軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会

The association demanding investigationon human bones discovered from the site of the Army Medical College

『究明する会ニュース』204号・要約

731部隊の『伝染演習』~ 加藤秀造の小説「黒死病」を読む (二)~

川村 一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・代表)

  • 謀略の真偽

    2011年に奈須重雄が発見した『陸軍軍医学校防疫研究報告第1部第60号』に掲載された金子順一論文によって、農安・新京のペスト流行が731部隊の謀略であったことが明らかになった。その事実は、実は陸軍省医務局の医事課長であった大塚文郎の『大塚備忘録』にも記されており、その事は吉林省社会科学院の解学詩によって指摘されていた。

  • 農安で使用された蚤

    同じ時期、731部隊では、田中英雄技師の指揮のもと、蚤の増殖が行われていた。元少年隊員の篠塚良雄、鶴田兼敏らの証言がある。また、小笠原明の証言では、田中英雄少佐の下にいた田中淳雄軍医大尉の部屋で人体実験のカルテを見た、という。1942年のことなので、そのような実験が継続していたことが示唆される。

  • 県衛生科長の決意

    小説「黒死病」では、傍若無人なふるまいをする「白井部隊」に抵抗するN県衛生科長が描かれるが、これは加藤秀造自身の立場である。加藤の狙いは金子論文の発見によって、日本軍が細菌戦を行った事実が証明された。しかし、日本は未だにその事実を認めていない。2012年の服部良一代議士の質問主意書に対して、野田佳彦総理(当時)は、「事実関係を断定することは極めて困難」としている。

  • 国際条約で禁止されていた細菌兵器

    化学兵器・細菌兵器の使用禁止条約は、1925年のジュネーブで行われた国際会議で、26か国が調印し、1928年に発効している。この条約を日本が批准したのは1970年のこと。ジュネーブの国際会議は、毒ガスの禁止に関してのものだったが、これに細菌兵器の禁止を加えたのは、ポーランドの全権大使だったカジミュシュ・ソスンコフスキである。1971年には生物兵器禁止条約が国連軍縮委員会で採択され、75年に発効した。

  • 石井四郎のペスト講義

    新京でペストが流行した時、防疫対策会議で石井四郎はペストの種類と伝染・蔓延のしくみ、撲滅のためには蚤と鼠の駆除必要であることなど、大演説を行い、出席者一同の意識が変わった、と、出席者の一人武藤富雄が『私と満州国』の中で書いている。

    石井の解説は、一部誤りがあるものの今日の所見と見比べても遜色ない。

  • ペスト菌の発見と蚤の介在

    1985年、香港でペストが流行し、北里柴三郎、フランスのサンドル・エルサンらによってペスト菌が発見された。その後、台湾で流行し、日本では神戸、淡路島などでも流行、その調査の過程で、印度蚤(Xenopsylla cheopis”キセノプシラ・ケオプス)が鼠を介して人にも伝染することがわかった。この蚤が731部隊で利用したケオペスネズミノミである。金子順一論文「PXノ効果略算法」のPはPestis(ペスト菌の学名)、XはXenopsylla cheopis(ケオペスネズミノミの学名)を意味する。

  • ケオペスネズミノミの研究

    常石敬一の『戦争と疫学』によると、731部隊に蚤の研究者は何人かいた。そのうちペストとの関連で論文を書いているのは、村国茂、小酒井望、平澤正欣の3人。村国の論文は1940年に集中的に書かれ、4~6日が寿命のペスト菌が、蚤の体内では20日以上生きる事や、細菌兵器として容器に詰め込む蚤の最適量なども研究した。

  • ペスト菌大量生産の持つ意味

    1939年の『陸軍軍医学校防疫研究報告 第2部 第130号』には井上隆朝軍医少佐のもとで菅原敏らが行なった「ペスト菌発育促進物質ノ研究 第2編 大量生産ノ研究」(1939年10月12日)が掲載されている。篠塚良男の証言もある。

    菱沼吉巳軍医大尉は、『陸軍軍医学校防疫研究報告 第2部 第182号』に掲載された「昨秋『満洲国』ニ流行セル『ペスト菌』ニ関スル二三の実験」(1941年10月20日)を報告、「エンベロープ」(細菌の表面を覆う膜)という抗原の存在が推定された。

  • ワクチン「ペストインムノーゲン」

    石井四郎は、1940年、陸軍軍陣医薬学会で、『エンベロープ・アントゲン』を精製して作成したワクチンの好成績を報告した。これは満鉄衛生研究所で開発した「ペストインムノーゲン」のことと思われるが、今日に残っていない。副反応もあり、効果も低かったようだ。

    石井は、長期保存のきく乾燥予防接種液の製造と補給の重要性を説いた。この遠大な構想は、中国、東南アジア、太平洋地域、そして米本土を視野に入れた、細菌作戦計画の立案につながっていく。

  • 農安と新京のペスト流行の真実

    31部隊は前年のノモンハンでチフス菌を撒布したが、部隊員が感染するという失敗を犯した。1940年に入るとペスト蚤を使用した中国中部への細菌作戦の準備を始める。平房で蚤の増殖を行ない、6月に農安県城で撒布実験を行なった。一か月後に農安で効果が現れ出し、対応は「満洲国」の県衛生課などに任せていたが、秋に新京でペスト患者が発生し、関東軍は慌てて対応、731部隊は先ず、新京で防疫態勢を敷き、火元である農安に部隊を派遣し、本格的な病理学的・疫学的な調査・研究に乗り出した。

    同時並行的に中国中部での細菌作戦が行なわれ、双方の作戦は731部隊に大きな経験をもたらした。とりわけ農安のペスト感染実験は人為的に行なわれたものの、自然流行と見分けがつかなかったという意味でその後の細菌作戦に大きな転機をもたらしたといえるだろう。

<訃報>

本田鎮子さん 享年83歳

<お花見ウォーク 新宿戸山の戦跡研究>

3月28日10時~16時
若松地域センター
先着15名・500円

早稲田大学で人骨問題のリモート授業 川村代表がゲスト講師に

2020年12月9日、早稲田大学教育学部社会科教育法(小川輝光講師)の授業で川村が講師を務める。反響は次号で紹介。

連絡先変更のお知らせ

新電話番号 080-6602-2913(鳥居)

2021.3.5

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