軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

「スーパーインポーズ法~遺骨鑑定の新たな可能性を探る~」橋本 正次(東京歯科大学法人類学研究室)

2004年度第1回人骨問題研究会

 東京歯科大学法人類学研究室の橋本です。人類学、法人類学、人体解剖学が専門です。一般に人類学といえば、発見された古い骨を調べて人類の起源や進化を明らかにしていこうとする学問として理解されていると思います。このような骨が見つかったときに、人類学では生存していたと思われる大体の年代や、性別、年齢の推定に加えて、様々な情報を得ようとします。しかし、その骨がどこの誰であるか、つまり個人を特定する必要はありません。ところが法人類学では、それが誰であるのか、また時効の問題などもあって死後どのくらい経過しているのか、死因となるような傷が骨にあるのかといったことを厳密に調べます。
 本日は、いくつかの個人識別手段の中でも、白骨化した頭蓋骨と生前の写真とを重ね合わせて比較照合するという、いわゆるスーパーインポーズ法について理解していただいき、この方法の遺骨鑑定における新たな可能性を考えてみたいと思います。

  • 法人類学とは何か?

     法律上の問題を扱う科学を総称して法科学といいます。法科学には、よく知られている法医学をはじめ法歯学、法人類学、法化学、法銃器、法精神学などおよそ10の領域があります。法医学は、通常は犠牲者の死因や死亡機序などについて詳細に検査します。一方、法歯学や法人類学は犠牲者が誰であるのかといった身元確認を主たる目的としています。歯を個人識別に利用した法歯学の古い事例では、皇帝ネロの母親が殺させた相手を歯で確認したという記録があります。また、100年以上前にフランスで発生したホテル火災では亡くなられた犠牲者の身元確認に歯の特徴が使われました。日本でも歯の特徴による身元確認は比較的早くから行われていましたが、特にその有効性を再認識したのが1985年に発生した日航機墜落事故でした。この事故では520人の方が亡くなられたのですが、そのうちおよそ300人前後が歯で確認されたのです。

     法人類学は、見つかった死体が白人なのか黒人なのか黄色人種なのか、つまり人種の鑑別が重要になる多民族国家のアメリカで発展しました。私が勉強したのは、ハワイにあるそのアメリカ陸軍省中央鑑識研究所です。この研究所の使命は、戦争で亡くなったアメリカ兵士を捜索、回収し、その身元確認を行うことです。第二次世界大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争など、アメリカが戦争したのはほとんど黄色人種が住む地域でした。そのような地域で戦争犠牲者と思われる骨が発見されると、すぐに現場に飛んでその骨を集め、持って帰って身元確認をする。だから、黄色人か白人(黒人)かの区別が必要だったのです。

     法人類学というのは、つまり形質人類学の知識、特に骨から人種や年齢、性別、身長、体格、利き腕、顔面頭蓋の特徴といった個人識別に必要な情報を収集し、法律上の問題に適用するという学問なわけです。

  • 人類学とは何か?

     人類学は「人間とは何か」ということについて、直接人間を対象として研究する学問です。文学なども含めて多くの学問領域では直接人間を対象としていませんが、究極の目標は、人間とは何かということだと思います。シェークスピアの文学を研究しても、最終的には人間とは何か、その本質について明らかにしようと努めているわけです。人類学には、ヒトの身体的特徴を研究する形質人類学、人間の文化面から研究する文化人類学、社会の構造を見ながら人間の本質を追及する社会人類学などがあります。私の専門である法人類学は、人類学を応用する学問ということになります。

  • 人類、ヒト、人間

     今まで私たち自身のことを、人類、ヒト、人間と異なる呼び方をしてきました。では人類とは何なのか。成書には狭義として次のように書かれています。つまり、人類とは直立二足歩行をする生物を、ヒトとは学名でホモ属と呼ばれる生物(今から160万~70万年前の人類から)、そして人間とは精神的な芽生えが生まれ始めたといわれる以降のヒトを指しているというのです。国立科学博物館の馬場先生がやられているような、数100万年前の地層から見つかる骨が、サルなのかヒトなのかといったときに、これは二足歩行に適した骨の特徴を持っているから人類、これは二本足で歩く骨ではないからサルというような見方をしているのです。人間とされたヒトは20万年前のネアンデルタール人以降であるとされています。その理由は、彼らの遺跡から見つかった骨の周りの土を調べたら、花粉がいっぱい出てきたわけです。洞窟の中に埋葬された骨のある周りで花は咲かない。その花粉は洞窟の前の平原に咲いている花の花粉と一緒だったというのです。つまり死んだ人を横たえて、花を手向けて、死を悼んで、次の世界に送り出したい気持ちがあった。さらに、その時代の骨には治癒の跡がみられる骨折痕などが認められるものもあった。致命的な怪我を負っているにも関わらず治癒しているということは、周りがこの人を生かすために守ったということであり、それが人間というわけです。埋葬という儀式が始まったのもこの時期だといわれています。

  • 法人類学の定義

     法人類学について、元スミソニアン研究所所長のスチュアート博士は、法的な目的のために白骨化した骨を取り扱う形質人類学の一分野と定義しています。骨から個人識別のために必要な情報を読んで提供する学問ということです。私は、この形質人類学に、文化人類学や社会人類学などの知識もあわせて、個人識別を目的として法的な分野に応用する学問であり、対象は生体、死体を問わないと考えています。そのような骨から得られる個人識別の情報には、年齢、性別、人種、血液型、身長、体格、顔面頭蓋の特徴等があります。生体だと分かりづらいのが、年齢と性別です。性別は普通なら分かりますが、性同一性障害や職業的に男性が女性を装っているような場合、例えばオーストラリアの裏町に入るとゲイみたいな人がいるわけですが、女性の下着をつけて女性っぽいしぐさで歩いていると完璧に女性としか外見的には見えないわけです。しかし、このようなヒ人たちも骨になれば男性の特徴を明らかに持っています。つまり、骨の方が分かりやすいということなのです。年齢についても同じことが言えます。外見的には若くみえても実は年をとっている、また反対の場合もあります。

     犯罪が起こると問題は、被害者は誰か、死因は何か、死亡機序は何かということになります。死因と死亡機序は法医学の分野です。被害者の特定は法人類学や法歯学が扱うことになります。個人識別とは何か。その対象が骨であれば、その骨が誰なのかを明らかにする、あるいは特定個人がわからなければどんな感じの人なのかを推測することが必要になります。これが個人識別です。もちろん、法医学でいえば個人識別はこれだけではありません。例えば、泥棒がその家に入るときに庭に糞便を残していたといった場合には、この糞便はだれのものかを調べる。これも個人識別です。この意味では個人識別の範囲は広いといえます。

  • 確実な個人識別の条件

     確実な個人識別を得る条件は、死後記録と比較照合が可能な確実な生前記録・生前情報があるかないかということになります。該当者の写真や医師や歯科医の診療記録等の情報がなければ何もできません。ただ該当すると思われる人物の身体的特徴を提供できるのみになります。また、該当する人の生前の情報があった場合には、その情報が万人不同で終生不変、あるいは規則性のある変わり方しかしないものであるということが望ましい。例えば指紋は万人不同で終生不変ですから、生前と死後の比較照合に使われる。一方、骨の場合には二十歳を過ぎた人では成長がほぼ完了しているため、それ以降は大きさはあまり変わりません。その骨の上に乗っている筋肉は死後変化を起こしても骨は死後遅くまで残存することになります。その結果、骨から得られる情報と、生前写真一枚から得られる情報との比較照合が可能になるのです。生前の写真として最も個人識別に有効なのは、笑っている顔写真です。死んで骨になっても、生きている時でも、外から見える唯一の場所というのは歯です。歯は死後遅くまで残存します。生きている時に笑ったら歯が見える。従って、笑っている顔写真一枚あれば確実に本人照合ができるわけです。死後、歯が脱落してなくなっていても歯があった穴(歯槽)は残っていますから、生前の顔写真と合わせると、その穴に生前の歯の歯冠部の根っこがちゃんと入ってくる。つまり、他人だと入りませんから確実な識別ができるということになります。だから、一枚笑っている写真でも家に置いておくことを考えられたらいかがでしょうか。

  • 個人識別の方法

     腐乱や白骨化していない身元不明死体の識別方法として、まず近親者による確認があります。一般的に身元確認をするときには、該当すると思われる人の家族が呼ばれて見ることになります。しかし、この方法は注意する必要があります。死んだ顔と生きている時の顔は全く違います。例えば、家族の人が長い闘病生活していて亡くなったとします。そこに長い間会っていない親戚の人が来て遺体と対面すると誰かわからないほど顔貌が変わっているということがよくあります。その後、きれいに死化粧したあとに見たら、すぐに分かります。身元不明死体がありそれが誰であるか捜査するために似顔絵が描かれることがありますが、もし発見直後の顔をもとに描かれたものであれば信頼性が乏しいということになります。遺体の顔は一日、二日と日が経つにつれて変わるからです。最後には穏やかな顔になります。私の先生である鈴木和男教授(故人)から教えていただいた実際にあった話だそうですが、あるおばあさんが警察から身元不明死体の面接を依頼されたたそうです。そのおばあさんが遺体の顔を見て、「間違いありません、息子です、何でこんな姿に」と言って泣きくずれた。しかし、その三年後に息子帰って来たというのです。この話が教えてくれるところは、家族の面接による確認は状況にもよりますが、確実な方法ではないということです。では遺体の所持品はどうかといえば、これも同じことです。所持品だけで最終的な身元確認をすることがあれば、多くの問題を残すことになります。自分の存在を消したいと思う人がいたとすれば、誰かを殺して自分のものをその人にもたせ、顔で識別できないようにしておけば良いわけです。航空機事故のようなバラバラになって飛び散っている遺体で、その近くにあった服とともに回収したとします。もしその服に名前が書いてあれば、身元確認にあたっている人はおそらくその名前の人の遺体だと思うでしょう。このことは、遺体の回収には細心の注意が必要であるということを教えてくれています。服に包まっている遺体については、必ず袖に手が通っているか、ズボンの中に足が通っているかということを確認しない限り、その人のものであるかどうかはわからないということです。

     それでは、確実に本人であるか否かを判定できる科学的な方法には何があるかといえば、それが指紋であり、歯科的証拠、法人類学的特徴、DNAなわけです。いずれの方法も個人を識別する方法の一つであり、一長一短のあるものです。しかしながら昨今の風潮として、皆さん方はDNA、DNAと言われるわけです。

  • DNA鑑定の問題点

     マスコミなどで身元確認かいえば出てくるDNAにも一長一短があります。DNAは細胞の中にあります。細胞の中には核とよばれるものがあり、この核の中に染色体が23対あります。23個の父親から来たものと23個の母親から来たものが一緒になって46個になり、この中に入っているわけです。そしてこの中にその人の設計図となるDNAがあります。また細胞には、1500とか2000個ともいわれるエネルギーを生産する役割を担うミトコンドリアという小器官があります。ミトコンドリアは、もともと一つの生物だったものが他の細胞に入り共生したといわれるもので、その中にはミトコンドリア自体のDNAをもっています。従って私たちの細胞には、核DNAとミトコンドリアDNAがあるわけです。ただしミトコンドリアDNAには特徴があり、父親からの精子にあるミトコンドリアDNAは、母親の卵に入った後消えてしまう。つまり、新たにできた細胞の中にあるミトコンドリアは、母親由来のミトコンドリアだけということになるのです。もちろん核DNAは、半分が父親由来のものであり、残り半分は母親由来のものです。個人識別に核DNAを使うか、ミトコンドリアDNAを使うかはそのときの状況に応じて行うことになります。DNAはその人の設計図、従って同じものは二つとないということ、骨からでも抽出可能であるということなど、極めて有効な個人識別方法であることは確かです。それでは何が問題かというと、個人識別というのは該当すると思われる人の生前の情報と比較照合することですが、その生前のDNAがわからない。もちろん、その人の生前のDNAがもし取れていれば非常に有効な方法です。しかしそのような状況はまず考えられない。そうするとどうするかといえば、該当者の両親がいて、その人の子かどうかの確認をする、いわゆる親子鑑定を行うことになるのです。親子鑑定でその人かどうかを見る、つまり個人識別をするということは、親子関係が成り立っているという前提が必要になります。従って、もしDNAの検査結果が合わなかったときに、「その人ではない」という結論はおかしいということになります。その人ではないのか、あるいは親子関係が成り立っていないのかどちらかです。身元不明死体を指紋により否定した、これは完璧です。歯型により否定した、これも信頼できる結果です。身体的特徴により否定されれば(例えば身長や体格が明らかに異なる)これも本人でない可能性が極めて高いと考えられます。しかしDNAでは、この人ではないのか、この人だけれども親子関係が成り立っていなかったのか分からない。マレーシアで35人乗った飛行機が墜落した事故があり、犠牲者全員が歯科的証拠により確認されたそうです。その後、DNAの専門家が来てDNAで身元確認を行ったところ一人合わなかったというのです。一人だけ違うというのは通常あり得ないことです。その人の生前と死後の特徴を直接比べている歯科的な特徴で全て合っているわけですから、その人に間違いはないんです。それではどういうことかといえば、親子鑑定を35組したら一組親子関係が成り立たなかった。つまり嫡出子じゃなかったという結果が出ただけの話です。新たな問題を起こすことにもなりかねないのです。また、日本人の文化から見たときに、信頼性とは別にDNAを用いた個人識別が遺族に受け入れがたいという問題があるように思えますが、これについては次に述べたいと思います。

  • 遺体に対する日本人の考え方

     事故や災害が起きて、自分の家族や関係者が巻き込まれ犠牲になった際に日本人にとって大切なのは遺体の発見、回収とその確実な個人識別なわけです。外国人、特にキリスト教圏では、もちろん家族が亡くなれば悲しいことに違いはないのですが、遺体や骨は別になくてもいい。なぜなら、死ねばその精神は神に召されて幸せで、そこにある遺体はただの物体です。だから遺体はどうでもいいですよという考え方をする。これが文化の違いなわけです。遺体や遺骨に対する日本人の考え方はどうでしょうか。日本人にとって遺体は、あるいは骨は大事なんです。私たちの国民性は、遺体に人格を持たせる。だから、病院で亡くなればまず家につれて帰り、久しぶりに家に帰ってきたねって、あたかも生きている人に話しかけるようにして声をかける。バラバラになった遺体が身元確認されて、これがそうですって言われても、「足がないじゃないですか、手がないじゃないですか、探してください」、「三途の川を渡るのに足がなければ渡れません。右手がなければあの世でご飯を食べられません」と言うわけです。それが日本人、仏教徒の国民性なんです。韓国も台湾も一緒です。それが、例えばオーストラリアとかニュージーランドにいくと、すぐに合同葬儀をし、悲しい顔でその周りを廻るだけで遺体をほしいとは一切言わない。この違いが、遺体の身元確認に対する遺族の対応にも現れてきます。身元確認の現場に日本人は入り、自分の目で、手で犠牲者となった家族の一員を探し出そうとする。この情景は外国の人、特に前述した国の人には理解しがたいものだと思います。つまり、遺体に対する感じ方、考え方、そして行動の仕方が異なる、この感情、思考、行動様式が文化といわれるものなのです。そして、同じような文化を持つ人々の集まりが民族を形成しているのです。話は少し横道にそれますが、私たちも人と付き合うときは相手の文化を知って付き合わないとうまくいかない。よく気が合うとか合わないとかいいます。「気」とはなんなのかと考えてみると、その人が生まれから育んできた感じ方、考え方、行動の仕方ではないかと思います。この三つの仕方が違うから話が合わない。だから嫌いになる。同じような育ち方をしてきた人同士は気が合うということになるんではないでしょうか。

     さて、話を身元確認に戻しますと、遺体に対する日本人の行動様式は、先に述べましたように自分の手で、目ですぐに確認をして家につれて帰ってあげるからと考えています。その遺体が目の前にあるにもかかわらず、個人識別方法がDNAということで検査するのに一ヶ月もかかりますと言われ、また出てきた検査結果が、書類一枚にDNA型が一致したので家族の方ですと報告されても日本人にはにわかに受け入れられるものではないということなのです。家族のDNA型を知っている人はおそらくいないでしょうし、自分の型を知っている人もほとんどいないでしょう。だから身元確認の現場に立っていると、家族の方は「DNAなんかもういいです。DNAなんか言われたって分からない、その通りに受け入れざるを得ない。それだったら血液型だけでも教えてください」といわれる。つまり、わからないDNAよりは、自分の知っている娘、息子のABO式血液型が遺体と合っているかいないかだけでも知りたいと思うのです。それが日本人の文化だと思います。日本人は特に遺体、遺骨を大事にする国民性です。自分の子であれば、たとえ焼けた顔でも手に持って顔に頬擦りをする。それを見る外国人は卒倒します。何であんなことできるんだと言います。自分の子どもだからできるわけです。それをしてあげることによって自分の気持ちも安らぐ国民性なのです。この文化にDNAによる個人識別は適さないのではないでしょうか。もちろん、その人の生前の資料がある場合や生物学的な親子関係が成り立っている場合には、最も信頼性の高い方法であることは間違いないと思います。私の言いたいことは、最初にも申し上げたようにそれぞれの方法には一長一短があり、何でもかんでもDNAという考え方はおかしいということなのです。

  • スーパーインポーズ法の発展

     今まで述べてき個人識別の方法のなかに法人類学的特徴の比較というのがありました。その一つの手法が、生前の顔写真と死後の頭の骨、つまり頭蓋骨の重ね合わせる、いわゆるスーパーインポーズ法と呼ばれるものです。この方法が個人識別に始めて用いられたのは、イギリスで1935年に起こった殺人事件で、ラクストン事件といわれています。メアリーというメイドとそこの奥さんが殺され、その後小川で頭蓋骨が発見される。しかし、それがメイドのものなのか奥さんのものなのか分からない。そこで、生前の顔写真に合わせてみたら、一方でよくその特徴が合致し確認ができたというものです。これがスーパーインポーズの個人識別への有効利用として教科書に出てくる歴史的事件なわけです。DNA鑑定という方法がまだなく、個人識別を歯や骨の特徴で行っていた時に、私はアメリカ陸軍省のハワイ中央鑑識研究所で勉強する機会を与えていただきました。そしてそこでは丁度そのときにパプアニューギニアから回収されたというアメリカ人戦争犠牲者の骨の身元確認をするという仕事に参加することができたのです。研究所での骨の検査は私の恩師である古江忠雄先生がすべて担当されており、その下で多くのことを学ばせていただきました。ちなみに、これが1984年のことであり、この経験がその翌年起こった日本航空機墜落事故の身元確認に役立ったわけです。さて、それではなぜ戦争時の遺骨の身元確認がアメリカではできるのでしょうか。それは、個人識別には生前の情報がきわめて重要であると述べましたが、アメリカでは戦争に行った兵士の生前情報、つまり年齢、性別、身長、体重等が写真とともにすべて保管されているのです。その人たちが乗った飛行機の残骸の近くから骨が見つかると、これも研究所に所属している捜索・回収専門班の人たちが現場でその骨を20の袋に放り込んで、持ち帰りハワイで鑑識することになるわけです。その時に、生前の記録があるので鑑定できたのですが、その骨を遺族に見せても納得てもらうことが困難であった。家族は息子の死を信じたくない。未だ生きているんだと思いたい。ましてや目の前の死体は骨だけで、息子を思い出すことのできる情報は専門家ではない家族にとっては何もない。ただ説明されたことを認めざるを得ないが、認める気はない。そんな葛藤のなかにいるわけです。そこで古江先生はどうすれば納得していただけるのか、視覚的に認められる方法は何かないだろうかと考えられた。そこで思いつかれたのがすでに報告されていたスーパーインポーズ法だったのです。生前情報には顔写真もある。これを使ってスーパーインポーズ法で家族が自分の目で確認できるような装置が作れないだろうかと考えられ、装置を開発されたのです。彼の方法のいいところは、重ね合わされた結果の写真を見せるだけでなく、その途中経過を家族に見せることができるところです。自分の目で息子の顔の中に発見された頭蓋骨が重なっていく過程を見ることができるんです。カメラレンズを通して息子の顔を見ていると、だんだんその中に骨が入ってくる。そして眼の穴とか、眉間の膨らみとか、歯の位置とか鼻の位置とか、まったく変わらないでその中に浮き出てくる。そうすると信じざるを得ないわけです。それで遺族が自ら確認し、息子の死というものをそこで認めそして納得して帰っていかれたそうです。

  • スーパーインポーズ法の諸問題

     スーパーインポーズ法では、写真に関する問題、装置に関する問題、そして顔面部と頭蓋骨の解剖学的な位置関係に関する問題等があります。写真は、三次元の被写体を二次元の画像に置き換えられたものです。その際、被写体の特徴はカメラと被写体の距離やカメラの被写体に対する高さや角度、そして被写体のカメラフレーム内での位置などにより決定されます。つまり、写真の持つ特徴とまったく同じ写真を撮影するためには、これらの撮影条件を再現する必要があるということです。

     撮影距離と画像との関係では、距離が長くなればなるほど被写体の焦点平面より奥では拡大率が実際値に近づくことになり、近くなれば反対に拡大率が小さくなります。これをパースペクティブ(展望)エラーといいます。例えば、私が眼鏡を掛けカメラに近づいていくと眼鏡のフレームはだんだん内に入り最後には見えなくなる。しかし、カメラから離れていけば眼鏡のフレームは外方に広がって見えるようになります。なぜかと言うと、被写体は三次元ですから深さがあるからです。焦点平面と奥行きとの関係がよくわかる例としてもう一つ紹介しておきたいと思います。それは、マラソンのテレビ中継などでよく見る光景です。走っているマラソン選手が、一番目と二番目で大きく距離が開いているのに後ろの人が前を走る人とほとんど変わらない大きさに見える、つまりほとんど差がないようにみえることがあります。これは一番目の走者とカメラとの距離が大きく離れているからです。しかし、カメラが一番目の人に近づいてくると、二番目の人がだんだん小さくなってくる。これは、二番目の人の拡大率が小さくなっていくからなのです。私たちの顔も同じです。だから、顔の表面に焦点を合わせれば、頭の輪郭部分の拡大率は撮影距離で変わってくることになります。これらのことを考慮すれば、生前の顔写真と重ね合わせるための頭蓋骨の撮影は、顔写真が撮影された距離と同じにしなければたとえ同一人であってもすべての特徴が合うような結果は得られないということになるのです。かつてテレビコマーシャルなどのカメラの売り文句で、望遠レンズを使えば一歩近づいた写真が撮れますといったようなものがありました。しかし、今お話しましたように望遠レンズを使っても一歩近づいた写真は撮れないということです。広角レンズというのは撮る範囲を広くし、望遠というのは狭めているだけです。従って撮れたフレームの中に占める被写体の割合が広角レンズでは小さくなり、望遠レンズでは大きくなるだけです。写っているものの特徴は何も変わりません。だから、同じ大きさに拡大して重ね合わせればまったく矛盾なくすべてが重なり合います。一歩踏み込んだ写真を撮りたかったら、やはり一歩踏み込まなければ撮れないということなのです。

     また、写真には歪み(ディストーション エラー)が生じることがあります。例えば、広角レンズをもつカメラで撮影した場合、画像の周辺部が膨らんだりします。これはバレルディストーションといって、魚眼レンズ使ったら特にそうなります。ほかにもピンクッションディストーションというものもあります。このような写真上の歪みも頭蓋骨との照合で考慮しなければならないことがあります。さらには、パララックスエラー(視差)という、見る位置が変えることによって見えるものも変わってきます。従って、スーパーインポーズ装置には撮影距離や位置などを自由に変えることのできる機能を組み込まなければ、写真との比較は難しいということになります。

     以上掲げた問題点が解決されれば、スーパーインポーズ法は確実な識別手段になりうるものだと考えています。

  • 光学的スーパーインポーズ法

     スーパーインポーズ法の装置は今日まで、極めて単純なものからコンピューター技術を駆使した三次元的なものまで様々です。当初は単純に生前写真を透過フィルムにプリントし、その後方に頭蓋骨を置いて向きをあわせて写真を撮影する。そしてその頭蓋骨写真と生前写真を同じ大きさに拡大し、重ね合わせるというものでした。この結果については、顔面平面上にある眼が頭蓋骨の眼の窪みに入っているか、鼻は鼻の窪みに入っているか、口は歯の前にあるかといったところだけを観察し、同一人かどうかの判定を行っていたようです。しかし、頭の輪郭部分にはどうしても眼が行かない。この輪郭が問題になるわけです。撮影距離が異なれば焦点平面の部分を等倍にしても輪郭部分で違ってくる。従って、顔面部はよく合致しているのにもかかわらず、生前写真の頭頂部から頭蓋骨の頭頂部が出てしまうこともありうるわけです。そこで古江先生はこの欠点を補う、つまり撮影距離をあわすことが可能な光学的装置を開発されたわけです。

     この装置の仕組みは、生前の等身大写真を観察者の右横に置き、その前方、つまり観察者の左横に斜めに全反射の鏡を観察者の前方方向に反射するように設置します。次に全反射の鏡からきた像を観察者側にもう一度反射させるために、半透過性の鏡(マジックミラー)を観察者の正面前方に置きます。この配置により、観察者は右横にある生前写真の画像を正面を向いてみることができるようになります。一方頭蓋骨は、正面のマジックミラーのさらに後方に置きます。この際、生前写真から全反射の鏡を経てマジックミラーまでの距離と、マジックミラーから頭蓋骨までの距離は同じにします。観察点はマジックミラーの前方にあるわけですから、観察者の視点から頭蓋骨までと、視点から生前写真までの距離は全く同じになるわけです。つまり、視点を前後どの位置に移動しても常に同じということです。ということは、視点の前後移動によりどこか一点で生前写真と頭蓋骨が合致するところがあれば、その距離画生前写真が撮影された距離ということになります。そして、マジックミラーはその後方が暗い場合、全反射の鏡と同じになる、つまり見えるのは生前の写真だけです。反対に後方を明るくして、生前写真にライトを当てない場合は頭蓋骨がマジックミラーを通して観察できますが、生前の写真はみえなくなる。ところが、これらの光のバランスを調整することによって、両方が同時に見える、つまり重なり合って見えるわけです。古江先生がこの方法を考えられて戦争犠牲者の遺族の方への説明に使われたそうです。正面から観察された家族の人は、自分の息子の生前の顔写真の中に、目の前にある頭蓋骨が矛盾なく重なり合って見えてくるわけですから、それを見て泣き崩れる。視覚的に確認できるわけですから、それも自分の息子の顔を見ながらですから納得せざるを得ないということになるのです。

  • ビデオスーパーインポーズ装置

     このような鏡を用いないで、寄り簡単に重ね合わせる方法はないかということ考えられたのが、ビデオスーパーインポーズ法という方法でした。この方法は、二台のビデオカメラを用い、一台は生前写真を、もう一台は頭蓋骨を撮影し、モニター上で重ね合わせるというものです。この方法の利点は、生前の写真と同じ向きに頭蓋骨を合わせることが、頭蓋骨自体を動かすことなくその周りでビデオカメラを上下左右近遠的に自由に動かすことによって可能になるということです。栃木県で発生した白骨事件で、発見された頭蓋骨と該当すると思われた人の生前写真の異同識別をこの方法で行いました。そうすると、生前写真に観察された前歯と前歯の隙間の状況が一致する。さらにはそれらの歯冠部と頭蓋骨にある歯が植わる穴(歯槽)の位置までがすべて合致した。この所見から、まず本人に間違いないということになるわけです。

     ところがこの方法の問題点は何かというと、ビデオカメラは撮影時にその拡大率を自由に変えられる。つまり、相似形のものを撮影すれば、別のものでも拡大を同じにすることで同じものと判断してしまうという危険性を含んでいるということになります。一方で、重ね合わせた画像を部分的に拡大することができ、より詳細な比較検討が可能になるというさらなる利点もあるわけです。従って、検査者は利点や欠点を十分理解した上で行わなければならないということです。これは、スーパーインポーズ法に限らず、歯科的個人識別やDNAによる識別をする場合にも言えることだと思います。

  • コンピューターによる三次元データ化

     スーパーインポーズ法も最初はただ大きさを同じにして合えばいいという時代から、視覚的に距離を合わせられるような装置になり、さらにはモニター上で重ね合わせることも可能になっていきました。そして数年前から、先に述べた問題点をすべて考慮した装置やソフトウエアーを産学協同研究という形でバブコック日立株式会社とともに開発に着手しました。そして昨年、頭蓋骨を三次元的にコンピューターに取り込んでおいて、後々でも使えるようにデータ化し、実際の写真と合わせる際にはそのイメージを生前写真撮影条件を考慮して変えることのできる装置の開発に成功したわけです。身元不明の白骨が多数発見されれば警察では置いておく場所がない。また、事件性がなければ身元不明の死体は発見地の行政に渡し、そこで火葬して遺灰にしてしまう。

     しかし、一年二年経って、該当すると思われる人が現れ生前の写真が持ってこられる。しかしその時には白骨がないわけですから、顔はもちろん身体的な特徴の比較もできないということになってしまう。従って資料としては、警察が持っている検視時の写真だけとなるわけです。二次元画像と二次元画像の比較、そして一方は骨の写真となれば、比較による身元確認は極めて困難であるといわざるを得ないと思います。たまに、二次元の写真から三次元像を再現できませんかといわれますが、それはできない。勝手に自分のイメージでつくってその上にはりつけることは可能ですが、それはつくった人のイメージでしかないのです。最も理想的なのはそこに骨があればいいのですが、なければせめて三次元的に撮られたデータがあれば利用できるということになります。そのようなデータを作成しておけば、骨は処分をされても後に個人識別ができるということです。この装置は、そのような情報をも作成できるものなのです。その手順は以下のとおりです。まず、頭蓋骨は装置の中にある回転盤の上に置かれ、この回転盤が360度回転する間に任意の枚数の写真が撮影されます。撮影された生データは、コンピューターの中で三次元構築されて三次元画像が作成され、それがスクリーン上で自由に回転できるわけです。また、前述しましたように二次元画像の特徴は撮影された距離に大きく影響を受けます。このソフトは、自由に撮影距離を設定することができ、画像はその撮影距離に応じた特徴を呈することになります。生前の写真が撮影されたおおむねの距離を推測し、距離をあわせた頭蓋骨の画像を作成します。次に、生前の写真と頭蓋骨の画像を方向や大きさを調節しながら重ね合わせていきます。そして、両者の矛盾の有無を検討するわけです。多くのデータが1枚のCDに保管できますから、保管のための大きなスペースも必要としません。取り込み画像の正確性を検討したところ、コンピューター上で測った頭骨骨上の人類学的観察点間の計測値と実際に測ったものとの差はほとんどないことが証明されました。つまり、同一人であれば同一人と判定できるだけの精度は十分あるということです。この装置は撮影距離だけでなく、端の方で撮られて歪み(ディストーション)が認められても、また視差が存在しても調節補正できるように考案されています。

  • スーパーインポーズの実際

     まず生前の写真の顔の大きさと向きに頭蓋骨を合わせることからはじめます。顔面上に任意の人類学的計測点三点を結んだ三角形を描きます。同様に頭蓋骨画像上のそれらの計測点に相当すると考えられる位置に三角形を描きます。そして、この三角形の大きさと形が同じになるように頭蓋骨をコンピューター画面上で回転させます。その際、撮影距離の調節も行います。このようにして二つの三角形が合えば、それが生前の写真にある顔の向きにあった頭蓋骨の向きが得られたということになります。このようにして重なった画像について、眉や眼、鼻、口、耳などの顔部品が頭蓋骨上の位置関係と合致するか否か、矛盾がないかを確認するわけです。その際、重要なのは顔面上の部品と頭蓋骨の解剖学的な位置関係ということになります。このようなデータはすでに解剖学で明らかになっています。しかし、事件において提供される写真が常に証明写真のような正面顔であるとは限らない、斜めから、あるいは上下どちらかからといったように様々です。従って、解剖学的な位置関係が顔の向きによってどのように違ってくるのかという基本的なデータが必要となります。これについては、スーパーインポーズ法とは直接関係がないため、ここでは割愛させていただきます。いずれにせよ、判定は一枚の写真の結果のみですることはありません。少なくとも向きの異なる顔写真二枚以上は使うようにしています。そうすることにより、他人の空似といった危険性を少なくするとともに、信頼性を高めることができると考えています。

  • 復顔法について

     反対に、信頼性の低い方法の話をします。身元不明の白骨遺体の身元確認でどうしても該当者の手がかりがつかめない時、最後の手段として行われるのに復顔法というのがあります。これは、骨に日本人の平均的な肉厚を考慮しながら粘土を付け、顔を復元していくというものです。しかし、人はすべて顔が違い、平均的な肉厚を持っている人はそんなにいない。従って、骨から顔をつくってうまく行くはずがないのです。骨から髪型はわからない。瞼が一重か二重かも分からない。唇が厚いかどうかもわからない。耳の形も分からない。分かっているのは、眼、鼻、口、耳の位置だけです。後は大まかな輪郭。骨組みは絶対変わらない。頬がこけたからやせて見えた。これをダイエットと見るか病気と見るかは別として、それだと平均の肉厚よりちょっと細くする。復顔する時には、三十以上の顔面上のポイントで肉厚を考える。そうすると単純に各ポイントで平均か太いか細いかだけで考えると、三の三五乗の顔ができるということになります。復顔はつくる人の数だけできるといわれるのはそこにあるわけです。だから、復顔は信頼性が低いということになるのです。また、同じ人でもわずかな期間で顔のイメージが大きく変わることがあるわけですから、ただ単に肉付けした骨をみせても生前の顔と違ってくるのは当然の結果です。男性の顔ですらそうです。女性の顔であれば、さらに化粧でイメージが変わります。だから捜査が行き詰っても復顔法は使わないほうがいいということです。また、復顔された写真をもし見られたら、その顔は確実なものではないから、どこか一箇所でも似ていれば警察などに連絡していただければと思います。

  • 新宿の人骨について

     「新宿で発見された人骨の身元確認をして家族に返してあげたい」という皆さんが、今やれることは何かということについて少し触れておきたいと思います。

     一つは、発見された骨を保管しておくことが物理的に難しいというような状況であれば、先に述べましたように三次元的な画像としてコンピューターに取り込んでおくということです。自然な状況で置いておけば骨というのは朽ちていきます。そうなってからでは遅いわけです。もう一つは、先ほどから何度も述べましたように白骨遺体の個人識別は生前の対照資料があって成り立つものです。従って、対照資料を集めなくてはいけないということになります。該当する可能性のある人の生前の写真などの情報を取れるものは何でもとっておくことです。それで骨に対応できる。さらにもう一つ、骨から核DNAやミトコンドリアDNAを抽出することができます。だからDNAが抽出できるのであればそれを採っておいて型を調べておいてもらうことです。もし、家族や関係者と思われる人が生きていてDNAが取れるんであればそれも取っておいてもらう。最終的には、両者が比較照合できればいいわけですから、資料はできるだけ集めておくということです。これは、戦没者の遺骨の身元確認にも言えることです。戦没者の場合は、これをはやくやっておかないと、放っておいたらどんどん収集が困難になっていくわけです。いなくなってから骨が出てきて所持品が出てきて探し当ててみたら去年母親が亡くなっていたとか父親が亡くなっていたというような状況が起こりうるからです。写真と頭蓋骨があればスーパーインポーズ法という方法もありますが、写真が使えないとしたら骨からのDNAしかないんです。そうしたらミトコンドリアDNAを使えるんですから、母親のミトコンドリアDNAを調べておく、あるいはその人の兄弟のものをとっておくということも考えられます。兄弟でしたらお母さんが一緒ですから信頼性の高い確認方法になります。スーパーインポーズ法は、これだけ様々な問題を考慮しながら装置の改良がなされてきたものですから、信頼性は過去とは雲泥の差で上がったと思います。それを採用する、しないは当局の問題ですけれども、現在は採用するようになってきています。どちらかといいますと、DNAはお金がかかるので、スーパーインポーズをやってくださいと警察の方から持ってこられることもあります。装置一つあればずっとやれるわけですから、厚生労働省も装置を一個取り入れてやられることを最後にお勧めしたいと思います。

2010.7.18

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