軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』73号・要約

《遺骨調査の可能性を探るー人類学の到達点》報告
人骨発見10周年記念講演

講師:馬場 悠男(国立科学博物館人類学研究部長)

私たち人骨を研究する人類学者は、解剖学教室で人間の身体を勉強する。私も16年間医学部の解剖学教室にいた。11年前に国立科学博物館の人類研究部に所属した。  今日は、人類学者としての経験から、今回のこの遺骨がどんなものか、新しい研究がどれくらい進んで、将来何がわかりそうなのかというお話をさせていただく。もう一つは、日本人の形成過程をお話する。日本人は、中国や韓国の人たちとそれほど違わないことも納得いただけると思う。

人骨鑑定の可能性
 歯の治療の跡があると地域や時代がわかるかもしれない。もう一つは、人骨の計測値の統計的な解析。最近新しい技術が発達したので、きちんと統計解析すれば何かわかるかもしれない。それから、レントゲン写真を撮ると、子供のときの病気や栄養失調等がわかる可能性がある。もう一つ、医学用の骨格標本が残っていたが、標本の作り方でどこの国でいつごろ作られたものなのか、わかる可能性がある。
 人骨の保存状態から、非人道的な行為を立証できるかどうか、これは非常に難しい。骨の状況だけでは、正規の手続きを経た解剖や手術実験が行なわれた場合と、生きている人を無理矢理実験してしまった場合との区別は非常につきにくい。
 人類学の分野で、人骨の出自をどこまで明らかにできるかという問題に関しては、同じアジア人の場合、数十個以上の頭の骨を比較すれば、平均値の差などから違いがいえるかもしれないが、確実に見分けることは難しい。ただし最近、分子遺伝学的な解析技術が進歩しているので、将来は判る可能性はある。

日本人の起源
 日本人の歴史を調べてみると、縄文時代と弥生時代を境に、人骨の形がガラッと変わっている。いわゆる弥生人は、実は大陸からやってきたらしい。そういう人たちの顔が、弥生時代以降、私たちの顔だちに非常に強い影響を与えている。
 日本人は、三万年くらい前に南の方、インドネシアの辺りに住んでいた人たちが、北方に移動し、日本列島にもやってきて縄文人になった。そこに寒いシベリアの奥地で暮らしていた人たちが日本列島にやって来て弥生時代が始まった、つまり、日本人は南方系の縄文人と北方系の弥生人とが混ざり合って出来ている。

科学分析の将来性  この遺骨の出自は、遺伝的・形態学的な証拠をできる限りたくさん集めて判断する以外にない。ただし、今、いろいろな技術がどんどん発達しているので、相当確かになる可能性は高い。
 たとえば、残留脂肪酸の分析、微量な環境汚染物質の分析(生前に生活してたところを特定できる物質が検出される可能性がある)など、将来有効な方法もある。それから、窒素と炭素の安定同位体による食性分析。炭素と窒素のそれぞれで、重い元素と軽い元素の割合を分析すると、どういう食物を食べていたかということが分かる。ミトコンドリアDNAは、ほかのDNAと比べてたくさん取れるから、古い人骨の分析ができる。いろいろな遺伝子の座位を調べて、かなり詳しいことがわかる。
 最後にこの人骨の取り扱いをどうするべきか。もちろん、ちゃんと保存をしなければいけない。そういう人骨は、いわば歴史の証人、何がなんでも保管して、研究技術が大幅に進展するであろう未来の研究に委ねるということは、私たち研究者の一番大事な責務であると考えている。

1999年7月17日

馬場教授(写真左端)

1999.11.21

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