理大臣 安倍晋三
衆議院議員郡和子君提出旧陸軍軍医学校の人体標本等に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
吉田 裕(一橋大学教授)
軍事医学から見た軍隊と戦争について、最近の研究に即して話す。三つ大きなテーマがある。
軍事史研究の現状と問題点
軍事史研究は、戦闘史、作戦史に偏している。浅野祐吾「明治陸軍の戦史研究について」という論文は、作戦戦闘史以外の研究分野が疎かにされたということを戦前の反省として述べている。その体質は戦後の自衛隊にもそのまま引き継がれた。その理由は、戦後の第一世代の研究者には軍事史研究に対して軍学共同になりはしないかという強い警戒心、忌避心があり、旧軍関係者、陸海軍の幕僚将校たちが、戦後自衛隊に入って軍事史研究に携わってきた。
『戦史叢書』全103巻(防衛庁防衛研究所戦史部作成)があるが、作戦戦闘史偏重で補給、兵站、軍事医学、情報戦についての巻がない、陸海軍の対立がそのまま持ち込まれている、先輩の批判ができていない、などの問題がある。
但し、90年代以降、戦争体験を持たない世代の中から軍事史研究がかなり出てきて、政治史、外交史、民俗学、教育学…そういう様々な分野から軍事史研究へのアプローチが始まる。
戦前の軍事史研究
戦前の軍事医学の特質は、まず一点目は全体として軍隊の中で軍事医学が軽視され、日露戦争当時の体制のままで、アジア・太平洋戦争を闘った。具体的にはマラリア対策や輸血を最前線で行なう体制はできなかった。
二点目は、皇軍-天皇の軍隊独特の思想があって、玉砕戦、退却戦の時、傷病兵は軍医や衛生兵が手を下して殺してしまう。何時頃からそうなったかははっきりしない。明治・大正期は退却に当たって衛生兵をつけて傷病兵を現地に残し、敵の手に委ねていた。
三点目は、非科学的な精神主義の伝統がある。衛生部の中ですら陸軍内の精神病の存在を認めないような意識があった。
戦場と軍隊の諸相一 餓死の問題
『疫病の時代』を見てみると、従来の戦争では伝染病等による死の方が多いが、補給・衛生体制が進み、日露戦争で初めて戦闘での死者の方が戦病死者を上回った。
ところが、第二次世界大戦では藤原彰の推計で戦死者の6割が広い意味での餓死(含栄養失調死・抵抗力が落ちたことによる伝染病死)をする。秦郁彦の推計ではその割合は37パーセント。日露戦争の段階から退行してしまう。藤原の研究では、将校、下士官、兵士と、下に下がっていくほど餓死率が高く、そこに明白な階級差がある。餓死の問題はアジア・太平洋戦争に固有の問題ではなくて、日中戦争期から発生していた。
以下次号
2008年2月12~18日
西武新宿線江古田駅下車:Flyng TEA POT
詳細は後日
渡辺 登
10月14日、中央大学生の遺跡調査に同伴。理工学部の長谷川曾乃江先生とゼミ生六名を案内。
*戦後日本医療犯罪の原点
*京都・島根ジフテリア予防接種禍事件(11月17日)
孫呉の楊伯林氏から資料をいただく
朝日新聞:フランコ独裁下の犠牲者 名誉回復法が成立へ《2007年11月2日(金)》
2007.11.4
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