軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

第120回 国会予算委員会第四分科会第3号 平成三(1991)年三月十三日(水曜日)午前九時開議

質問者鈴木喜久子衆議院議員
回答者寺松尚厚生省保健医療局長
岸本正裕厚生省援護局長

鈴木(喜)分科員
 私は、二年ほど前の平成元年七月二十二日に、新宿区にあります旧陸軍軍医学校の跡地から、現在は厚生省の国立予防衛生研究所の建設現場なんですけれども、そこからたくさんの、三十五体にも上る白骨死体が掘り出されたということについて、それからのてんまつ状況その他について伺いたいと思います。
 この問題につきましては、国会では昨日、一昨日というふうに続けて、ある程度白骨を調べていただきました警視庁の科学捜査研究所の方からのお話は伺っています。これについては、その死体が発見されたという当時、新聞では我が国ばかりでなく外国の方にもその記事が出て、ニューヨーク・タイムズ等にも取り上げられ、またアジアの諸国からもきちんとその身元を解明してほしいというような意味での声明等が発表されております。こうした国際的な問題でありますこの問題について、今現在はどこにも身元を確認するでもなく、やはり新宿区にあります葬儀社の倉庫の中の段ボールに入れられてそのまま放置といいますか、保管されているような状態でございます。
 これについて、何とかしなければならないという見地から今いろいろと御質問をしていきたいと思います。まず、このてんまつがございますので、その点について簡単に御説明いただきたいと思います。

寺松政府委員
 今鈴木先生から御質問の、私どもの予研建設現場におきまして人骨が発見されたということにつきまして、その後の事実経過を申し上げたいと思います。若干長くなりますが、お答えをいたしたいと思います。
 平成元年の七月二十二日に、新宿区戸山にあります三研究機関、国立健康・栄養研究所の敷地の中でございますけれども、そこで三研合築のための建設工事をやっておったわけでございますが、その土中から人骨が見つかった、こういうことでございます。そこで、すぐその日に建設省の関東地方建設局の職員が牛込警察署に届け出をした、そういうことで、牛込警察署は現場確認を行われた、こういうふうに聞いております。
 翌二十三日には、牛込警察署が警視庁科学捜査研究所に鑑定を依頼いたしまして、人骨数個、私ども聞いておりますのでは、警察では人骨五個と骨片二片ということになっておりますが、持ち帰りまして、翌二十四日には牛込警察署から次のような発表がございました。
 その一つは、三十五体の人骨が発見されたこと、それから、発見された人骨は最低二十年以上経過していること、それから三番目といたしまして、犯罪に起因したものと認められる証跡はなかった、こういうことでございました。
 それからまた、同日、二十四日でございますが、東京都学芸員によりまして現場調査が行われまして、埋蔵文化財に該当しないということが確認されております。
 さらに、二十四日には牛込保健所の関係職員によりまして現場確認が行われまして、二十五日には、同保健所から新宿区に対しまして人骨発掘確認書が提出され、新宿区は二十六日に、人骨発見現場で職員立ち会いの上人骨を引き取ったものと承知しております。

鈴木(喜)分科員
 そこで、一番初めのところから少しずつ伺っていきたいのですけれども、本建設現場の土地は国有地であると思います。現在は厚生省が管理をしておられる土地だというふうに伺っているのですが、その点と、その人骨が発見された場所というのは現在ほとんどもう建ち上がっているというふうに聞いておりますけれども、その建物の下の方にちょうどなってしまうような、そういう位置のところなんでしょうか。

寺松政府委員
 当時出ましたころは国立栄養研究所と申しておったかもしれませんが、現在は国立健康・栄養研究所が土地管理をやっております。
 それから、今御指摘の、工事中でございますけれども、その部分が今どこになっておるか、それは、私の持っております資料からいきますと、管理棟の下、こういうふうに聞いております。

鈴木(喜)分科員
 では、まず、ちょっと前の所有、管理の点から伺いますけれども、栄養研究所が持たれた、それは何年ごろから栄養研究所が管理されて、その前はどこが管理をされていたところなんでしょう。ずっとさかのぼりまして、わかるところまで教えていただきたいと思います。

寺松政府委員
 国立栄養研究所が二十三年に移ってまいりましてから管理者となっておるわけでございます。

鈴木(喜)分科員
 昭和二十三年から栄養研究所ですね。そうすると、その前はどこが管理をしていたのですか。

寺松政府委員
 今お答えいたしたいと思いますのは、国立医療センターと現在呼んでおりますが、前の国立東京第一病院でございましょうか、そういう施設がございましたのですが、そこが管理いたしておったと存じます。

鈴木(喜)分科員
 国立第一病院ですか、そのところもやはり厚生省の管轄であることは間違いがないと思うのですが、そのもっと以前、昭和二十年以前はどうなっておりましたですか。

寺松政府委員
 その以前は、御承知のように、東京第一病院は陸軍病院でございましたわけでございますので、陸軍軍医学校が所有しておった。したがいまして、陸軍省でございましょうか、ということになるのではないかと存じます。

鈴木(喜)分科員
 どうもありがとうございました。
 そういうふうなところで、国立栄養研究所というところが使っていた当時の図を私いただいて拝見しているのですけれども、その図で見ますと、栄養研究所の研究棟というところからかなり離れた、何もない敷地ですね、ただの広い。そのところが人骨の発見場所というふうになっているのですけれども、栄養研究所ではこのような形でずっと昭和二十三年以来お使いになっていたのかどうか、おわかりになりますでしょうか。

寺松政府委員
 現在の状態で続いてきたと、今工事中でございますが、それ以前の壊す前の段階ではそういうふうなことだと承知しております。

鈴木(喜)分科員
 まことに一々御質問して申しわけありませんが、旧陸軍軍医学校のころの位置でいきますと、この人骨の発見場所というのには何か建物が建っていたんでしょうか。

寺松政府委員
 残念ながら私ども承知いたしておりません。

鈴木(喜)分科員
 今昭和二十三年からが栄養研究所というふうに伺いました。その前が国立第一病院、軍ではなくなってからが第一病院の管轄だった。それが多分昭和二十年から続いていると思うのですが、そのころのことはおわかりになりますか。そこは病院であり、しかも厚生省の管轄のところだから、陸軍省になっている昭和二十年以前のものとは違うと思いますが、その点はいかがでしょうか。

寺松政府委員
 重ねての御質問でございますけれども、その辺の詳細は存じておりません。

鈴木(喜)分科員
 私ども、普通ここを管理するまたは所有するというような場合に、それ以前のどのような形で使われていたということについては何かしらの図面その他のものが、引き渡しなり引き継ぎなりするときにあるというふうに思いますけれども、そういうものを何もなしで引き継ぎ等をされているのでしょうか。

寺松政府委員
 今先生の方からの御指摘でございますが、私ども、その御質問の中にもございませんでしたので承知しておりませんが、今のところは承知しておらないわけでございますけれども、必要なら一応調査してみることはできるかと存じます。

鈴木(喜)分科員
 ぜひともお願いしたいと思います。一体どういうふうな形でここが使われていたのかということも、こうした身元の全くわからない人骨が一体ではなくて三十五体というような非常に異常な形で出てきているわけでございますので、もしこれを埋葬して早く冥福を祈るというふうなことをするにしても、きちんとした形がなければそれもすることができない。そういう方のこれからの安らかな眠りについていただくためにも何としても身元をはっきりさせなければならないと私は思います。ぜひともこの点、一体どういう建物が、栄養研究所のときはこういう広い土地になっているわけですけれども、その前のときにどのようになっていたのか、その点についてお調べいただいて私の方に知らせていただきたいと思います。
 それから次に、この人骨が出てきたからその後警察等にお知らせになり、そこから、警察から科捜研の方にいって人骨自身の鑑定をされた。それからまたもう一つは、都の学芸員ですか、その方の方からこれは文化財ではあり得ない、そういう何か結果の報告をもらったという御説明がさっきありました。その科学捜査研究所の方は昨日伺いましたので承知しているのですけれども、東京都の学芸員の方からこれは文化財には当たらないということの報告はどのような根拠に基づいて、どういう理由でそういうふうに言われたのかおわかりになりますでしょうか。

寺松政府委員
 私ども、そういう専門的なことでございますので、中身については承知しておりません。

鈴木(喜)分科員
 これは口頭で言われたんですか、それとも、学芸員が調べて調査されたのであれば何かの文書でその報告が来ているはずだと思うのですが、その点はいかがでしょうか。

寺松政府委員
 細かい御質問でございますのであれでございますが、私どもが今承知しておりますのでは、口頭ではなかろうかと思います。

鈴木(喜)分科員
 口頭でなされたということでは、後で付近の住民それからまた世界の関心というものも、ああそうか、本当にそうなのかというふうになかなか納得ができないのじゃないかというふうに思います。この点も、もし何か文書があるようでありましたらばお調べをいただきたいと思います。きょうはその東京都の学芸員の方には来ていただいていませんので、そこのところはそちらから伺うわけにはいきませんから、またの機会にいたしたいと思いますけれども。
 そういうふうなことで、これであとは埋葬かということになるわけなんですけれども、その段階で、平成元年の八月五日に新宿区の方から厚生省のその国立栄養研究所長あてで、ここでいろいろと身元調査をしてほしい、引き取り者がいないかどうかということを調査してほしいというような依頼書が出ております。それに対して同年同月の八日付の回答が栄養研究所長の名前で新宿区の方に来ております。その中を見ましたらば、ここでは、埋葬文化財にも当たらない、犯罪にも関係がない、身寄りの人からの申し出もない、だから手厚く葬ってほしい、こういう内容になっているわけです。その中に、身元確認調査については、当該土地の管理者ではあるけれどもこれを行わなければならないということにはならないから、私どもの方では身元確認調査ということはできませんというようなことがなお書きでつけ加わっております。
 この点について私はちょっと疑問に思うのでお尋ねするのですけれども、当該土地の管理者ということばかりでなく厚生省というお役所の性質上、こうした身元不明でしかも三十五体どこのどういうふうな形で出てきたかわからない、そこが前からずっと厚生省関係の使用をして管理をしている土地であるにもかかわらず、自分の方には何の責任もないということが本当に言えるのでしょうか。

寺松政府委員
 私どもの考えでございますけれども、土地管理者としては通常の場合の取り扱いと同様、その人骨の発見につきまして牛込警察署に通報し、新宿区に人骨を引き渡したことにより、その果たすべき義務は完了しているのじゃないか、こういうように思っておるわけであります。

鈴木(喜)分科員
 引き渡したらばそれで済むという問題ではないと私は思います。ここでの身元確認をするのに一番適しているのは、それまでずっと長いことそこを管理してこられた厚生省の方にその職責というものがあるのではないかというふうに思います。法令上の問題を云々する前に、この人骨の死後の経過年数というのは、科捜研の方からの報告によれば、鑑定によれば、死後少なくとも二十年以上たっているというふうに言っています。少なくとも二十年です。そうしますと、その当時が平成元年ですので、亡くなったのが昭和四十年よりは昔だと言っているわけですね。それは何も昭和二十年以前の問題ではなく、それから二十年以後または二十三年以後、その四十何年かそのぐらいまで、少なくとも昭和四十年ぐらいまでの間にそういう人骨というものがそこに何らかの形で正式な埋葬をされることもなくばらばらの形で、ばらばらの人骨で、しかも三十五体が入っていた。そうなりますと当然そこをそれまで使っておられた栄養研究所というものにそこの管理または責任というものが出てくるわけではないかというふうに思いますが、その点はいかがでしょうか。

寺松政府委員
 先ほどお答えしたことだと思いますが、私どもは所管の牛込警察署に届け出ることによってその義務は終了しておる、こういうふうに考えるわけでございます。

鈴木(喜)分科員
 牛込警察署に届けるのは、犯罪のおそれがあるかどうか、そこから出てきたものが犯罪的な何かの傾向がある、事件性のあるものかどうかという意味で、届けることはいいと思います。しかし、そこの中を御自分のところで使っておられて、その間に、もしかしたら死亡して埋められたかもしれないその死体についての責任が、骨を渡してしまえばそれで済んでしまう、そういうことにはならないのじゃないですか。それは大変責任逃れの話だと思います。この点についてもう一度だけお答えを伺いたいと思います。

寺松政府委員
 何度も同じお答えをいたすことになるわけでありますけれども、私どもは、身元不明ということで、その工事をやっておりました建設省の職員から警察署に届け出た、こういうことによってその義務は完了しているんじゃないか、こういうふうに思います。以上、あとは、それぞれの所管のところでもっていろいろ御検討いただく、こういうことになるのではないかと存じます。

鈴木(喜)分科員
 昭和二十年以降か、または以前か、それはわかりませんけれども、もし昭和二十三年以降に埋められたものであったとしても、そこで責任が切れてしまうかどうかということについては、事実上そこについて使用されていた厚生省の栄養研究所の責任は絶対あると思います。その身元を調べるということの責任は出てくるはずでございます。ですから、それについてはもう一度考え直していただきたいと思います。
 加えて、その後もまだ新宿区と栄養研究所の方でやりとりが何通か続いているわけでございますけれども、その中で厚生省援護局等々の文言が出てまいります。そしてそういうところから一つの法令の――厚生省がたとえこういうような場合に、土地をただそこに持っていた、または管理していたというだけで、そこに人骨があったというだけでも、なおかつ、こうした場合に何らかの身元を探る責務がまだあるのではないかということについてのやりとりがあると思うのです。それは、厚生省設置法という法律を見せていただきました。この厚生省設置法というのは、厚生省の所掌事務はこういうものであると、所掌事務が出ています。その中に、内地からの引き揚げであるとか旧軍人云々とかいうことがいろいろ書いてあって、引揚者の問題、復員の人の問題、それからあちらで俘虜になった人の問題、そうした者の手当てが書いてある中に、「前三号に掲げるもののほか、旧陸海軍の残務の整理に関すること。」という一条がございます。
 この建物が、旧陸海軍の残務の整理に関するという意味でいえば、陸軍軍医学校であった、特にこの軍医学校の中でもこの辺ではいろいろな細菌でありますとか化学兵器等を研究する何か医療の関係のものがあった、研究所があったというふうに言われているところでございますので、特にこの点についても「旧陸海軍の残務の整理」ということに当たるのではないかと思われるのですけれども、この点はいかがでしょうか。

岸本政府委員
 援護局の所掌事務のことで御質問でございますけれども、旧陸海軍の活動範囲というのは非常に広範多岐な業務を行っていたわけでございます。終戦に伴いまして旧陸海軍の機能が停止するということで、それから残務の整理というのが出てくるわけでございますけれども、これは国有財産の処理等を初めといたしまして非常に多岐にわたるものでございまして、それぞれの所管の部局が対応したわけでございます。
 私どもの援護局というものの経緯から申し上げなければいけないわけでございますけれども、戦争の終結に伴いまして海外から多数の同胞が引き揚げてこられるということで、そこに上陸をいたしますと、そこからの緊急の生活援護ということが必要なわけでございます。そういうことを始めてまいって、それから昭和二十二年の十月に至りまして、担当している引き揚げ援護業務に密接に関連するということで、それまで復員庁というところでやっておりました旧軍人軍属の復員、身分を解くということでございますが、復員等の業務をその人事関係資料とともに引き継ぐことになったわけでございます。
 このような経緯にかんがみまして、厚生省設置法の第四条第二項第三号に規定してございます「旧陸海軍に属していた者の復員その他旧陸海軍の残務の整理」に関する事務というのは、旧陸海軍から引き継いだ人事関係資料をもとにいたしまして行う事務である、具体的に申し上げますと、旧陸海軍関係者の恩給進達でございますとか履歴証明等々の人事関係の事務をいうというふうに考えているわけでございます。したがいまして、今回のお尋ねの人骨の身元確認調査、こういうものは、その設置法に言う「旧陸海軍の残務の整理に関すること。」には該当しないというふうに考えております。

鈴木(喜)分科員
 今お聞きしたのは、厚生省組織令の中の「援護局の事務」というところのことについて伺ったのでしょうか。私はまずその前に、厚生省設置法の第五条で厚生省の所掌事務がある、その中の第五条百七というところに「旧陸海軍の残務の整理に関すること。」というのがある。それはもちろん「旧軍人軍属の復員手続に関すること。」というのが百四にあり、未帰還者の問題は百五にあり、百六に俘虜に関するものがあり、それぞれのそういう条項があるわけですね。それの中で見まして、その中の一つで百七というところに「旧陸海軍の残務の整理に関すること。」というのがあるから、これはまず厚生省というお役所がその残務の整理を引き受けるわけであるということをまず決めているんだというふうに私理解するわけですよ。その後で、厚生省組織令というものの中では、援護局はどうだこうだということでまた同じように「旧陸海軍の残務の整理」というのが出てきます。組織令ですから、あなたの局ではこういうことをしなさいよという形でそういう政令が出ているんだと思いますけれども、初めに厚生省設置法というのは、これは法律ですから国会で決めたものだと思いますが、その中で、ここで決めたときにこれはそういう、今言ったように、「旧陸海軍の残務の整理」というものをそのように限定した意味でやったということがどこかに書いてあるわけでしょうか。

岸本政府委員
 これは今経緯を申し上げたわけでございます。先ほどの繰り返しの部分が多くなりますけれども、陸軍省、海軍省というものが解体をされた、残務の整理というのはたくさんの問題があると思いますが、そういうものは第一復員省、第二復員省を初めといたしましていろいろな担当部局で処理をしたわけでございます。そうして厚生省といたしましては、今申し上げましたように、海外から引き揚げていらっしゃった方々の臨時防疫の問題でございますとか、また、その日からの生活援護の問題、こういうところを担当したわけでございます。そういうことでしてまいりまして、終戦から二年余りたちましてから初めて人事資料というものを復員庁から引き継ぎを受けまして、その人事資料をもとにして、今申し上げましたような人事関係の残務の整理を行うということになったわけでございまして、これはそのときの経緯から明らかであろうと思っております。

鈴木(喜)分科員
 そのときの経緯というものが、例えばこの法律をつくるときの議事録に残っているとかそういうことがあっても、この条文を素直に読めばということは海部内閣総理大臣はよくおっしゃることでございまして、素直に読めば、そのまま見たら「旧陸海軍の残務の整理に関すること。」でありまして、それがたとえ議事録を見てもおっしゃるようなことでございますので、その点、これはその問題とはまた全然別にして、非常にわかりやすい文言で、そのままですし、しかも、そういった議事録等々がない場合にはこのまま読むのが一番素直な解釈だと思うのです。もしもこういったいろいろな意味での旧陸海軍の残務整理を厚生省が引き受けておられないとするならば、一体どこの省庁がこういうものを引き受けるというふうにおっしゃるのでしょうか。私は、厚生省というのは揺りかごから墓場まで全部について人の生活が安心してできるようにということででき上がっている、そういうお役所だと思います。私どもの味方のお役所だと思っているわけです。でも、これが仮に日本人の人骨だとすれば、それをほったらかしにしておくということは厚生省のお役所の性質からいっても非常にうまくないのじゃないかと思うし、旧陸海軍の残務の整理をもしもされないとすれば、一体どこの省庁がされるというふうにお考えなのか、その点も含めて一言だけお答えください。

岸本政府委員
 どこの省庁がするかというのは、私からお答えをするのは適当ではないと思いますが、一言で言って、厚生省という役所が陸軍省なり海軍省の後身である官庁であるということではないわけでございまして、陸軍省の後身官庁ではないわけでございますから、陸軍省のし残したことは全部丸ごと引き受けるというような立場にはないわけでございます。
 それで、私が先ほど申し上げましたように、陸軍省と厚生省との業務での接点というものは、引き揚げてきた方々の生活援護に始まる。そうしますと、どの地域から、同日の何時に、何人引き揚げてこられるという情報をもとにいたしまして、応急的な生活援護の受け入れ態勢を整える、こういう仕事が厚生省の任務であったわけでございます。そういう観点での接点から始まっておりまして、陸軍省の仕事を丸ごと引き受けるのが厚生省の揺りかごから墓場までということではないかということには、ちょっと私としては応じかねるわけでございます。

鈴木(喜)分科員
 時間がありませんので、ここでやめさせていただきますが、大臣にもお願いしておきます。こういった問題について、どこにも行き場のない問題を何も全部厚生省が拾えと言っているわけではございませんが、何とかこの問題を人道的にも、また国際的にも評判を落とすような、信頼できなくなるような、そういった問題にされないように、何とか身元確認のための御協力をよろしくお願いしておきます。

人骨問題・答弁記録

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