The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
川村 一之
新宿区議会の総務区民委員会(笠井つや子委員長)は2003年12月11日、国立感染症研究所内にある納骨施設を視察した。究明する会・地元区民が委員を出迎えた(渡辺、石川、石井、常山、川村の五人)。委員会のメンバーは感染研の会議室で庶務課から説明を受け、納骨施設を視察した。この間約30分程度。新宿区議会が正式に納骨施設を視察した最初の出来事となった。感染研から提出された資料によると、厚生労働省は納骨から一年を経過した2003年3月27日に拝礼式を行っており、弔意を示しながら保管するとの対応は守られていることがわかった。
戸山研究庁舎人骨問題の主要経緯 省略
2003年12月11日
渡辺 登
中国の七三一部隊研究の第一人者である韓暁さんが亡くなった。韓暁さんは、第一に階級的観点を終生貫いた。建設労働者として平房で働き、そこが七三一部隊の本部所在地だったために調査するようになった。彼は日本帝国主義と日本人民を明確に区別した。初対面の私たちに、日本の友だちがやってきたと胸襟を開いて語り合った。「新宿の人骨事件について、民族の正義感から、その調査にたゆまぬ努力をされている。」と手を取り合った。第二に大衆路線と調査研究が結びついている。韓暁さんは侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の館長として、証言者にも友だち同士のように接していた。
1994年に来日した時も精力的に調査に当たり、疲労とインフルエンザで救急病院に駆け込むことになった。本当に申し訳ないことをした。彼と究明する会との付き合いは12年になる。日本と中国の民間レベルでの共同調査を決めて以来、交流の裾野はどんどん広っている。こうした運動によって日本では、軍医学校跡地で発見された遺骨は日本政府が保管することになった。平房の七三一部隊の遺跡は、中国政府によって大掛かりに保存されることになった。この成果をよりどころにして調査をさらに発展させ、日本帝国主義の中国、朝鮮、アジア侵略の歴史について日本の大多数の人々の共通認識に高めなければならない。
憲法第九条を堅持しアジアを平和の砦とする決意を合わせて韓暁さんへの追悼とする次第です。
* 韓暁さんの逝去をいたんで一一月三日弔電を送った
以下省略
根岸 恵子
韓暁さんには二度お会いした。最初は、おととし七三一部隊跡が整備され罪証陳列館が新たに開館したとき。韓暁さんは露出したロ号棟の基礎部分を感慨深げに眺めていた。通訳に頼んで、私が「人骨の会」の人間であることを伝えると、韓暁さんは「七三一部隊と人骨の問題は切り離して考えることはできない」といった。昨年秋、撫順で開かれた平頂山70年の記念式典に参加するためにハルビンを訪れた折、再びお会いした。韓暁さんはまだお元気で、今回の訃報にはほんとうに驚いた。韓暁さんの魂に報いるためにも、新宿の人骨をいつか祖国に帰してあげたい。
骨はどうしてほしいのか
~戦争被害とその被害の回復について考える~
まとめの挨拶
常石 敬一(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)
空知民衆史講座は、20年以上、実際に骨を掘り出して保管している。ものすごく大変。ところで、何故、現場に連れてきた人たち(企業)に遺骨の身元確認をさせないのか。僕らの運動は、国の責任だから国できちんと確認しなさいという運動。厚労相が、保管庫のあの骨にDNA情報などを貼り付けておき、それで身元確認を求める人の要求に答えて行けばよいと思っている。
遺骨は誰のものかというと、亡くなったその人のもの。だけど無名のままで意思に反して死んだ人は、個人としての生があったということさえ認められない。個人としての生があったのだから、名前だとか民族だとかを明らかにする必要があるんじゃないか、そういう努力をまったくしないで無縁仏として、ゴミのように扱っていいのか。それは北大の頭骨も同じ。頭骨を所有していた教授が退官し、骨はゴミのように放置された。
それはともかく、やはり人骨の会というのは甘えがあって、空知民衆史講座とか東アジア共同ワークショップとかと比べると、ずいぶん楽な運動やっているなあと実感しました。
今日はお二人ありがとうございました。
Mさんからのメール
はじめまして。東京女子医科大学医学部学生のMと申します。人骨問題に関するホームページを偶然発見し、関心を持ちました。…まだ、やっと知ったばかりですので、これからもそちらのホームページに寄らせて頂き、勉強していきたいと思っています。
活動を続けていらっしゃる皆様、陰ながら応援しております。頑張って下さい。
石川 久枝
(小見出しのみ紹介)
誕生、父の死
看護婦を目指すため東京へ
再度見習い看護婦に
日本赤十字の看護婦に
(続く)
増田 博光
内容省略
2月7日(土)午後1時~
神奈川大学横浜キャンパス1号館804番教室
パネリスト
毒ガス島歴史研究所の創立と活動:山内 正之 さん
研究者から見た毒ガス島歴史研究所の役割:松野 誠也 さん
会場費:無料
アクセス:東急東横線白楽駅徒歩13分
2004.1.25
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