The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
7月23日(土)午後2時~4時
新宿消費生活者センター
講師:末永 恵子
旧陸軍軍医学校跡地で発見された人骨に関する質問主意書
旧陸軍軍医学校跡地で発見された人骨に関する質問主意書に対する答弁
提出者 衆議院議員 金田誠一 2005年6月10日
答弁者 内閣総理大臣臨時代理 国務大臣 細田博之 2005年6月21日
東京高裁での「七三一、南京、空爆訴訟」の判決を聞くために来日した郭敬蘭(敬蘭芝)さんの娘・郭曼麗さん、郭娜莉さん、南京の被害者李秀英さんの娘・陸淇さんが、4月20日、河野達男区議の尽力で、中山弘子新宿区長、山添巖新宿区議会議長を表敬訪問、区長、区議会議長とも友好的で、和やかな懇談であった。
4月21日の送別会での陸さん、郭さんの言葉
郭曼麗さん遺骨保管施設へ
区長、議長への友好訪問を終わったあと、「平和のための戦争展」実行委員会の取材。その足ですぐに戸山の遺骨保管施設へ。献花の後、本当に遺骨が納められているか訝っていた。今回の判決や小泉首相の靖国参拝の事実などから、なかなか信用できないようだ。ついで、防疫研究所跡地の標本がまだ埋まったままとされている現場を案内。日本人民は必ずここから生体実験された人々を掘り出すのだと決意を伝えた。これは分かってもらえたようである。
21日の送別会の席で、彼女は「人骨問題を究明する会」の15年の努力を称えた。
彼等(人骨)が国立予防衛生研究所(現在・国立感染症研究所)の建設現場から発見され、もうすぐ16年。紆余曲折を経て、約二年後、当時、札幌学院大学の佐倉朔教授が鑑定した。その鑑定報告でフォルマリンやアルコールにより防腐処理され、固定されていた「標本」があった。そのような「標本」はごく限られた専門分野で行われていること。しかし、そういう分野からの救いの手は佐倉教授の鑑定以外、全く差し伸べられていない。専門家の意識の中で、人から「標本」という物に変わる時は、まだ赤い血の色のある生身の組織がフォルマリンに浸けられて固定され、白くなっていくその時だと言う。
国際的信頼を失うことを恐れたり、秘密にしたい、個人のプライバシーを詮索したりしない方がいいと言われる方もいるかも知れないが、どこで発見されたのでもない、日本の東京の真ん中で掘り出されたのだ。到底、隠蔽などできないし、何よりも謝罪や補償を求められている国民として、謝罪するにしても、補償するにしても事実を確認すべき。その事実を解明することこそが、私たち世代の謝罪と補償の在り方だ。
(つづく)
2005.7.3
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