軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』117号・要約

人骨発見17周年集会「731部隊 ~実像と虚像~」

期日:7月22日(土)
会場:新宿歴史博物館講堂
講師:常石 敬一(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)

川崎二郎厚生労働大臣、人骨問題の調査に前向きな答弁
― 郡和子議員の質問に答える

 6月5日、衆議院決算行政監査委員会第3分科会で、89年人骨の科学鑑定、防研跡地に埋められていると見られる標本の発掘について、自ら聞き取り調査に乗りだす意向を示す。

敬蘭芝さん、逝く
 5月4日夜、逝去。享年85才。究明する会として初めて会った七三一部隊犠牲者遺族。
謹んで哀悼の意を表します。
亡き敬欄芝さんを悼むということ

越田稜(91年訪中調査団長)

初めての来日(左から2番目が敬さん 左は故・韓暁さん)
 1990年に人骨の会が結成され、91年8月に20名弱の調査団を派遣した。七三一部隊本部跡に経ち、遺族の方々の話を聴いて、それまでの認識の甘さを感じた。1995年、戦争犯罪の公式謝罪と賠償を求めて日本政府を提訴、最終判決を前に敬さんは逝った。敬蘭芝さんを悼むということは、想像力の射程を広げ、「七三一部隊」と「人骨問題」の史実と真実を少しでも究める営為であり、それが敬さんの訴えに対する応答作業だ思う。

以下、追悼文を寄せた方々
増田 博光、川村 一之、根岸 恵子、鳥居 靖…

中央大学長谷川ゼミ、フィールドワークを行う

記事省略

続「病理標本は誰のもの?」

根岸 恵子

 1月のニュースで「病理標本」の法的取り扱いと解剖の種類について述べた。次のニュースで、平野さんから具体的な病理標本の作製過程をうかがった。今回は、病理標本を扱う立場から、病理医の標本に対する考え方と病理学会の動向に着目したい。

前回記事

  1. 日本病理学会の提言について
    •  1988年、厚生省健康政策局の「病理解剖指針」を受けて、日本病理学会の倫理委員会は、2002年11月、「学術研究・医学教育等における病理検体の使用に関する提言」をまとめ、病理標本の目的外使用には本人、家族の同意書が必要、無理な場合は倫理委員会など第3者の承諾が必要、検体(標本)の保管は患者の尊厳とプライバシーが保護される形でなされるべき、診断終了後の臓器等は患者本人に帰属し、返却が求められたら応じる必要がある、等とした。
       しかし、現場の医師は、研究材料が自由に使えないことは研究の妨げになると考え、病理学会では2005年4月、患者に由来する病理検体の保管、管理、利用に関する見解をまとめ、病理標本は一定期間保管し、患者・家族には返却しないことを述べた。
  2. 課題
    •  1964年、第18回世界医師会総会でヘルシンキ宣言が採択され、ヒトを対象とする医学研究では、被験者に対する配慮が科学的・社会的利益よりも優先する、被験者の同意を得ることができない研究はその理由が明示されなければならない、などが述べられている。標本の所有を巡っては過去に争ったケースもあるが、法整備がなされていないのが現状。

2006.6.20

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