軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』122号・要約

医学者による被抑圧者の遺骨収奪を考える ―台湾編―

根岸 恵子

 人骨の会のメンバーである奈須重雄さんが、日本統治時代の台湾での日本人医学者による「遺骨蒐集」の実態について、人骨の会例会で報告したものをまとめた。
 台湾を領有した日本は豊かな資源の略奪と原住民を労働力として使う目的で植民地政策を進め、これに抗して山岳先住民が武装蜂起を起こす。殺された日本人は134人に上り、日本軍は陸軍一個連隊規模を投入、航空戦、毒ガス戦を含む近代戦術を駆使して、約700人を殺害した。以上が霧社事件の概要。当時日本では殖民学に後押しされた人類学が盛んに研究されていた。北海道やサハリンでは先住民族の人骨がその墓地から盗掘され、台湾でも遺体の収奪は霧社事件、第二霧社事件を通して行われ、当時の台北帝国大学医学部の学術論文には、骨を計測して比較したものが多く見られる。
 奈須さんは今回「南支那防疫給水部」について調べていくうちに、大鶴正満の名に行き着いた。大鶴は、1940年に台北帝国大学医学部を卒業後、半年は大学で解剖学の助手をしていたがその年の12月に軍医候補生としての通知を受け、南支那防疫給水部に配属、そこでマラリアの研究に没頭した。1987年に琉球大学医学部寄生虫学教授として退官するが、解剖学を専門としたのは台湾時代だけで、根っからの人類学者ではなかった。回顧録「こし方の記―ある基礎医学者の覚え書」(1989年)のなかで台湾時代、解剖学教室で行った遺骨蒐集のことやその研究について触れている。その記述から、台湾人の人類学的な研究は当時盛んに行われていたと考えられる。
 話は戻るが、霧社事件では毒ガスが使用され、それは台湾の山岳先住民に対しての人体実験であったと考えられる。奈須さんの研究はまだまだ入り口かもしれない。人権を無視した学者たちによる人骨の収奪はこれからも明らかにしていかなくてはならない課題だ。

2007年お花見ウォーク

テーマ:新たな人骨問題―骨は未だそこにある

4月1日(日)13時出発
(於若松河田駅)

人骨発見17周年「七三一部隊―実像と虚像―」

講演録・その3

スライド23

 ここから、1945年8月16日以降の話。スライド23左側の一~三の記述は、冒頭で見た石井ノートの書き込み。「一.ペスト地 北尾雇員、小形雇員、加茂野技手ノ昇級 二.家族ノ採用 三.十二班トpxトホ号ノ一部及各部長ガ特ニ推奨スル人物ヲ審査シテ決定ス」
 三の十二班はよく分からないが、元部隊員の方はペストノミをやっていた田中班じゃないかと言っていた。pxはペストノミ。ホ号は細菌作戦、生物戦の実施のことを指す。そうした特別な人たちを選んで決定すると書いてある。次にスライド右側。「帰帆船ナラバ人員機材ガ輸送デキル見込」に注目。人員器材とはなんだろうか。

スライド24

 同じノートの見開きで、左側が上段の一部、右側が下段。「内地ヘ出来ル限リ多ク輸送スル方針 丸太-pxヲ先ニス」 これを見て、「丸太」という記述にびっくりした。部隊関係者が漢字で書いているのを見たのは初めて。被験者は45年8月15日以降も生きていたのか。14日くらいには殺されているはずだが…「pxヲ先ニ」、ペストノミもあったのか。ペストノミは、元部隊員の証言によれば、試験管内で三ヵ月生存する。あっても不思議ではない。それを先に送る、と読める。ノートの下段には「方針 一.婦女子、病者、及ビ高度機密作業者、及ビ順次全員ハ万難ヲ拝シテ内地ニ能ウ限リ速ヤカニ内地へ帰還セシム」。人間については「輸送」ではなく「帰還」と書いている。左の上の段の記述は、被験者およびpxを先に日本へ送ろうと、と読める。被験者とは人体実験のデータや標本も含まれるかもしれない。

スライド25

 左側には「一.六万満洲カラ 二.一ヶ月デ全滅 三.夏程ヨイヤレ … 六.釜山ヨリヤレ … 八.元山ヨリモ小船ナリ」とある。右側には八月二六日とある。
 中身は、一は予備役を含む復員などのこと。「資材ハ附近ノ陸病(陸軍病院)ヘ」と書かれている。二の「高山、中山 復員案」というのは多分軍医学校の中山学校が千葉にできるので、そこに持っていくのかと思う。「一部ハ東一院附(東京陸軍第一病院)」。その下が「明日退」。次が青木さんの本は「研究抽出」となっているが、むしろ「機密」と読める。だとすると被験者から取った臓器などの標本を彼らは「丸太」と呼んでいて、これを持ち帰り、どこかに始末しなければいけない、という話とも思える。そうすると「東一」に置いておいたものがいよいよまずくなって(元軍医学校看護婦の)厚労大臣への証言にある、1947年くらいにあちこちに分散されたという話につながっていくかも知れない。三の「河辺(虎四郎)」というのは参謀次長。「梅津(美治郎)」というのは参謀総長。これは石井の上司だった人たち。河辺は「犬死ヲヤメヨ」、梅津は「静カニ時ヲ待テ」。8月26日になってこういうことを石井に言うのは、彼がこの時になってもまだ何かを画策していたのではないか。8月14日に最後の部隊が出るとき、細菌爆弾を60発ほど積んだが、全部海に捨てたという証言がある。東京から新京に飛んできた朝枝参謀が石井に対して、一切の証拠隠滅という大本営の命令を伝えるが、それに背いて中身の詰まった細菌爆弾を、少なくとも釜山まで運んでいる。石井は、米軍にひと泡吹かせてやろうと考えていたのではないか。

スライド26

 新妻ファイルの一部。新妻ファイルは、奥様の意向で今年(2006年)の5月末に防衛庁の防衛研究所に寄贈した。ただし、DVDは手元にある。新妻さんは敗戦時は中佐で、最後の一年間、陸軍省で科学技術行政の中心にいた。広島に原爆が投下された時に仁科芳雄博士と一緒に最初に広島に行った。その時の文書は生前、広島の原爆資料館に寄贈され、展示されている。その一方で、彼は敗戦後に七三一部隊の事情聴取にも立ち会う。その時のメモが新妻ファイル。「マッカーサー司令部連絡綴」として、200枚ちょっとある。そのうちの一つがスライドの「北野中将ヘ連絡事項」。北野は、1942年8月に石井に代わって部隊長になる。連絡事項の一に「〇及『保作』ハ絶対ニ出サズ」とある。「〇」は石井四郎が書いた「丸太」のこと。保作は細菌戦作戦。それ以外に占領軍に隠したかったことは、七・八棟、田中班、それに八木沢班があったこと。それぞれについて、七・八棟は中央倉庫、田中班はペスト研究、八木沢班は自営農場であった、と説明するよう指示している。「保研」とは、攻撃的な生物戦研究だが、それについては自衛のための研究と答え、さらに突っ込まれたら、石井と増田しか知らないと答えるよう指示している。
このような指示から隠蔽したいことが浮かび上がってくる。

スライド27

 スライド27も新妻ファイルの一部で、増田大佐から新妻中佐への手紙。②には「尚、内藤中佐の意見は○タと○ホ以外は一切を積極的に開陳すべき」とある。内藤中佐は内藤良一、戦後日本ブラッドバンク(後にミドリ十字になり、吉富に吸収され、その後三菱ウェルファーマという会社になる)を創った人。増田も○タと○ホという隠語を使って漢字の丸太を避けている。この手紙が書かれた11月9日までに、アメリカ軍の最初の、M・サンダースによる石井機関の調査は終わるが、本国へ帰った後さらに陸軍上層部からはどのような指示があったかを調べる。それで河辺とか若松(只一)など陸軍省の幹部たちの尋問を追加的に行う。この時期になると、増田や内藤は人体実験と攻撃的生物(細菌)戦以外は全部積極的にしゃべらないとまずいという判断になった。

スライド28

 戦後における米国が大きな役割を演じた七三一部隊・石井機関の虚像つくりのからくり。この文書は、1988年8月31日に、米国公文書館でコピーした。GHQ参謀二部のチャールズ・ウィロビーの直筆のサインがある。そのサインの左下に同封書類と書いてある。これは、フェルのレポート。赤で書いてあるところに、「フェル博士の報告書に含まれる情報は、一五万円から二〇万円(現物給与(食糧配給)を含めておよそ3,000~4,000ドル相当)で入手できた。ほんの僅かな出費。」と書いてある。今のお金で言うと数千万円。「そのような支出は現在制限されている。フェル博士は、他の諜報目標についても等しく有用な情報を得ることができるかもしれないと述べている。軍事情報開発資金の使用に関する新しい制限のために、この人達に引き続き情報を暴露するように誘導することが難しくなる。」これは、GHQ参謀二部という諜報部門の長から、S.J.チェンバリン少将という米国参謀本部の情報局長宛て。つまり東京のスパイの元締めから、ワシントンのスパイの元締めへの文書。スパイ経費を削減しようとしているのに対して、ウィロビーは、そんなに減らされたら情報作戦で遅れをとる。金品を提供することによってこのフェル博士のレポートも生まれたんだといっている。これまで石井機関のデータは戦犯免責と引き換えで米国に渡されたと言われてきたが、この文書を読むと人体実験の資料を使って経済的利益を得ていた、ということが明らかになった。米国の学者にとって人体実験のデータをお金で買うというのは不思議な事ではない。さて、ウィロビーはフェルの調査結果をすごいというが、フェル自身は「人体について得られた結果はいささか断片的である。しかし、いくつかの病気については数年間にわたり数百人について研究が行われた。…人体実験のデータは、有効である。炭疽、ペスト、それに鼻疽について有効なワクチンの開発に役立つ…」と考えていた。専門家は断定的な評価はしない。ウィロビーの情報予算を引き出すための高い評価=情報操作、が米軍の中で、それが巡り巡って日本の中で、七三一部隊についてのデータの過大評価、虚像ができたのではないか。

全画像

石井機関で、本当のところはどのくらいのことをやっていたのかは分からない。七三一部隊について、もう少し研究を続けようと思っている。

―続く―

『人体の不思議展』に開催地でも批判の声

 週刊金曜日(1月12日)の記事。
 1月12日付の週刊金曜日にジャーナリストの小林拓矢氏による記事が掲載された。現在開催されている「埼玉展」と「神戸展」に対して抗議した内容。また、新たに高知展が1月20日から3月11日まで開催される。

「パネル展示ノート」(雑記帖)から

貸し出しパネルに同封した雑記帖に綴られた、山梨大学の大学祭での展示記録。
内容省略

2007.1.25

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