軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』109号・要約

《恒例》2005年お花見ウォーク

~納骨施設とその周辺を探る~

期日:3月27日
集合:戸山社会教育会館
資料代:500円

人骨発見15周年報告:その3

人骨(ほね)と歩んだ15年

  • 川村 ――
    •  92年4月に鑑定が公表された時、新宿区長はこの骨を焼骨するという方針を出した。私たちは人骨焼却差し止め訴訟を起こした。原告団長の渡辺登さんのお話です。
  • 渡辺 ――
    •  弁護団長の森川金寿先生は、教科書裁判も含めて長い運動を行った。これからも続けていかなければならないとのこと。先生が来られないので、代わりに報告をいたします。
       私は敗戦後、元下士官たちや職場の年配者が中国戦線でどういうことをやったという話を当たり前のように聞いてきた。その後労働運動が発展していくが、その中で歴史的な検証をしてこなかった。1948年頃から弾圧が始まった。そういう時代に皆闘ってきた。60年安保闘争、70年前後のベトナム反戦・平和運動。これらの力は決して沈むことはない。
       人骨問題の話。私は人骨問題の調査団に参加し、知ったことを広めていくために七三一部隊展をやろうと決定して取り組んできた。私たちの呼びかけに応じて、青年たちが集まった。展示会場では学校の先生たちや高校生たちが立ち上がった。もう一つ、中国や朝鮮の人々との相互理解も大事。最初はスムーズじゃなかった。喧嘩もあったが、後日、劉述礼さんが「あの時喧嘩していなかったらできていなかった。喧嘩してよかった」と言った。喧嘩を通して団結が強まるということ。
       人骨焼却差し止め訴訟について。裁判闘争といっても結局大衆闘争が基礎になる。裁判には負けたが、実態として勝利した。
  • 川村 ――
    •  最高裁の判決があった後、厚生省は調査中。新宿区が骨を保管している。このような緊迫している状況の中で、厚生省と新宿区の協議が行われた。
  • 厚生省と新宿区のやり取り
      • 新宿区
        • 厚生省の調査内容を新宿区に事前に示してほしい。
      • 厚生省
        • 関係者の聞き取り調査が若干残っているが、人骨の由来については不明。
      • 新宿区
        • 七三一部隊との関連を示唆する回答もあったと聞くがどうか。
      • 厚生省
        • 回答内容は公開せざるをえないが、これ以上の調査は不可能。
      • 新宿区
        • 今後のスケジュールは。
      • 厚生省
        • 課内では、来年の通常国会前に報告書を出そうと考えている。
      • 新宿区
        • 報告書が出た後の対応は。
      • 厚生省
        • 厚生省内及び内閣と相談していく。
      • 新宿区
        • 「究明する会」は焼骨に反対している。区は厚生省の調査結果を踏まえて対応する。今後、科学技術等の進捗状況によって新たな事実が判明することも考えられる。これまで区が人骨の保管に努めてきたが、今後は国が保管することが望ましい。
      • 厚生省
        • 墓地埋葬法上は区の判断になる。国民感情に配慮するのであれば、火葬・埋葬を区が必ず行わなくてはならないわけではない。厚生省の人骨保管責務はどこから出てくるのか。
      • 新宿区
        • 区は火葬等を行う者がいない場合に行う立場にあり、大家等が火葬を行う場合は、区は行わない。最高裁判決が出たといって区が焼骨することは厳しい。
      • 厚生省
        • 処理に関し、白木の箱のまま保管するなど、賛否両立する方法はないか。相互に非難する事態は避けたい。厚生省の調査報告より前に最高裁判決が出たことは誤算であった。報告書では追加調査の必要性についてはうたわない方針である。
      • 新宿区
        • 厚生省の調査が終了するということは、区は焼骨するしかないことになる。
      • 厚生省
        • 火葬すべきである等のコメントが都の生活衛生局から出せるか。
      • 新宿区
        • 国会の問題に発展する可能性がある。
      • 厚生省
        • 厚生省としては、調査結果のまとめのみである。リーダーシップが取れる立場にない。

小林さん(右手前)制作のビデオ作品を見る参加者たち
  • 川村 ――
    •  2000年12月、厚生省と新宿区の協議の場で新宿区ははっきちと国に保管してほしいということをいっている。そして、2001年6月14日に報告が出された。その翌年3月に納骨堂が完成して拝礼式も行われた。最後の段階で頑張っていただいた衆議院議員の金田誠一さんのメッセージを紹介する。
  • 人骨発見15周年記念集会へのメッセージ
    2004年7月25日 衆議院議員金田誠一
    •  私がこの問題にかかわって7年。厚生省は土地の所有者という立場で調査したが、戦後処理という観点から内閣の責任において調査すべきだと考え、2001年3月14日に衆議院厚生委員会で質問した。額賀福志郎官房副長官が答弁した。安倍晋三官房副長官のところへも陳情に行った。2001年6月14日に厚生労働省から報告書が出た。翌年3月の納骨式は私も参加した。
       取りあえず証拠保全はできた。これからは納骨施設に安置されている人骨の身元確認の作業、まだ人骨が埋まっている疑いのある隣の敷地についての解明を図ること、そして、石井部隊との関係はどうだったのかということをきちんと解明することがこれから必要。
  • 川村 ――
    •  大山とも子都議会議員は、区議会議員としてもこの問題に関わり、都議会議員になられた時に、軍医学校の隣の防疫研究室跡地の調査をしたいということで、東京都と交渉した時に立ち会っていただいた。
  • 大山 ――
    •  地道な皆さんの活動によって、真実が明らかになってくる。それがきちんと科学的に裏付けられたものだということを心強く思うし、これを運動に広げていく努力に心から敬意を表したい。お話を聞いていて、今度はあの総合運動場になる予定の土地に埋まっているであろう人骨を発掘する仕事が課題になってくるのかなと思っていた。当時、国は調査しない、運動場にするんだったらどうぞという。どうせ整地するんだからきちんと調査したらといったら、東京都はそんな瑕疵がある土地は買えないとなる。しかし、区との約束ではあそこを東京都が整備をして、区が管理をする公園にするという計画になっている。皆さんと知恵を出し合って、戦争中に日本が何をやったのかということをきちんと解明していくことなしにアジアの平和、世界の平和ということはありえない。国も東京都もそういう立場に立たせるということ。かなり力のいる仕事だが、それをやらなければ、この人骨問題の解決はないと思っている。憲法九条を変えようという動きが急になっているだけに意義ある活動だ。
  • 川村 ――
    •  河野達男さんは、発見当時にも区議会議員。今私たちは人骨問題の解明を求める陳情を出している。その総務区民委員会の委員で、昨年12月に、区議会として初めて納骨施設を視察した。
  • 河野 ――
    •  1987年に区議会議員になったので、人骨が発見された当時から関わってきた。佐倉鑑定が出てから、区は「行き倒れ」の人たちの対策の中に、この人骨処理費約460万円を毎年計上していた。それが執行されず、保管費用を事務費から毎年50万円くらい振り替えていた。大きかったのは差止め裁判をやられて、少なくとも裁判が確定するまでは、我々も予算を執行しないように頑張ってきた。最高裁判決で出た後は、今度は厚生省の調査結果が出るまでは焼骨しません、初めてその時区は「焼骨しない」ということを明確に言った。そういう中で納骨堂がきちんとできたという経過。それ以降の問題は、新宿区でやるには荷物が大きいが、人骨にしても、今はまだ運動広場になっているそこの部分についても、どういう形で進められるのか、陳情もいただいているので、国に対してそういう意見をきちんと言うという役割も地方自治体や地方議会にはあるわけで、そういう力をぜひ皆さんの力をお借りしながら、一緒に進めていきたい。

(以下次号)

2004年:第二回人骨問題研究会

樺太先住民族と北大人骨問題

 講師は札幌にある北海道文学館の学芸員で、ウィルタ協会会員の青柳文吉さん。北海道やサハリンの歴史に興味をもち、アイヌの人たちの歴史をふくめ研究をすすめている。
 青柳さんが所属するウィルタ協会は戦後サハリンから移住してきたニブフやウィルタの人たち、アイヌの人たちの人権や暮らしを守ろうと、30年くらい前に立ち上がった団体である。
 1995年、北海道大学構内で人骨が入った段ボール箱が見つかった。すぐさま北海道大学文学部は人骨問題調査委員会を設け、一方学外では、ウィルタ協会も参加して人骨問題の究明委員会がつくられた。一部は返還され、ウィルタとみられる骨についても調査報告書も出されたが、これらの人骨「標本」の入手経路は明らかにされず、青柳さんや究明委員会は杜撰な調査であると批判してきた。去年8月、サハリンの少数民族の要望により北大文学部は慰霊碑をつくり、頭骨を返還・埋葬した。
 サハリンには様々な少数民族が生活していた。日本とロシアの領土争いの中で、彼らの生活は奪われていった。アイヌ以外の少数民族が集められていた「オタスの杜」から持ち出されたと思われる頭蓋骨が北大から見つかった。それはどういう経路で北大に持ち込まれたのかは分からないが、戦前の人類学者はかなり勝手に頭骨などを持ち出していた。
 青柳さんは、北大構内に放置されていた人骨は、このような形でさまざまな人の手を経て持ち込まれ、「標本」として登録される以前のもので、それがいつの間にか忘れ去られ、このたびたまたま見つかったものではないかと考えている。
 青柳さんは今、サハリンの先住民族と日本人がどういう関係を持っていたかということを調べており、現地調査も重ねている。しかし、北大人骨事件に関する情報はお年寄りがもうおらず、具体的なことは分からない。なかなか厳しい状況ではあるが、今後も調査研究を進めて行きたいと語った。

青柳文吉さん
講演の風景
731部隊犠牲者 情報クリップ

  • 敬蘭芝さん、王亦兵さんらが起こした731・南京・空爆訴訟の高裁判決が4月19日(火)午後1時45分から101号法廷で出される。
    • (当日は傍聴券の発行が予想されるので1時頃裁判所に行ってください)
  • 王亦兵さんに続いて朱玉芬さんからも、スーパーインポーズ法による身元確認を求める申立書が届く。
    • 究明する会では、これを持って近々厚生労働省交渉を行う予定。

2005.3.5

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