The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College
陳述書
S.Y
昭和一八、九年頃、細菌実験用のねずみが逃げて大騒動になったことがあります。
この時上官は「猛毒な菌を持ったねずみが逃げたとの想定で演習を行う」と告げ、通常の作業が大幅に縮小されました。私はねずみ捕獲班として防疫給水部敷地内、そして二、三日後には付近の住宅地まで拡げ、トラックにねずみ捕り器具を積んで、実験用のねずみが必要なのでと説明して民家や、ゴミ箱、ドブなどに置き、回収する作業を一〇日位致しました。捕獲したねずみは病理検査班が検査をしました。消毒班は敷地内に消毒薬を散布したり、実験用動物飼育小屋一棟を鉄板で囲って焼却したり、大掛かりなものでした.幹部総動員の対策本部や上官のただならぬ表情、態度から、これが演習でないことが次第にわかりました。
またある時防疫給水部・敷地内を散歩中に、厚い防水天幕で覆った、人の丈ほどの高さの野積みされた積載物があり、何かなと思いました。帰室してそのことを話すと、先輩に「あれはマルタが入っているので、立入禁止区域で見つかると始末書を取られるぞ」と注意されました。それ以前より、人体実験用の人体及び実験済屍体をマルタと呼ぶこと、それがハルピンから送られて来ていることは、雑談などで聞いておりました。この様なことはその時が初めてでした。
私たち下級者には夜問の宿直割当があり、各室より当番が出て五、六人が勤務致します。この時にいろいろな話が出ます。蚤の大量発生の研究をしているが、木のオガ屑が一番成績が良いなどの話が記憶にあります。
名前は忘れましたが、私たちの室長は石井四郎の尉官か佐官クラス時代の部下で、濾水器研究初期から完成まで働き、またハルピンでの勤務経験もある方でした。ハルピンの方では相当手ひどいことが行われているということも時折の話のなかで知ることができました。
終戦後一一月頃、未払給料、積立金の払い戻し、在籍証明等を渡すからと通知が来ましたが、今まで勤務中に知り得た話しから、石井四郎等は戦犯になると考え、防疫給水部で働いたことを忘れたいと考え、取りに行きませんでした。また戦後、防疫給水部に勤務したことを誰にも話しませんでした。